Scene 5
「犯人が複数犯だって、そんな話は出ていないのか?」
「出てないですよ。だって、みんなダイイング・メッセージで頭がいっぱいで。今日も大変だったんですよ。ダイイング・メッセージを読み解くために頭抱えて。犯人が複数犯だなんて発想できる隙間、頭に残っていなかったです」
「ダイイング・メッセージだって?」
君生の口から飛び出した新しい事実に髪の毛が総立ちしそうになる。そんな大事な事を忘れて、直樹のくだらない『探偵物語』の談義に付き合っていたのか。
「きゃっ。ダイイング・メッセージ? 推理ドラマみたい。何でそんな面白そうな情報、隠していたのよ。確かにあたし達部外者だけど、よく慌てもせずに、しれっとした顔でいれたわね。君ちゃん、もしかして演技派女優?」
「俺だって大変だって、すぐ秀三さんに知らせなきゃって、大慌てで署から走って来たんですよ」
「あらやだ、さっき慌てていたのはあたしの歌声が聞こえたからじゃなく、この事を伝えるためだったの? あっ、でもダイイング・メッセージを忘れるくらいの歌声だったって事か。それならありよね」
一人で納得をしている直樹に付き合う暇はない。
ダイイング・メッセージ? 一体、それはどんなメッセージだ?
きつく睨みつけた君生はスマホを徐にタップしている。画面には二本の指で拡げられた画像。俯せに倒れる男。河野太一だろうか。更に頭の横にある右手を、二本の指で拡げる君生。
「ここです」
画面の左に河野の頭が見切れる。拡げられた画像は辛うじて指だと判別できる右手の先。それと見切れた頭との間にある地面だ。
「W,h,i ……?」
スマホを覗き込む直樹が口にする。映し出された地面には確かに薄っすらと、指でなぞられた文字が見える。
「ああ、そう読めるな。それで、このW,h,i が意味するものは分かったのか?」
「頭抱えて読み解こうとして、署内全員で撃沈したんです。だからこうやって秀三さんを頼って来たんじゃないですか」
頼りにされているのは分かるが、どうも腑に落ちない。それはやはりこのダイイング・メッセージを忘れ、『探偵物語』の談義に現を抜かしていた君生の言葉だからだろう。
「何かの単語のスペルなのかしら?」
「この三文字だけじゃ意味を成していないからな。それで、これが何かの単語だとして、思い浮かぶ事はあるか? W,h,i ……」
「そうねえWhiskeyとか、Whisperとか、Whichとか?」
直樹が口にしたウィスキー、ウィスパー、ウィッチ。どれ一つぴんとくるものはない。
「あっ」
その時、君生がとんでもなく裏返った声を上げた。
「どうしたんだ? 急に可笑しな声出して」
「このW,h,i って、……白いスカート?」
「……White?」
君生の裏返った声に浮かんだ単語を直樹が口にする。
——そうだWhiteだ。
ウィスィキー。ウィスパー、ウィッチ。何一つぴんとくるものがなかったが、ホワイトと言う単語に頭の中で何かが大きく弾けた。
「そうだな。よく見ろよ。この河野の人差し指の位置を」
「痛い!」
直樹が覗き込むスマホを君生も覗き込むから、二人の頭がガツンとぶつかる。だが一言発しただけで、直樹は唾を飲んでスマホを覗いている、それは君生も同じだ。
「ウィスキーやウィスパーなら、ⅰの次はsだ。もし河野がⅰの次にsを書こうとしていたなら、もう少し指が右に寄っていてもいいんじゃないか?」
「ですね。この位置からsを書いたら、ⅰに重なってしまいます」
「ああ。だから河野がⅰの次に書こうとしたのはsじゃない。だがtなら?」
「そうね。tの横棒ならもう少し上かなって気もするけど、この位置からsは無理でもtなら書けるわね」
間違いないだろうと言う確信が生まれる。このダイイング・メッセージはWhiteを表している。やはり白いスカートの男の事だろうか。いや、もし違ったとしても、今野と高橋殺害の日。白いスカートの男が目撃されている。他に目撃情報がなくても、河野自身が白いスカートの男を目撃している可能性もある。
——河野自身が目撃?
犯人が白いスカートの男であると示しているのか?
「でもどうしてホワイトなの? 白いスカートとかもっと分かり易く記せばいいのに」
「もう、これだから素人は」
君生が珍しく勝ち誇った目を直樹へ向けている。さっきの仕返しのつもりだろうか。
「分かり易い言葉を残せば、犯人に気付かれちゃうじゃないですか? だからわざと暗号のような言葉を残すのがダイイング・メッセージなんです」
知った風な君生に突っ込みたくはなるが、直樹は君生の説明に納得できたようだ。
「さっき犯人は二人だって閃いて、これであたしも『探偵物語』のひろ子に並んだわって。やっと調査員としての自信を持てたけど、まだまだダメね。もっと勉強しなくちゃ」
「ところで河野は洗ったのか? 何か出て来ていないのか?」
「河野太一、三十六歳。今野と高橋と同じです。あと河野は二人と違って独身でした。離婚歴もなし。家族もいないので職場に話を聞きに行ったんですが」
「何だ? 何か分かったのか?」
「あんまり評判は良くないです。あちこちで恨みも買っているし」
「どう言う事だ?」
「河野の職業は、まあネット記事専門ですけど、いわゆる記者でした。ネット記事なんて次から次に塗り替えられて埋もれていきますから、河野自身、何の責任も持たないで、ある事ない事、取り上げて記事にしていたみたいです。なんで、色んな方面から恨みを買っているみたいでした」
「まあ、そんな恨みの裏付けはお前らの仕事だ。だけど河野が今の仕事で恨みを買っていたって言うなら、今野や高橋には繋がらない」
「そうなんですよね。だから捜査一課の連中は真っ先に小峰駿を疑って、任意同行ですけど話を聞いていましたよ」
「何だよそれ? あり得ないだろ?」
「俺だってあり得ないと思いますよ。もし小峰が連続殺人犯だとして、わざわざ秀三さんの所に事件との関係性を見せつけるような依頼に来ないでしょうから。あ、勿論小峰駿にはアリバイがありました。一課の連中ざまあ見ろです」
「まあな」
たまには尤もらしい事を言うじゃないかと、褒めてやりたくもなったが、既に君生は電モクを手にした直樹に膝を合わせている。勝手にじゃれ合っていればいい。
「おい、お前ら。うるさくせずに静かにしていろよ」
手にしたスマホにはDMに紛れた永井のメッセージが届いていた。
「静かにって、マイク通して歌ったら音が大きくなるのは当たり前じゃないですか?」
「そうよ。マイクなしのカラオケなんて、ひろ子のいない角川映画みたいなものじゃない!」
直樹の例えは全く解せないが、このまま電モクとマイクを奪い取れば、このくだらないやり取りに永遠に付き合わされるだろう。
「分かったよ。だけど一曲ずつだけだからな」
「はい」と、首を振る君生は飼い慣らされた犬そのものだが、いつの間に感化されたのか、マイクを通した大きな直樹の「はい」も飼い慣らされた犬のように行儀が良い返事だった。
まあ二人が歌っている数分の間は我慢して緑茶割りで喉を潤す時間にすればいい。