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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
Interlude 『ルーミー』
30/44

Whirling 4


 誰が昼食を運んだかは分からなかったが、亮平は昼食を全て平らげていた。手に取った皿には牛肉の肉汁が乾き、パンが載せられていたはずの小皿には一粒のパン屑も残っていない。床に転がった空のデキャンタにワインも全て飲み乾した事を知る。


 ベッドの上には気持ち良さそうな顔をして眠る亮平だ。飲み干したワインに睡眠を齎された事は一目瞭然だったが、いつまでも眠らせておくわけにもいかない。


「亮平さん。そろそろ支度しますから。起きて下さい」


 肩を揺らすと、その目は一瞬で開いた。


「支度?」


「そうですよ。まず着替えです。そんな皺くちゃな格好でセマーには出られないですから」


 しっかりと(のり)付けされ(しわ)一つない白い装束を手渡す。


「全部脱いでください」


 スカートを捲り上げベッドから足を下ろす。


 亮平が逆らう事もせず素直に立ち上がる。ただ素っ裸で立たされたその姿に何かを思い出したのか、意外な言葉がその口から漏れた。


「なあ、颯斗。俺は誰なんだ? 俺は何者なんだ?」


 白い装束を拡げ、中央の穴に亮平の首を通す。スカートの(ひだ)を整え、ベルトを腰に回したが、亮平が求めているだろう答えは浮かばない。


「誰って、亮平さんですよね」


「ああ、確かにそうなんだけど」


「はい。後はこの帽子とマントです」


「帽子? マント?」


 手渡した帽子とマントに、不思議そうな亮平の目が落ちる。


「これが正装なんです。この帽子は墓石を表しています。黒は死の象徴。黒いマントはお墓を表しています。セマーの始まりではこのマントを脱ぎます。それは墓からの脱出。つまり天国へ向かうための解放を表しています」


「セマーで天国に行くって事か」


「そうです。神と一体化するためです。あっ、アザーンが始まりました。急がないと」


「アザーン?」


 開けっ放したドアの向こう、廊下では既にアザーンが鳴り響いていた。


「礼拝や儀式への呼び掛けです。それではそろそろ行きましょう」


「颯斗も一緒に行くんだよな」


「勿論ですよ。今日は亮平さんのすぐ近くで回ります。亮平さんの力に(あやか)って入神できるかもしれないですし。もし入神できれば私の"人生"は亮平さんのものです」


「俺の力?」


「はい。"私は自分の力でここまで来たのではない"。ルーミーの言葉です。ルーミーも自身の力だけで至るものではないと悟っています」


「それって、どう言う?」


「私は自分で言うのもなんですけど、熱心に修行を積んできました。でも自分の力だけじゃどうしようも出来ない事がある。それはルーミーの教えからも知っています。だから亮平さんの力を借りる事が出来ればなって」


「いや、だから俺にはそんな力なんて」


「大丈夫です。それにもし今日私が入神できたら、亮平さんの十二人目に選んでもらえるようお願いしてあるんです。こんな光栄な事はないです。……それでは行きましょう」


 亮平の手を引き、薄暗い廊下へと出る。そこにはまだアザーンが鳴り響いている。その音を聞きつけ一階へと階段を急ぐ者達の横を、ゆっくりと一段ずつ確実に踏んでいく。今はもう振り向いて亮平の顔を見る事は出来ない。ただランプの明かりが眩しい大広間へと(いざな)うだけだ。


「亮平さん、マント脱ぎますよ」


 それが亮平へと向けた最後の言葉だった。


 脱いだ黒いマントを壁際へと放り投げる。それを真似て亮平もマントを放り投げている。右掌を天に向け、高く上げる。亮平の右手も上がる。左掌を地へと向ける。亮平の左掌も地へと向けられる。


——Be whirling. Whirling.


 それが合図だった。ルーミーの、前城の声に合わせ、大広間に集う修行者たちが一斉に回り始める。ふっと小さく息を吐き、まずは自分の意志で回り始める。


——Be whirling. Whirling.

——Be whirling. Whirling.


