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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
5th Cinema 『ミュージックボックス』
36/44

Scene 6


「まじで?」


 カウンターの上に並べた札束に樹がぽつりと吐く。


 樹の手を引いたまま急いで店に戻り、開けた黒い鞄の中には予想通りの札束があった。


「五千万だな」


 並べた束は五十。見た事のない光景に目が丸くなるが、樹にとってはさらに上をいく驚きだろう。父親からのメッセージに従って手に入れてしまった大金。


「辻山さん、どうしよう」


「どうしようって、樹の親父からの誕生日プレゼントって事だろ? 誕生日プレゼントにしちゃ、とんでもない額だけどな」


「何だ、いるじゃない!」


 店のドアが開き、声が飛んできた。


 その声の主が直樹だとすぐに気付けたが、並べた札束を鞄に戻す時間はなかった。咄嗟に全身でカウンターを覆い、札束を隠そうとしたが、それも無意味な抵抗だった。


「えっ? 何?」


 しっかりと札束を目に収めただろう直樹が奇声を上げ騒ぎ始める。


「おい、説明するから大声出すな。それと店の鍵を閉めろ!」


 直樹へと強い口調で命令し並べた札束を鞄へと戻す。


「これは樹の金だ」


「えっ? 樹? ああ、マカロンの子ね」


 ようやく樹の姿が目に入った様子の直樹だったが、その思い出し方に小さな苛立ちを覚える。


「何がマカロンだ。失礼な奴だな」


「あっ、樹です。お久しぶりです。マカロンのお兄さんですよね?」


 直樹へ振り返り挨拶をする樹。樹にとっては直樹の言動が失礼に当たらなかったようだが、小さな懸念が生まれる。お互いをマカロンで覚え合う二人。まさか樹も同じタイプの人間なのか?


「ナンバーワン調査員の直樹です」


 二十歳の樹に張り合ったところで勝ち目などないのに、その声はいつも以上の高いトーンが保たれていた。


「それで?」


「何がそれでだ?」


 直樹に向き直られ目を逸らす。巻き込む訳にはいかないなんて気はないが、掻き回される訳にはいかない。だが目を逸らす事で(かわ)せるかと思った甘さも二秒と持たない。


「お前には関係のない話だ。だけどお前の事だからしつこく詮索してくるだろう。……樹、こいつにも話して大丈夫か?」


「えっ、大丈夫ですよ」


 直樹を不審がる様子は見えない。


「まあ、一言で言えば、樹のもとに父親から誕生日のプレゼントが届いたって事だ」


「父親? 誕生日プレゼント? 幾らあるか知らないけど、そんな大金? ちょっと待って。えっ? 誕生日だったの? おめでとう。で、その父親って?」


 端折(はしょ)って簡単に説明しすぎた事に、余計な想像を掻き立ててしまったようだ。直樹の頭の中で膨らみつつあるものは押え付けなければならない。


「面倒臭い奴だな。ちゃんと説明してやるよ。樹の元に父親だと思われる人物からメッセージが来たんだ。そのメッセージには東南口のコインロッカーへ行けって。番号は樹の誕生日だって。で、さっき二人で東南口に行って来たんだよ。樹の誕生日は四月一日だ。041のロッカーに0401の暗証番号を入力したら、まんまと開いて、この金が出て来たんだ」


「初めからそう説明してくれればいいじゃない。それでお父さんにはお礼をしたの?」


「お前なあ。そんな時間ある訳ないだろ? 店に戻って鞄の中の金を確認しているところに、お前がどかどかとやって来たんだから」


「どかどかって何か失礼ね。まあ、いいわ。それでどうするの?」


 どうするも何もこの金は樹の金だ。こんな大金を目にして樹自身驚いてはいるが、使い道は樹の未来のため以外にはない。それがメッセージを送ってきた父親の望みである事も間違いはない。


「辻山さん、俺、どうすればいいんですか?」


 直樹の余計な一言が樹を混乱させてしまっている。


「この金は樹の金だ。好きに使えばいいんだ。二歳の時だっけ? 父親がいなくなったのって。お前の父親にとっての罪滅ぼしじゃないのかって、俺は思うけどな」


「えっ、やだ。いっ君のお父さんって失踪中なの?」


 何がいっ君だ。馴れ馴れしい奴め。直樹を遠ざけなければ樹の混乱が収まらない事は分かっているが、簡単に首を引かないその性格もよく知っている。


「もういいだろ? これ以上関わるな。さっさと帰るか、デリバリーに行って来いよ」


「ねえ、あたしいい事思い付いたわ! ねえ、いっ君。お父さんを探しましょうよ。秀三は探偵で、あたしはナンバーワン調査員。そんな大金あったら、調査費だって問題なく払えるでしょ? ね、名案じゃない?」


