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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
5th Cinema 『ミュージックボックス』
33/44

Scene 3


 三度目のワーリン・ダーヴィッシュの庭だった。


 蔵前から聞かされた話のせいで、この教団に何か神秘性を感じるようになったのは確かだが、目の前に広がる庭に持てる印象はさほど変わらない。


「えっ? 永井さん、何をしているんですか?」


 変わらないと思えた庭には先客がいた。だがその先客は客と言うより、住人のように馴染んだ光景を作っている。庭の隅にしゃがみ、何やら手入れを手伝う永井。初めてこの庭を訪れた時に、直樹が撮影会を始めた、あのチューリップの花壇の辺りだ。


「球根を育てるのに花首を切るって言うんで手伝っているんだ」


 永井の答えは微妙にずれていた。この庭で何をしているかを聞いた訳ではない。どうしてこの庭にいるのか。その答えが欲しかったのだ。だがその答えは隣に立ち、同じように永井へと目を落としていた君生が提示してくれた。


「享君の様子を伺いに顔を覗かせているそうです。まだ享君の記憶は戻らないので会わせては貰えないそうですけど」


 君生の声が届いたのか、永井が少し照れ臭そうに顔を背ける。


 その背けた視界の先、しっかり(しお)れてしまったチューリップの花首に(はさみ)を当てている。顔を背けた永井だがその表情に曇りはない。どんな形であれ、享の居場所が分かり、そのすぐ近くにいられるのだ。今は安心感に包まれているのだろう。


 そんな永井の側で作業をする男には見覚えがなかった。蔵前よりさらに若く見える男だが、纏った白装束からこの教団の人間である事は分かる。


 永井と白装束の若者の作業に目を落としながら、蔵前が現れるのを待つ。突然の訪問に待たされる事は承知していた。だがそんな時間も永井らの姿に苦痛ではなかった。庭の手入れに精を出す永井に何故かこっちまで安心感を覚える。若い男に指示を仰ぎ、順に花首に鋏を当てていく永井。


 そんな穏やかな時間を、キーッと、けたたましい音が邪魔をする。明らかに油が足りないだろう不快な音。その音が自転車のブレーキ音だと判った時、シャッターの隙間、自転車に跨る直樹の姿が見えた。


「やっぱりここにいた。みんなしてあたしを置いていくなんて酷いじゃない! フーデリの途中で暇になったから、秀三の所に寄ったのに誰もいないし。まさかと思ってここに来たらやっぱり。ねえ、分かっている? 新宿からここまで五キロちょっとあるのよ。それをたったの十五分で来たんだから、あたしがどれだけ必死にペダルを漕いできたか。ねえ、分かっている?」


 息を切らしながら捲し立てる直樹。そのずれた怒りの矛先に言葉を失う。大人しくデリバリーをしている直樹にわざわざ報告する必要はなかった。ただ成田和弥の墓の所在を聞き、前城一樹の写真を見せに来ただけだ。だがそんな言い訳をしても荒くなった鼻息は戻らないだろう。


「すみません。お待たせ致しました」


 ドアが開き、蔵前が姿を現す。救世主の登場だ。


「申し訳ない。今遅れて一人到着致しまして、あのドアを開けて頂いていいですか?」


「ああ、新井さんですね。どうぞ。今は鍵が掛かっていませんから、そのままお入りください。自転車は庭に入れて頂いて結構ですから」


 蔵前の声が直樹へと向いている。その声に怒りも鎮まったのか、言われるがままドアを開け、自転車を庭へと入れる直樹。いちいち面倒な奴だと思いながらも、その怒りをぶり返させる必要はない。


 そんな直樹に軽く会釈はしたが、しゃがんだままの永井が立ち上がる様子もない。直樹のように何にでも首を突っ込んでやろうなんて気はないのだろう。チューリップの花首を切り終わり、別の花の花首を切り始めている。ただその花の花弁はすっかり茶色に変わり、どんな花を咲かせていたかは分からない。


