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二丁目探偵物語 〜White Whirling〜  作者: かの翔吾
4th Cinema 『友だちのうちはどこ?』
21/44

Scene 2


 邸宅を囲む高い壁は二メートル五十センチ程あるだろう。百八十センチを超える背で腕を伸ばしても、その天辺には辛うじて指先がかかる程度だ。真っ白な壁に囲まれた敷地はいったいどれだけの広さを持っているのだろう。


 ちょうど児童公園の向かいに小さなドアがあるが、表札の一つも上がっていない。その簡素さから見ても裏口だと言わざるを得ない。そうであればこの壁を辿って行けば、正面に出られるに違いない。


 不思議な顔をする直樹と君生を従え、白い壁沿いを辿る。車は通れない狭い幅の路地に入り、児童公園の前の通りと並行する道路に出た時。


「あそこが入口ですね」


 君生が通りの先に見える壁の切れ目を指差す。


 白い壁が途切れ、下ろされたシャッターとその横に並んだ大きなドアの前に立つ。


 反対の小さなドアと比べれば、ここが正面である事は間違いない。シャッターと言っても平らな鉄の板が並んだ物ではなく鉄パイプが並んだ物だ。その鉄パイプの隙間から庭の様子は伺える。良く手入れされた庭には名前までは分からないが数種類の花が咲き乱れている。


「ちょっと、秀三。誰の家かも分からないのに、そんな覗き込まないでよ。不審者だと思われて通報されたら困るじゃない」


「何が通報だ。刑事の君生がいるんだ。心配はない。それより表札とかないのか?」


「表札って言うか、ここに名前が書いていますよ」


 シャッターに並んだ大きなドア、その向こうの白い壁を君生が指差す。


「ここです」


 白い壁に何枚も埋め込まれた青いタイル。君生が指差すタイルには判読しにくい飾り文字ではあるが、アルファベットの [g] の文字が見える。五枚、八枚、七枚。三段に並んだ青いタイル。君生の指は真ん中の段の一番後ろを差している。


「J、a、p、a、n。W、h、i、r、l、i、n、g。D、e、r、v、i、s、h」


 声にしてみたところで Japan が日本と言う事しか理解は出来ない。ツアコンとして世界を飛び回っていた直樹に救いを求めたいが、見覚えがない単語なのか、それとも全くの興味を持てないのか、青タイルの中飾り文字の回りにある植物の模様を指でなぞっているだけだ。


「W、h、i。これってまさか河野のダイイング・メッセージですか」


 直樹を真似てなぞる、君生の指先の青いタイルの文字を拾う。


——Whirling


 その言葉の持つ意味など知るはずもなく、ズボンの左ポケットにあるだろうスマホに手を伸ばす。


 Whirling【wɚlıŋ/hwɚlıŋ】(名詞)旋転、旋廻。円または渦巻に回転する行為、または回転するもの。(動詞の原形)→Whirl


 ワーリン。ホワーリン。何と読むのかなんてそんな事はどうでもいい。ただその意味を知りたいだけだ。


——旋転?


——旋廻?


 どう言う事だ。スマホをタップする指をスライドさせる。


「ダーヴィッシュって確か……」


 直樹の指が三段目の青タイルの [D] の文字に触れた時。スマホの中に直樹が口にした単語を見つける。


——Whirling Dervish。旋舞教団。


——辿り着いてしまった。


「おい。ここが、この屋敷が日本旋舞教団で間違いない」


「そうなんですか? このワーリン・ダーヴィッシュが旋舞教団の事なんですか」


「ああ、そうらしい」


 スマホ画面を君生へと向ける。


「ここからは俺に任せて下さい」


 眼の奥の小さな光が一瞬フラッシュしたように見えた。河野のダイイング・メッセージが示していたかもしれない。もしそうでなくても河野がここを訪れ、取材をしていた事は間違いない。河野殺害の、いや河野だけではない。三人の連続殺人事件解決の糸口になるのだ。新宿東署の刑事として君生が自らの手で切り開こうとするのは当然の話だ。


「そうだな。ここはお前に任せるよ」


 ドア横のインターフォンへ君生が指を伸ばす。日本旋舞教団。一体何を語り、何を教えてくれるのだろうか。


 シャッターの隙間に見えた庭に足を踏み入れる。


「ねぇ、見て。もうチューリップが咲いているじゃない」


 最後に庭に足を踏み入れた直樹が真っ先に関心を示したのは、よく手入れされたその庭だった。だがそれでいいと思えるのは、これから迎えるだろう得体の知れない局面に巻き込んではいけない。そんな考えに押されての事だ。もしそれを予感と呼ぶのなら、暗雲(あんうん)立ち込める不吉な予感に他ならない。


「お待たせ致しました。警察の方がどの様なご用件でしょうか?」


 直樹がしゃがんだ花壇の向こう、白い屋敷に似合った真っ白な扉が開き、一人の若い男が現れた。若いと言っても君生くらいだろうか。昨日の夜に見掛けたカズキほどは若くは見えない。もしかしたら黒いスーツと淡いグレーのネクタイが見た目の年齢を引き上げているだけかもしれないが、どちらにしても透き通る白い肌は二十代のものだ。


 そんな若い男がスーツ姿で現れた事に、ここが本当に日本旋舞教団なのかと小さな疑問が生まれる。白装束。そう白いスカート姿で現れてくれれば、そんな疑問を持つ事もなかったのに。


「突然申し訳ございません。こちらは日本旋舞教団でお間違いないでしょうか?」


 若い男のその姿に君生も同じ疑問を持ったのだろうか。だが真っ向から挑んだ君生に、男は柔らかくとても穏やかな声を返す。


「そうですね。そのように呼ばれる方もおられますが、私共ではそのように名乗っておりません。ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュ。これが私共団体の名称です」


