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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
4th Cinema 『友だちのうちはどこ?』
25/44

Scene 6


「そのルーミーって言うのは?」


 代々木上原の駅前で口を開いたきりの永井が、蔵前の前で初めて口を開く。確かに四日前同じように初めて耳にしたその言葉の意味が分からず、聞き返していた。


「この団体の代表をそう呼んでいるそうですよ」


 君生の説明に永井が大きく頷いている。前城が亡くなり新しい代表が誕生したと言う話は聞いていたのだろう。だがそんな永井が蔵前に大きく目を見開く。


「それでそのルーミーは今どこに?」


「二階の自室におりますが」


「そのルーミーにも話を聞きたいんですが」


「申し訳ありません。それは難しいです」


「どうしてですか?」


「永井さん、ちょっと」


 理由は分からないが、何故か蔵前に食って掛かる永井。刑事としての勘に何か引っ掛かるものがあったのだろうか。


「申し訳ない。どうしてかは分からないが、そのルーミーに何としても会わないといけない。そんな気になってしまったんだ。本当に申し訳ない」


 永井が深々と頭を下げる。


「ルーミーはそれだけ力を持つ方なので、その様な気にさせてしまう事は無理のない事だと理解しております。ですが今、お会い頂く事は難しいんです。このような話を皆さんにするのもなんですが、警察の方なので正直にお話致します。実は記憶に障害がありまして、話をさせて頂ける状態にはありません」


「記憶に障害ですか?」


「ええ。そのため私がルーミーの記憶として今はお仕えさせて頂いています」


 すぐには飲み込めない話だった。確か河野のネット記事には高幡颯斗と書かれていたはずだ。二十八歳。そんな若さでどんな記憶障害だと言うのだろう。だが今欲しい情報はそんな情報ではない。


「そろそろ」


 目配せをすると、君生が大きく息を吸い込んだ。普段の頼りない君生ではない。だからと言って重責に(あえ)ぐような表情を見せる訳でもない。そこには自身の手で何かを掴みたいと言う、ただそれだけの気迫があった。


「それでは本題に入らせて頂きます。私達がこちらへ伺ったのは、河野太一殺害にこちらの団体が大きく関わっていると見込んでいるからです」


「えっ? 私共が殺人事件にですか? 確かに先日お話したように、河野さんが取材に来られた事はあります。ですがそれだけです」


「それだけですか? 実は河野太一殺害の夜、それにその前の週にも殺人事件がありましたが、どちらの夜にも目撃されているんです」


「何がですか?」


「今あなたが着られている白装束と同じ装いの人物です。その装束はスカートになっていると思いますが、二週続けて、殺害の夜に白いスカートの男が目撃されています。先ほどこちらには八十四人の方が修行のためにいらっしゃると仰っていましたよね? その八十四人のうちの誰かが二週続けて殺害現場にいた可能性が高いんです」


 隣にいるからか君生の熱に体温を上げられていくようだった。もし蔵前が何かを知っているなら、君生の熱に(ほだ)されてその何かを話すかもしれない。それ程、君生の言葉一つ一つには着実に核心へと近付こうとする力強さが見えた。


「そうですね。確かにこのような白い装束はなかなかありませんし目立つでしょう。私もニュースで知っただけですが、河野さんが殺害されたのは金曜の夜ですよね?」


「そうですが、何か」


「私共にとって金曜の夜は一番大切な日なんです」


「セマーですよね」


 ずっと黙っていた直樹の言葉に蔵前が静かに頷く。


 自身の団体の誰かが疑われる状況に黙っていられるはずはないが、それだけではない深い悲しみをその目が語っている。


「私共は日々ここで修業をしております。それは多くの書物を読み、神の声を聞き分ける。それも大事な修行の一つですが、それだけではありません。私達にとってのセマーは生命そのものなんです。セマーにより神と一体化する事が私共にとっての修行の集大成なのです」


 力強い声ではあるが蔵前の目にはまだ深い悲しみが灯っている。


 条理である事を不条理と捉えられた者の目だ。それは五日前にふと思い出した映画の主人公であり、新宿二丁目に暮らす自分達にも通ずる目だ。


 映画の少年は子供の世界と言う条理を大人の世界と言う不条理に捉われ翻弄されていた。そして新宿二丁目の中では条理であっても、一歩外に出ればそれは不条理となる事はよく知っている。それは樹が流されたほんの十分の距離でも分かる事だ。蔵前に対してこれ以上の何が言えようか。彼らにとっては最重要視されるセマー。そのセマーが行われる金曜の夜に、白装束を着て新宿で目撃される者がいないと確信を持てるのは、蔵前にとっては条理である。だがそんな条理を君生は受け入れられないようだ。


