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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
6th Cinema 『シングルマン』
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Scene 3


「ねえ、ねえ」


 口に指でバッテンを作ったままの直樹が小さく呼び掛けてくる。


「何だ?」


「あたしのお口チャック、って、言うか今はお口ミッフィーだけど。解いてくれない? お願い」


 少しは教育が行き届いてきた事に、「ああ」と小さく返事をする。


「やっと解いて貰えた。で、今、通帳の中が見えちゃったんです。すごいゼロがいっぱい並んでいて驚いちゃいました。蔵前さんって、このお金の流れ、把握しているんですか?」


 何だ金の話か。折角解いてやったのにその(いや)しさにげんなりさせられる。


「把握と言うか。この通帳は、つい先日、私の元に送られて来たばかりです。私どもはワーリン・ダーヴィッシュとして法人で口座を持っておりますが、この蔵前蓮名義の口座から何度か振込がありました。それと、私どもは世界中からの寄付金で賄っておりますが、法人の口座に寄付金が振り込まれた期日に、同じ金額がこの蔵前蓮名義の口座にも振り込まれていました」


「……って事は、寄付金は法人とこの個人口座に分けて振り込まれてきたって事ですよね」


 直樹が身を乗り出す。


「ここからは私の憶測でしかありませんが。ルーミー個人が自由に使えるものとして、この補佐の個人口座があるんだと思います」


 蔵前の目が遠くなる。そんな蔵前の素振りに身を乗り出した直樹が一早く反応を示す。


「蔵前さんは納得していないんですか?」


「と、言いますと」


「だって。びっくりする位ゼロが並んでいましたよ。めちゃくちゃお金持ちじゃないですか。世界中から寄付が集まって、法人名義の口座でこの団体が維持できて、更に個人名義の口座ですよ。ルーミー個人が自由にって言っても、名義は補佐である蔵前さんじゃないですか?」


「やはりそう捉えられますよね」


 憔悴しきった表情の理由。蔵前の一言に、教団が今ある姿と蔵前が持つ理想とのギャップを教えられる。


「……前城代表が大きくしたこのワーリン・ダーヴィッシュに私は興味がありません。私の興味はルーミーが残した教えだけです。ルーミーの詩を読み解きそれを伝える事。またセマーは教えの伝播に必要な物です。父が目指したものもそこにあったはずです」


「では、お金は必要ないと?」


 君生が数分ぶりに口を開く。蔵前に標的を絞る事は諦めただろうか。もしまだ諦めきれないでいるなら、神へ続く道は一生開かれないだろう。今こそ別のアプローチだ。


「いえ。この団体を維持するために最低限は必要だと思います。ですが最低限です。その最低限は教えを伝播(でんぱん)するだけで不随してきます。必要以上のお金を目的として存在すべきではありません」


 蔵前への印象を変える事など出来ない。ぶれない芯を見せられた今、殺人犯のもう一人だなんて、誰が考え付くだろうか。


「もう一つ伺っていいですか?」


 目を輝かせる直樹。単なる興味から放たれたものではないように見える光。


「蔵前さんはルーミーのため、ルーミーと言っても、ジャラールッディーン・ルーミーではなく、高幡颯斗氏です。蔵前さんはルーミーのために死ねますか?」


「ええ、勿論」


 即答だった。


 何故そんな事を確認するのか。直樹の意図は見えなかったが、語り出した蔵前にルーミーに寄り添う者の使命が見えた。


「前にお話したかと思いますが、颯斗と言う名前はトルコ語で#人生__・__#を意味する Hayat から来ています。私はルーミーに名前だけではなく#人生__・__#も差し上げました。私の死がルーミーに必要であるなら、私の命など惜しくはありません。ですが、神に背いてまでルーミーが私の死を必要としない事も知っています。ルーミーが私の死を必要とする時。それは神が私の死を必要とする時です」