 蔵前に続き通された部屋は前に通された部屋と同じだった。あの理解し難い話を聞かされた部屋。いや、理解し難いなんて感覚を残しておいてはいけないのだろう。蔵前の話を、このワーリン・ダーヴィッシュを理解しなければ、フィルターが掛かったままで何も見えてこない事は解っている。それにあやふやな質問を手探りでぶつける訳ではない。


「今日はどの様なご用件でしょうか?」


 小さなガラスのカップに淹れられた紅茶が差し出される。成田和弥の墓の所在、それに前城一樹の写真だ。聞きたい事は明確だが、君生も何かしらを抱えているから、こうして足を運んでいるのだろう。目の前に置かれたカップに手を伸ばし、君生へ目配せをする。


「やだ、蔵前さん戴きます。こちらのチャイのカップ、トルコを思い出せて本当懐かしいんですよね」


「ああ、トルコに行かれた事があるんでしたね」


 君生への目配せなど気にする事もなく、直樹が紅茶に口を付ける。


「秀三さんからでいいですよ」


 君生が何に迫るのかは聞いてはいないが、その言葉に素直に従う。


「蔵前さん。私からは二点ほどお伺いしたいのですが」


「ええ、私にお答え出来る事なら何なりと」


「ありがとうございます。まず一点目ですが。成田和弥の、いえ、前代表だった前城一樹氏のお墓は何処にありますか? その所在をお教え頂きたいのですが」


「墓の所在ですか? 勿論、前城の墓もありますが、またどうして?」


 聞き返されてはいるがその目に不信感は見えない。小峰の依頼を素直に伝えれば、納得させる事は出来るだろう。


「先日伺った時にお話しておけばよかったんですが。実は前代表の前城一樹氏の知り合いから依頼を受けておりまして」


「依頼ですか?」


「ええ。こちらでの言葉をお借りすれば、前城一樹氏の現世ですね。成田和弥さんの知り合いから、行方を捜してくれと依頼を受けておりまして。成田さんは前城氏として既に亡くなっていた旨を、依頼人に報告したんです。その際、どうしても手を合わせたいので、墓を探して欲しいと、追加の依頼を受けたんです」


「前城代表の現世でのお知り合いの方なんですね。それならば私からも是非お願いしたいです。私は前城代表の現世について何も知りません。そのような方がいらっしゃるなら、是非」


「ありがとうございます。それでお墓は何処にありますか?」


「山梨です」


「意外と遠くにあるんですね。何か山梨にゆかりでも?」


 それは単純な興味だった。わざわざ山梨に墓を構えなくても、墓地なんてものは都内にも沢山ある。それに世界中の代表となったルーミーの墓だ。もっと便のいい所にあっても不思議ではない。だが山梨と言う現実的な地名を聞けてよかったとも思う。もしここでトルコに墓があるなんて言い出されたら、それこそ小峰への説明が面倒になる。


「山梨にとくにゆかりはないですが、東京近郊で墓を設けられる場所が山梨しかなかったんです」


 蔵前の言葉を理解する事は容易いが、その言葉の意図は理解できなかった。


「東京じゃ駄目なんですね」


「ええ。私達は宗教上、火葬には出来ないので」


「それ聞いた事があります」


 直樹がすぐさま反応を示す。


「イスラムは土葬なんですよね。日本人は九十九パーセント以上が火葬だから、土葬用のお墓が不足しているって」


「ええ、そうです。新井さんの仰る通りです。火葬に出来ないので、このワーリン・ダーヴィッシュの共同墓地も山梨にしか持てなかったようです。東京なら頻繁に墓参りも出来るんですが。父の墓参りすら(おろそ)かになっていて」