「一晩中、八十四人全員がこの施設から出ていないとは言い切れないですよね?」


 そんな問いかけに蔵前が答えられなくなる事は考えれば分かる事だ。


「君生、やめろ」


口を挟む必要がないと思いながらも、踏み(とど)まる事は出来なかった。


「すみません。少し話が変わりますが、よろしいでしょうか?」


「何でしょうか?」


 蔵前に構えた様子はない。何を尋ねても蔵前なら正直に答えてくれるだろう。そんな気にさせられる程、その目は澄み切っている。それが神に近い者の目なのかは分からないが、もし蔵前がそう言うのであれば、納得せざるを得ないだろう。


「先日、亡くなられた前城一樹氏の事です。前ルーミーだった」


「どの様な事でしょうか?」


「前城氏はいつルーミーになられたんですか? それといつからこのジャパン・ワーリング・ダーヴィッシュにいられたのですか?」


「前城は二〇〇八年の五月にルーミーなりました。ここに来たのは同じ年の二月です」


「さすが蔵前さん。お詳しいですね」


 口を挟んだ君生にほんの少し考える時間を与えられる。


——二〇〇ハ年二月。間違いなかった。


 前城一樹はあの小峰遼が転落死した日にここに来ていた。


「先程八十四名がここで修業をしていると申し上げましたがその中で一番長くここで暮らしているのは私です」


「それでは現ルーミーの高幡氏よりも長くここにいらっしゃるのですか? それなのに高幡氏がルーミーなのですね」


「そうです。私はただ長くここにいるだけです。今現在このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュで、いいえ、世界中のワーリン・ダーヴィッシュで最も偉大な力を保持しているのは、現ルーミーの高幡です。高幡がここに来たのは去年の十一月の事です。どれだけここで修業を積んだかなど年月は関係ありません。ルーミーとなる者は生まれ持ってその力を持っているんです。高幡はそれだけの力を持っているんです」


「力ですか? それはどの様な力ですか?」


 君生にとって理解し難い、不条理な話になる事は目に見えていたが、蔵前の話の一割も理解は出来ないようだ。そんな君生の向こうで永井の落ち着きが無くなっていく。


「それは入神(にゅうしん)するための力です。どれだけ早くどれだけ深く入神できるか。自身のタイミングで入神出来る者は、それだけ強い力を持っていると言う事です」


「入神ですか?」


 思わず口を突く。君生だけではない。蔵前の話を条理として理解する事を諦めそうになる。


「それって、トランスって事ですか?」


 トランス? 蔵前の話を直樹は理解できたのだろうか?


「そうですね。少し意味合いが違いますが、トランスと捉えて頂いても間違いはないです。一般的にトランス状態を入神状態と置き換える事もあります。#EDMフェス__・__#等でよくトランス状態に陥る若者がいますが、それはエレクトリック・ダンス・ミュージック。音楽に陶酔し、その音楽の力がトランスへと導きます。置き換えて言うならその音楽が私達にとってはセマーになります。私達はセマーの儀式により入神し、神へと一歩近付くのです」


「——去年の十一月。——EDMフェスですか?」


 震えた声を絞り出す永井。蔵前の言葉を拾い永井だけがどこか別の場所に立っている。


「永井さん、どうかしましたか?」


 声だけではなく小刻みに体を震えさせた永井の異変にすぐ隣に座る君生は一早く気付いたようだ。


「……すみません。やっぱりルーミーに会わせて下さい」


 懇願とも言えるその切実な声に蔵前も永井の異変を感じ取る。


「申し訳ございません。先程もお話したように高幡は記憶に障害を持っています。解離性(かいりせい)障害。医師にもそのように診断されています」


「それならその高幡さんの写真はありますか? その高幡さんの顔を見て確認したいんです」


 永井の懇願が続く。


 君生にしろ、直樹にしろ、不安そうな顔で見てはいるが、永井を引き下げる術は持っていないようだ。だがどうしてそこまでルーミーに、高幡に執着するのだろうか。震えた声を思い出す。