「ありがとうございます」


 何故か晴れた顔を蔵前へ向ける直樹。


 蔵前にとってのルーミー、高幡は、前城にとっての成田だ。前城も成田の為ならば命を差し出したせたのだろうか。


——動機。


 そうだ。成田の為に殺人を冒す事すら、前城にとっては使命と受け止められるものだ。成田には充分な動機がある。三人の、いや四人のホモ狩り犯のせいで、愛する男が歩道橋から転落し死亡したのだ。復讐を企てるには充分な動機だ。死んだ成田の動機を、忠誠を誓った前城が引き継いだとしても何ら不思議はない。


 それならば何故十七年も経ってからなのだろう。復讐と言うのなら、十七年も待つ必要はない。やはり更に疑問点を増やすだけなのか。いや、そうじゃない。


「蔵前さん。私にも一つ教えて下さい。入神——。そう先日教えて頂いた入神性交によって……、入神を繰り返す事によって……、記憶障害が進んで行くと言う事はありますか?」


——解離性障害。


 享が医師にそう診断されたように、成田も記憶に障害を持っていたなら、復讐を企てなかった十七年の説明は付く。


「そうですね。代表の高幡を見てきた限りそのように見えます。入神性交を繰り返すたび記憶が薄れていくと言うか白紙に戻ると言うか」


 永井の待ち受け画面にあった享の顔がふと浮かぶ。


「それでは享君は、いえ、高幡代表は今も、入神性交のたび記憶を白紙に戻しているんですか?」


「いえ。これは私の一存で決めた事ですが、高幡代表にはルーミーになって以降一度も入神はさせていません。入神しない事で記憶障害を治す事が出来ればと。永井さんにも早くお会いして頂けるよう、高幡代表の記憶を取り戻す事も私の使命だと考えます。少しずつですが代表の障害も良くなってきているかと」


 ふと浮かんだ享の顔が、さっき窓を見上げていた永井の顔に取り替わる。享の記憶は少しずつではあるが、取り戻されつつある。そうであれば成田が十七年も記憶に障害を持っていたと言うのは無理な話なのだろうか。


「前城代表の記憶も同じだったのでしょうか? 十七年前から少しずつ取り戻していった?」


「それは分かりません。ただ高幡代表に入神をさせていないのは私の一存です。ですが前城代表は去年の秋まで入神性交を繰り返してきました。世界中にルーミーの座を狙う者がいます。そう言った者に力を示すため入神性交を繰り返されてきました」


「去年の秋?」


「ええ。長年の入神性交の影響だと思いますが、記憶だけではなく心臓にも影響があったようで、去年の秋、急性の心臓発作で倒れました。それ以降は前城代表も入神をしていなかったはずです。心臓への負担が大きかったと言うのは確かなようで、高幡代表との入神性交により前城代表は亡くなったと聞かされています」


「聞かされています?」


 小さく引っ掛かるものはあるが、これで確信が持てた。


 成田も去年の秋までは記憶に障害を持っていた。だが入神性交から離れ、十七年前の記憶を取り戻した。蘇らせた記憶——。


 それは恋人の転落死であり、恋人を死に追いやったホモ狩り犯達だ。だがそれだけではない。前城一樹だ。ホモ狩り犯の一人が、補佐としてすぐ側にいたのだ。今野、高橋、そして河野。この三人を死に追いやったのは、成田の復讐心によるものに違いない。そして死亡した成田に代わって、使命を貫いた前城が手を下したのだ。真相を言い当てている事は確信が持てる。だが犯人は二人だ。前城のスマホに反射した白いスカートの男。


「ねえ、お墓参りだけど、やっぱり早く行きましょうよ。成田和弥の魂を早く鎮めてあげないと」


 直樹の提案に思考を見透かされたような気になった。まるで幽霊となった成田が三人を殺害したような口ぶり。前城のスマホに反射したものは白装束に身を包んだ成田の幽霊だとでも言いたいのだろうか。


 だが墓参りは小峰駿との約束である。


——すぐに。


 そんな副詞を口にしたように、小峰の決着のためにもすぐに取り掛からなければならない用件である。

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