「おい、直樹、やめろ」


 唐突な提案は直樹の考えであり、樹の考えに沿えているかは分からない。


「……父親って言っても、顔も名前も知らないし。いきなり変なメッセージが届いて、辻山さんと一緒にロッカーに行ったら、こんな大金出てきて、俺にも父親って存在していたんだくらいの感覚しか湧いてこなくて」


 樹の本心だろう。


 全てが突然降って湧いた事で、すぐに消化しろと言っても無理な話だ。それなのに勝手に話を進める直樹のデリカシーのなさに辟易(へきえき)する。樹にしてみれば、自分を捨てたと言う思いもあるだろうし、父親がいなくてもここまで成長したと言う自負もあるだろう。


「探す、探さない、会う、会わないじゃなくて、父親の存在を知っておく事は必要な事だと俺は思う。その存在をこうして知れたんだ。今はそれで充分じゃないのか」


 まだ二十歳になったばかりの樹を年長者として先導する義務はあるだろう。そんな義務感が吐かせた言葉に直樹は心を改めたようだ。


「あたしったら、本当にごめんなさい。ほら、秀三が何も話してくれないから、あたしって、いっ君の事何も知らないでしょ。本当にごめんなさい」


「大丈夫です。やっぱり父親の顔も名前も知らないのって変ですよね。今まで必要ないって思ってきたから、でも辻山さんが言うように、やっぱり知っておくべきなんですよね」


「樹、すまない」


 何に対しての謝罪なのかは自分でも分からなかったが、たかだか二十歳の男に無理をさせてしまっている事に情けなくなったのは確かだ。


「弟に聞いてもらいます。俺、家出てから母親と連絡取ってないんですよ。でも弟とだけは連絡取っていて。父親の名前は? なんて今更母親に聞けないですし、直接連絡も取りたくないんで、弟に聞いてもらいます。直樹さんが言うように、もし探すとなっても、名前も分からないんじゃ、どうしようもないですもんね」


 無理に作られた樹の笑顔が刺さる。掛ける言葉もなく、ただスマホを手にした樹を見守る事しか出来ない。父親はおろか母親の存在すら消して生きてきた樹。弟を介す事が最善策なのだろう。父親の存在を知っておく事は必要だなんて軽々しく口にしたが、樹にとってのハードルは決して低い物ではない。


「なんかあたしが出しゃばっちゃったばかりに本当ごめんなさい」


「気にしないでください。それにこんな大金いきなりだし」


 そうだった。五千万円だ。樹の父親がどんな人物なのかは分からないが、五千万円もの大金をコインロッカーに託し、息子へと渡したんだ。幾ら二十歳の誕生日だと言っても、本人に会わずそんな大金を渡してくるなんて、何か事情があるに違いない。


——どんな事情だ?


 よくよく考えてみれば違和感しかない話だ。


「親子って言っても、例え血の繫がりがあったとしても、自分ではない人間に変わりはないんだし、まずは自分を大事にしてね。あたしが出しゃばっちゃったけど、いっ君の気持ちで動けばいいと思うの。父親の事を知りたいって思えば、知ればいいし。なんかあたしが言うのも今更だけど」


 フォローのつもりだろうが、本当に今更だ。


「いえ、今まで考えた事がなかったって言うか、考えないようにしていただけかもしれないんで、そう言えば俺、父親の名前も知らないやって思ったら知りたくなりました」


「そう言ってもらえて本当に良かった。もし何か()からぬ事情があって、いっ君が嫌な思いをする事があっても、あたしや秀三もいるから大丈夫よ」


「おい! 何を馬鹿な事を! 善からぬ事情ってなんだよ!」


 確かに五千万円もの大金だ。善からぬ事情が潜んでいるかもしれないが、それを軽々しく口にすべきではない。


「そうですよね。こんな大金だし、何か悪い事をして手に入れたお金かもしれないし。……辻山さん、ちょっとトイレ借りますね」


 スマホを手にしたままの樹が立ち上がる。


 何気ない一言のせいで傷付けてしまっただろう事に、途轍もない後悔が押し寄せる。余計な事をべらべらと喋るな! 樹がトイレに入ったところを見計らい、直樹に怒鳴りつけてやろうと思ったが、トイレの手前、ホワイトボードを前に樹が足を止めている。