「一つ気になったんですけど、初代ルーミーの高幡宗一郎氏って、蔵前さんのお父様ですか?」


 直感をすぐ口にする奴だと、直樹を睨んではみたが、お口チャックだと今日は念を押すのを忘れていた。


「そうです。私が十一歳の時に亡くなりましたが」


「それじゃあ、高幡氏のお墓も、山梨にあるんですね?」


「ええ、私達の共同墓地に」


「やだ、決定よ! 皆で山梨にお墓参りに行きましょう。あたしでしょ、蔵前さん、あと小峰さんね。それに秀三と君ちゃん。あっ、永井さんも一緒に行くかしら?」


「おい、直樹! 何を勝手に!」


 念を押しておけばよかった。とんでもない提案を言い出しやがる。やはり後悔は先には立たない。大きな声を出してはみたが、全く気にする様子を直樹は見せない。


「構わないですよ。大きな霊園ですし、日程を合わせて頂ければ、ご案内させて頂きます。私自身、申し訳ないと思いながらも前城の墓にはまだ参っていないんで」


 とんでもないと思われた提案を蔵前があっさり承諾する。


「申し訳ないです。本当に勝手な事を言いだしてしまって」


「気になさらないで下さい。それで辻山さん。もう一点ですよね?」


「そうです」


 とんでもない提案をする直樹にこれ以上掻き回される訳にはいかない。さっさと用件を片付けていかないと。


「実は蔵前さんに見て頂きたい写真がありまして」


「写真ですか?」


 テーブルに四枚の写真を並べる。だがそんな四枚の写真にも直樹が一早く反応を示す。


「ちょっと、やだ。秀三、何この写真。裸じゃないの!」


 売り専の宣材写真だから仕方はない。だがそんな事をいちいち説明してやるのも面倒な話だ。騒ぎたいなら勝手に騒いでいればいい。


「すみません。こんな写真で。蔵前さんにお聞きしたいのはこの人物です。若い頃の写真なので、今は三十五、六歳になっているんですが、見覚えはありませんか?」


 一番顔が大きく写っている上半身だけの写真を蔵前が手にする。その蔵前に続いて残りの写真を手にする直樹と君生。だが直樹の視線は明らかに強調されたブリーフの股間に落とされている。


「おい、直樹!」


「何よ! 若い子の裸に魅入ったくらいで大きな声出さないで」


「それでこの写真って誰ですか?」


 君生にも情報提供をと思いながら、前城の写真を入手した事はまだ伝えていなかった。


「この写真は……」


 君生に説明しようとしたその時。


「髭面の男ですね」


 蔵前の声に遮られる。


 蔵前には珍しくぼそりと吐かれた声。今まさに頭の中で何かを捲っているような様子だ。


「髭面の男?」


「ああ、すみません。顔は分かるんですが名前を知らないんです。名前と言うものは現世では必要だけれど、このワーリン・ダーヴィッシュでは取り立てて必要としていないんです。子供の頃からそのような環境で育ったので、あまり人の名前を気にしていなくて」


「だからですね」


 直樹が何かを閃いたように口を開く。


「取り立てて名前を必要としていないから、高幡颯斗ではなく、別の名前を名乗っていても蔵前さんは平気なのかなって」


「そうかもしれませんね。ただ高幡颯斗と言う名前はルーミーに差し上げた名前です。颯斗と言う名前はトルコの言葉で"人生"を意味する Hayat から来ているんです。私はルーミーに名前と共に"人生"を差し上げました。私はただルーミーに仕え、このワーリン・ダーヴィッシュが正しい途を進めるよう努めるだけです」


 力強く曇り一つない蔵前の目。このワーリン・ダーヴィッシュが神に通ずる扉だと信じて疑いを持たないのだろう。それを信仰心と言うのであれば、蔵前ほど熱心な信者は他にいないはずだ。


「……それで、その髭面の男ですが」


「ああ、そうでしたね。今日は誰も外出していないので、何処かにいると思います」


 こんなにも簡単に前城一樹に会う事が出来るなんて。思わず小躍りしそうになる体をぐっと押さえつけ、冷静を装う。


「お願いします。こちらに呼んで頂けますか?」


「ええ、分かりました。暫くお待ちください」


 蔵前がドアの向こうに消えていく。そんな蔵前を確認し、「はあっ」と、君生が大きな息を吐く。その息に含まれた苛立ちが、視線までも冷ややかにする。

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