 ルーミーの声すら聞こえなくなる時。ただその時を待って、回り続けるだけだ。



 目覚めた場所は見覚えのある自室ではなかった。


 二段ベッドではないベッド。横たわる体に掛けられた白いシーツを剥がす。露わになった自身の姿は予測できる事だが、どうしてベッドに横たわっているのか? それは予測に反する事だった。


 思い描いた天国とはかけ離れた世界。昨日まで生きていた世界と変わらないように見える。ただ天国に来るのは初めての事だ。かけ離れていてもここが天国ではないと言う証明にはならない。


——デキャンタ?


 床に転がるデキャンタには見覚えがあった。思考を深めればその答えも見つかるだろう。だがそんな必要はない。もう死んでいるのだから、あとは神の(つか)いを待つだけだ。


 そうは言ってもどうしてだか頭が痛い。天国に痛みがないと言う証明も出来ないが、神の遣いが来るまで、じんじんと響くこの頭の痛みに耐え続けなければいけないのは、一体何の試練だろうか。一向に良くならない頭の痛みを抱え、ベッドに(うずくま)る。その時。カタッと小さな音が聞こえた。やはりこの天国に試練なんてなかった。


「高幡様、目覚められましたか?」


 頭の痛みに閉じていた目を静かに開く。神の遣いが居るはずの扉の前。そこに立っていたのは神の遣いではなく、髭面の男だった。名前は知らないが顔だけは判別できる男。あの一番髭の濃い男だ。


「どう言う事ですか?」


「どう言う事とは?」


 逆に聞き返される。


「お目覚めになるのをお待ちしていたんですよ。入神性交の後こちらへお連れして、今、物音がしたのでお目覚めになられたんだと」


——入神性交?


 そうだ、亮平さんだ。


「あの、亮平さんは?」


「えっ? 亮平さん? 高幡代表の事ですね。先程、代表になられたばかりで、今はまだ休まれていると思いますよ」


「高幡代表って?」


「ああ、そうでした。高幡様。いえ、今日から蔵前(れん)と名乗って下さい」


「蔵前蓮?」


 その名は幼い日を思い出させるものだ。確か父の補佐を務めていた男の名前が蔵前蓮だった。


「そうです。今日から代表が高幡颯斗を名乗られます。高幡代表は前城代表よりも記憶が不安定な事はご存じですよね? 自身の事を高幡颯斗だと認識しておられます。それは前城代表の事もありますから、お分かりですよね」


「それは分かっているつもりです。それで、前城代表は?」


「つい先程、お亡くなりになられました。高幡代表との入神性交で力尽きられました」


 理解できる事と理解できない事があった。


 亮平さんとの入神性交で前城代表が力尽きた事。新たな代表に亮平さんが就いた事。十二と言う一区切りを終え、亮平さんが十三に進んだ事。それはここが新しい世界である事を意味している。それらは容易く理解できる事だ。それなのにどうして?


「一つ教えて下さい。前城代表は亮平さんとの入神性交のあとお亡くなりになられた。そうですよね?」


「はい、そうです」


「前に処理って言っていましたよね? 十一人です。亮平さんとの入神性交のあと、十一人はみんな亡くなったはずです」


「はい、そのように申し上げました」


「私は十二人目です。何故、私は生きているんですか?」


「それは私に聞かれても分かりません。神のみが知る事です。ただ前城代表の時も同じでした」


「前城代表の時も?」


「私が申し上げられる事は。高幡颯斗と言う新しい代表、新しいルーミーが誕生したと言う事です。もう新しい世界を迎えたのです。神が天に、高幡様を、いえ、蔵前様を受け入れなかったのは、まだ使命があると言う事です。私の使命はここで終わりになります。後は全て蔵前様に託されているのです」


 床に膝を突いた髭面の男の瞳が真っ直ぐこちらを向いていた。その瞳の中に偽りはないように見えるが、もしあったとしてもそれを証明する事は出来ない。ただ髭面の男の言葉を飲み込むだけだ。


——使命。


 神に与えられた使命が何かは分からないが、自分なりに考え出せる事もある。まず記憶の抜け落ちた亮平さんの、いや、高幡代表の記憶となる事だ。そしてこのワーリン・ダーヴィッシュを正しい途へと導く事。神がまだお呼びにならないのであれば、私にはまだ使命があると言う事だ。

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