「そのホワイトボードを少しずらせば、トイレの扉は開くから」


 その背中に掛けた声の通り、ホワイトボードをずらす樹。オーナーが運び込んだ大きすぎるボードはやはり迷惑でしかない。


「おい、直樹、余計な事をべらべらと喋るな!」


 樹がトイレへと消えた事でようやく直樹を怒鳴りつける事が出来る。


「だって、いっ君がさっき言っていたように、悪い事して手に入れたお金かもしれないじゃない? それにふと思い出しちゃったのよ」


「何を思い出したんだ?」


「何をって、ここで観ていた『ミュージック・ボックス』って映画」


「また映画の話かよ!」


 大きな声を出せば、トイレに行った樹の耳にも届いてしまうだろうが、くだらない話を思い出す直樹を制止せずにはいられない。だがそれは少し遅かったようで、トイレのドアを背に樹が申し訳なさそうな顔を向けている。


「本当、すみません。俺のせいで二人を喧嘩させたみたいで」


「樹のせいじゃないから。こいつはいつもこんなんなんだよ」


「そうよ。あたしが映画の話をすると、いつもすぐに怒るのよ。感じ悪いでしょ」


「ミュージック・ボックスって言っていましたよね?」


 放った怒鳴り声だけではなく、直樹の声までトイレの中に響いていたようだ。話が逸れる事で少しでも樹の気休めになるなら、思い存分語らせてやるが、その答えがどう転ぶかなんて、今は言い当てられない。それに樹の考えが全て透けている訳でもない。ふと目を閉じれば肌の感触は思い出せるが、肌は肌だ。それは表面であり、樹の内側に触れた事などまだ一度もない。


「ミュージック・ボックスってオルゴールの事ですか?」


 ソファに腰を落とした樹。軽く触れ合う太腿の感触は伝わるが、やはりそれも表面であり内側を触れる事は出来ない。そんな樹の視線の先、直樹が答える。


「そう。オルゴール。(しち)に入っていたオルゴールを取りに行くと、オルゴールの中から真実が出て来たのよ」


「何でそんな事をいきなり思い出すんだよ?」


 樹への害はないように思え、さっき答えを導かなかった疑問を口にする。


「前に話したわよね。ユダヤ人の迫害の罪で訴えられた父親を娘が弁護する話。弁護士の娘が父親の無罪を信じて裁判に挑む話だって」


 少しの概要でその結末が見えてしまった。


——善からぬ事情。


——オルゴールの中の真実。


 きっと娘はそのオルゴールの中に父親の無罪を覆す真実を見つけてしまったのだろう。ただ樹はまだそこまでの深読みはしていないようだ。


「もう映画の話はいいだろ」


「そうよね。その鞄の中に入っていたのは大金で、オルゴールなんて無さそうだし」


「そんな物は入っていなかった。こじつけはそれくらいにしておけ」


「はぁい」


 間の抜けた返事を聞きながらも、カウンターの上に置かれた黒い鞄に神経を尖らせる。幾つもの札束に目を奪われて、よく確認しなかったのは確かだ。


「樹、もう一度鞄の中を見てもいいか?」


 返事を待たずに鞄を引き寄せ、さっき慌てて閉めたファスナーを開ける。再びお目見えしたその札束に、自分の金でもないのに直樹が目を輝かせる。


「こんな沢山の諭吉さん見るの、あたし生まれて初めて!」


「五千万だ」


「五千万!」


 輝かせた目を丸くした直樹が鞄の中に手を伸ばす。


「おい、お前の金じゃないんだ!」


「そんなの分かっているわよ!」


 直樹の指先が鞄の内ポケットから白い封筒を引っ張り出す。


「これが見えたのよ!」


「手紙か?」


 樹の父親が金と一緒に手紙を添えていても、何の不思議もない。直樹の手から封筒を奪い取り、樹へと差し出す。だが樹は封筒へ手を伸ばす事はせず、スマホを睨み、一度も見せた事のない形相をしている。


「おい、樹。どうした?」


「あ、ごめんなさい。弟から返事が」


「ああ、そうだったな」


「ねえ、辻山さん。あのホワイトボードって……」


「ああ、あれは今追っている事件だ」


 樹の顔が見る見る蒼くなっていく。


「どうした?」


 聞いてはみたが、その蒼い顔が放つ視線は、手にしたスマホ画面とホワイトボードの間を、行ったり来たりしているだけだ。弟からの返事は何だったんだ? 了承も得ずスマホを奪い取る。

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