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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
2nd Cinema 『探偵物語』
8/44

Scene 1


 二日ぶりのジムのシャワーに汚れと臭いだけではなく、思考に付着した(あか)まで流されていった。これで湯船にでも入れば、幾分の鋭さも残さずリラックス出来るだろうが、鋭さを全て湯に融かしてしまう訳にはいかない。壁のデジタルはまだ昼前を指している。


——いい夫婦。違うな、あれは十一月二十二日の事か。


 殺された三人ではなく、どうでもいい事を考える自分を愉快に思いながら、フックに掛けたバスタオルに手を伸ばす。ホモ狩り犯三人を殺害した犯人になど構っていられない。


 今頃君生の口から十七年前の事件が語られ、新宿東署に捜査本部が設けられているだろう。三人の殺害は間違いなく連続殺人として扱われる。だが自ら首を突っ込む必要など何処にもない。今すべき事は成田和弥の捜索だ。


 もし君生達がこの連続殺人を先に解決出来るのであれば、そこから成田に辿れないかを見極めればいい。もし事件解決より先に成田を見つけ出せ、それが捜査進展に役立つと言うのであれば、その時は惜しみなく情報を提供してやればいい。


 依頼と捜査を切り離した考えを念頭に置きながら、全身の滴を拭い取る。考えを纏めるのに時間を要していたのか、体はある程度自然に乾いていた。軽く滴を拭き取っただけのバスタオルを肩に掛けシャワー室を後にする。


 充分な運動をし、シャワーを浴び終わった爽快感に、服を纏う事すら億劫になるが、いつまでも全裸で仁王立ちしている訳にもいかないだろう。平日の日中ならリタイアした年配者たちの姿を見掛けるだけだが、土曜日の昼前だ。これから利用者が増える時間帯でもある。羞恥から来る感覚ではないが、あまり目立つ事はしない方がいいと、咄嗟に考え付くのは、探偵と言う稼業が板に付いてきたからかもしれない。



 新宿通り沿いにある飲食店は入口に作ったその行列で、ランチタイムだと言う事を教えてくれる。行列に並んで昼飯でもと思いもしたが、ジムの後なのに腹は減っていなかった。


 新宿通りをぶらぶらと歩き、新宿一丁目西の信号に足を止める。いつもなら信号が変わるのを待って、新宿通りから仲通りへ入るところだが、赤信号に止まった足は、何故か右へと向きを変え、一歩、二歩と歩き出していた。依頼と捜査を切り離した、ほんの数分前の考えも、無意識下では抑制が効かなかったのだろうか。


 一つ目の信号を左へ曲がり、数百メートル進めば仲通りだ。だがそれは無意識下で新宿公園へと誘うものでもある。


——パトカーか。


 通りに四台並んだパトカーに思考を意識下に戻される。通りにはバリケードは見えなかったが、パトカーの先、公園の入口にバリケードテープの黄色が見えた。


「おい、辻山じゃないか」


 並んだパトカーの横を過ぎ、公園を埋める警察官達を横目に通り過ぎようとした時。聞き覚えのある皺枯(しわが)れた声に呼び止められた。バリケードテープを潜り、軽く手を挙げる男。


「あっ、永井さん。お久しぶりです。昨夜の事件ですか?」


「さすがに話が早いなあ」


「いや、今この近くに住んでいるんで、さすがに昨夜の騒ぎは知っていますよ」


「おお、そうだったな。この辺で探偵事務所をやっているんだったな。長谷沼から聞いているよ」


 余計な事を話していなければいいが。ふと浮かべた君生の顔をバリケードテープの向こうに探してみたが、その姿は見えなかった。


「長谷沼ならそのうちここに来るさ。もうそろそろ会議も終わるだろうし」


「会議って、この事件の捜査会議ですよね?」


「ああ、そうだよ。今朝一番で捜査一課の連中が来て、本部が立ったよ。長谷沼も気の毒に、これから駒としてパシリだよ」


「合同本部ですよね? 永井さんは?」


「俺か? 俺は外れたよ。それよりコーヒー付き合ってくれよ。ちょうど休憩しようと思っていたんだ」


 永井が指差したカフェはこの新宿二丁目では有名なカフェだ。有名と言っても一般的に有名な訳ではなく、この界隈で有名と言うだけだ。男同士のカップルが気楽に入れる店とあって、昼夜を問わずそんなカップルで溢れた店に女性客の姿は殆ど見えない。そんな店に五十を過ぎた永井と二人で入る事に気後れするが、永井の足は既にカフェへと向かっていた。