——去年の十一月。


——EDMフェス。


 脳裏を強い輝きを持った光が走る。そうだ代々木公園だ。二丁目のカフェでモンブランを口にした永井を思い出す。永井享。去年の十一月、代々木公園で行われたEDMフェスの後、行方が分からなくなった享。


 高幡が失踪した享ではないかと小さな疑いを向けているのだ。いやそれは疑いではなく小さな希望かもしれない。だからと言ってそんな都合の良い話がどこにある? 高幡に会ったとしても希望が打ち砕かれる事は目に見えている。それに蔵前は高幡を記憶障害だと言った。万が一高幡が行方不明になった享だったとしても、更なる試練を与えられるだけではないのだろうか。


「お願いします」


 力ない永井の懇願に蔵前が目を細める。


「すみませんが、私からもお願いします」


 希望を打ち砕こうが更なる試練を与えようが、それが永井の望む事だ。目の前にある箱を開けずに立ち去ること以上の苦痛などない。思わず永井への援護が口を突いた事。蚊帳の外に置かれた君生と直樹が顔を見合わせている。


 確かに二人にはEDMフェスの話をした覚えはなかった。


「申し訳ありませんが、私共ワーリン・ダーヴィッシュはイスラム神秘主義に基づいております。そのため偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)は禁止されております。ご理解頂けるかと思いますが、ルーミーとなった高幡の写真は一枚もないんです」


「そんな……」


 蔵前は充分言葉を選んでいた。だがそんな蔵前の配慮も通じず永井は肩を落とす。


「一枚もないんですか?」


 その理由は分からないにしても、永井の切実さは蔵前にも伝わっているようだ。蔵前がゆっくり宙を見上げ再び目を細める。


「ええ。ルーミーとしてはありません。ですがルーミーとなる前のものでしたら一枚だけあります」


「あるんですね? よかった」


 永井を差し置いてつい前のめりになる。享の件で永井の力になりたいと願う気持ちは確かだ。だがそれだけではない。少しずつ分かり始めたワーリン・ダーヴィッシュと言う団体をもっと知りたいと願う自分がいる。


「私共ワーリン・ダーヴィッシュには現世に別れを告げた者しかおりません。現世を断ち切りそこでようやく修行の途に立てるのです。ですが修業とは簡単なものではありません。長く険しく永遠に続くものです。一度断ち切った現世を顧みないように、(いまし)めの意味も込めて現世での最後の姿を写真に納めます。もし修行の(みち)に迷いそうになったら、現世での自分を手にし奮い立たせるためにです」


「その写真は何処にありますか?」


「ここです」


 蔵前が掛けたチェーンを首から抜き、銀色のペンダントを掌に載せる。


「ここには私の現世での最後の姿が納められています。高幡も同じ形で現世での最後の姿を持っています」


「それじゃあルーミー本人に会わないとその写真も見る事が出来ないと言う事ですか?」


 何の意味も持っていなかった。永井を援護しようと思ったが、結局は何も出来ないじゃないか。前のめりになっていた背中を倒し大きく短い息を吐く。


「いえ、写真のデータは私が管理しています」


「見られるんですね」


 力なさは変わりないが永井の声に明るい色が付いた。


「少々お待ちください」


 ドアを抜け隣の部屋に入った蔵前がノート型パソコンを手に戻る。


「ただ一つだけお約束下さい。ここで写真はお見せしますが、データをお渡しする事は出来ません。先程も申し上げたように私共は偶像崇拝を禁止しております。そのため写真を外部に流出させる訳にはいかないんです」


「お約束致します」


 データなど持ち帰る必要はない。ただ永井の気持ちに添いたいだけだ。


 いつの間にか君生と直樹は立ち上がり蔵前の後ろへと回っている。永井の力ない声に何の反応も示せなかった二人がどうしてそんな素早い動きを見せたのかは分からないが、永井が画面へと首を伸ばし易いよう除けたと考える事も出来る。


 そのファイル名までは確認できなかったが、幾つか並んだファイルの一つを蔵前がクリックする。覗き込んだブルーの画面には幾つもの数字の羅列だ。その数字が日付を示している事に気付くより先、永井が画面を指差す。


「この20241123をお願いします」


 永井が迷わずに指差したと言う事は、本当に高幡は享なのだろうか。唾を飲み込む音が今にも聞こえそうな形相の永井に目をやる。


 永井が指定した数字に、蔵前が白い矢印を合わせる。カチッと言う小さなクリックの音と共に日付が並んだブルーの画面に一枚の画像が映し出される。

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