「失礼いたしました。それではこちらが日本旋舞教団と呼ばれる事もある団体と言う事でお間違いないでしょうか?」


 君生のしつこさがツボに入ったのか、男が小さく噴き出す。


「そのように聞かれれば、はい。とお答えするしかありませんね。それで警察の方がどの様なご用件で? そちらの方も警察の方でしょうか?」


 しゃがんだままの直樹に若い男が視線を落とす。いつの間にかスマホを取り出し勝手にチューリップの撮影会を始めていた姿には、誰だって怪訝(けげん)な顔を向けるだろう。


「すみません。申し遅れました。私、辻山秀三探偵興信所の辻山と申します。それと私の助手で新井と申します。勝手にお庭を撮影して申し訳ありません」


「いえ、お好きなだけ撮影して下さい。それで探偵さんなんですね。刑事さんと探偵さんが一緒に行動される事もあるんですね」


 男が疑問を持つのも無理のない事だと知りながら、適当な答えを用意する事が出来ない。その疑問は聞こえなかった事にして、ただ申し訳なさそうな顔を男へと向ける。


「申し遅れました。私はこのジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュで補佐を務めております蔵前(くらまえ)と申します。それで刑事さんと探偵さんがお揃いでどの様なご用件で?」


「率直に申し上げます。先日こちらの団体を取材していた河野太一と言う男が殺害されました。蔵前さんは河野と言う男をご存じありませんか?」


「その件でしたか」


 蔵前の口ぶりは大方の予想はついていたと言うものだった。殺害なんて言葉を耳にしても驚く訳でもない。詳細を話さなくとも河野の事件は耳に入っているのだろう。


「よくは存じておりませんが、私共の元に取材にいらした事はあります。ですがここ最近はお見えになっていませんでした」


「それでは蔵前さんも河野とは面識があるんですね?」


「ええ。ですが取材と言っても、私共団体を取材していたと言うより、前代表の取材をされていましたので、私の中では前代表のお客様と言う認識で、詳しくは……」


 右腕に填めた茶色の革の時計に目を落とす蔵前。


「何かご予定でも?」


「ええ。申し訳ありません。今日の夜の便でジャカルタへ行くもので、そろそろルーミーにもお声を掛けないといけない時間でして」


——ルーミー?


 任せるとは言ったものの、初めて聞くその言葉に、君生の前へと割って入る。


「すみません。そのルーミーと言うのは?」


「ああ。当団体の代表の事です。当団体と言っても、このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュだけでなく、世界中のワーリン・ダーヴィッジュの代表でもあります」


「世界中のですか?」


「ええ。三代続けてこのジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュから選ばれています」


「ではジャカルタへも団体のお仕事で?」


 もう少し深くルーミーの事を尋ねたかったところへ、君生の口が挟まる。前ルーミー。前代表と言えば前城一樹の事だ。河野の記事にはそうあったが、それを蔵前の口からも聞きたかった。


「今日から四日だけなので、会合に出席してすぐにトンボ帰りです」


「そうですか。それではお戻りになられてからもう一度伺いますので、もう少しゆっくりお話を聞くお時間を頂けますか?」


「ええ。もちろん。お約束致します」


 蔵前へ会釈する君生に合わせ軽く頭を下げる。と、同時に視界に入った直樹がすっと立ち上がり、蔵前へと向いている。門前払いされる事なく、次のアポまで取れたところに何だ? 思わず直樹の腕を引っ張ったが、その口は既に開いていた。


「あのう。お庭だけじゃなく中も見たいんですけど」


 人差し指の先を真っ白な扉へ向ける直樹。何を言い出すんだと、掴んだ腕に力を入れたが、するりと抜かれる。


「セマーってこんな感じでしたよね? 前に少し観ただけなんでうろ覚えなんですけど」


 扉へ向けていた人差し指を空に向け、するりと抜いた腕を地面へと伸ばしおかしなポーズを取り始める。


「セマーをご覧になった事があるんですね」


「はい。イスタンブールで一度観ただけなんですけど。それから興味持っちゃって」


 さっきまでチューリップの撮影会をしていた男に蔵前は不審な目を向けなかった。直樹が本当に興味を持っているのか、そうでないのかは分からないが、折角の事だ。もう少しこの日本旋舞教団について知りたいと言う気持ちはある。確かにあと四日待てば、蔵前が自ら話はしてくれるだろうが。


「今日は申し訳ないです。私に時間があれば幾らでもご案内させて頂くのですが。次回お越し頂いた時に是非ご案内させて下さい」


 丁重な返しに疚しさは微塵も窺えなかった。単に時間がないと言うだけだ。


「では、失礼いたします」


 蔵前に深々と頭を下げられ、白い屋敷に背を向ける。


「タクシーでいいんじゃないか?」


 井之頭通りまで戻りはしたが、地下鉄に乗る気にはなれなかった。


「そうね。疲れちゃったし」


 君生が疲れたと言うのなら分かるが、何が疲れただ。ずっとチューリップを撮影していただけじゃないか。


「お前も署に戻るんだろ?」


「いや、今日はもう戻らないです。永井さん有給取って休んでいますから」


 永井——。そうだ。忘れている訳ではない。


——永井享。


 だが享には有給を取ってまで行方を捜してくれる父親がいる。今はまず成田和弥だ。永井享も何らかの事件に巻き込まれているかもしれないが、成田和弥が大きな事件に関わっている事は明らかだ。

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