「俺、ケーキ選んでから行くから、先に座っていてくれよ」


 ドアを開けるなり、ショーケースのガラスに額を付ける永井に驚かされる。ただ五十を過ぎた親父が色とりどりのケーキに目を輝かせても、この店では不自然ではなく、誰の目に留まる事もない。


「それで外れたって何でなんですか?」


 何かをやらかしたなんて話は耳に入ってきていない。それに一年前までの話ではあるが、よく知る永井は真面目だけが取り柄のような人間だ。三人もの被害者を出した連続殺人事件。人手なんて幾らあってもいいはずだ。


「十七年前の一件だよ。あの転落事故の担当は俺だった。長谷沼から最初に聞かされた時は、本当にびっくりしたさ。あの時の少年のうち二人が殺されたって言うんだからな。でも、たまたまだって、偶然だって、長谷沼を相手にしなかったよ。今野と高橋は大人になっても交友を持っていたみたいだしな。よくつるむ二人が殺されただけだって。それがこのザマだよ。まさかあの時の三人が全員殺されてしまうなんて。まあ表向きは十七年前の担当が俺だったから、俺も関係者だって、上の判断はそう言う事だ」


「何か理不尽ですね」


 永井が選んでいたモンブランとコーヒーが届く。


 その時ちらりと盗み見たウェイターの顔に自然と頬が緩んだ。永井には気付かれていない。モンブランのセロハンを舐める永井の後ろにある大きな鏡。気付かれていないなら、次の言葉を待ちながらそこに映るウェイターをゆっくり堪能する事が出来る。


 二十代前半くらいだろうか。コーヒーを運ぶ時に視界に入った筋肉質な腕と、いま鏡に映る色白で幼い顔立ちのギャップはいつまでも見惚(みと)れる事が出来る。だがモンブランにフォークを刺した永井にそんな時間を遮られる。


「いや、表向きはだ。建前は、だよ。十七年前の担当は俺だ。今野と高橋の殺害の時点で俺が気付いていれば、河野まで殺されなくて済んだだろう。上の連中の考えなんてそんなところさ。誰かに落ち度を見出したいのさ」


「それこそ理不尽ですね」


「いや、いいんだ。長谷沼のように捜査一課の連中のパシリにされるのは御免だし、俺にとっては逆に良かったんだ。殺人事件の捜査に費やしている時間なんて勿体ないからな」


「何か、別の事件でも抱えているんですか?」


「いや、事件ではないんだが……」


 あんなに真剣に選んでいたケーキなのに、フォークを刺しただけで、永井はまだモンブランを口に運んでいない。


「事件でないなら、何なんですか?」


——毎日毎日急いで帰るんですよ。


 ふと君生の言葉が(よぎ)る。


 真面目な永井の事だから、勤務時間は刑事としての役目をしっかりと果たしているはずだ。そうなれば勤務時間後? 事件でないなら何に時間を費やしているのだろう。


「永井さん、何かあるんですね? 事件ではない何かを勤務時間後に探っているとか?」


「さすが辻山だな。少し喋っただけで全てお見通しって言う顔だ」


 永井がテーブルに置いたスマホの画面を中指で軽くタップする。


「こいつだ」


「えっ?」


 タップされたスマホ画面には十二時十分を示す数字が大きくあるだけだ。いや、大きな数字の下、待ち受け画面には輪郭しか確認できないが若い男の顔がある。


「息子だよ」

 

 永井がスマホ画面を何度かタップし、若い男の画像をこちらへ向ける。


「息子さんなんですか?」


「ああ、去年の秋から行方不明でな。家に帰っていないんだ」


「息子さんが失踪したって事ですか? 家出とか?」


「いや、家出ではない。間違いなく家出ではないんだ。一人暮らしだったし」


 永井の話は単純だった。だが単純だからこそ、突破口が見つからないようだ。

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