05.仕組まれた出会い sideリシー
最近ようやく、母から継いだ縫い物の仕事が軌道に乗り始めた。
美しい母だった。しかし、母の魅力はその美しい容姿ではなく、凛と立つ生き様や、ときにどこか遠くを見つめる横顔。
母と娘の暮らしは楽ではなかったが、市井で生きる知恵から上流の暮らしまで不思議なほど母は何でも知っていて、リシーに不自由を感じさせないよう様々な工夫を凝らして育ててくれた。
忙しい合間を縫って、四季折々の花々や慈善で開放される美しい絵画を観に行き、沢山の本を借りてきては読んでくれた。
持っているものすべてを渡したいというように。
いずれは娘が一人で生きていくのを見越したように──
友人に酒席に誘われることもあったが、飲めない体質なのだと言って母は決して酒を口にしなかった。
家でごく稀に一人、杯を傾けているのを知っていたリシーは母になぜ嘘をつくのか問うたが、母は嬉しそうにも悲しそうにも見える表情で微笑むばかりだった。
その日が決まって、暖かくなり始めの花祭りのときであることに気づいたのは、随分大きくなってからだ。
母がいないのに、母と暮らした街に暮らし続けるのは少し辛い。
そう思っていた時に、ふと母の言葉が浮かんだ。
『このお酒は雪解け水で造られているんですって。
いつか、行ってみたいわね』
いま思えばその時、母は父を思っていたのだろう。
そうして、別れを惜しんでくれる隣人や友人に名残りを覚えつつ、リシーは父の領地近くへと導かれた。
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継いだと言っても人の店の一角を間借りし、そこに服や刺繍を置かせてもらうささやかな商いだった。
だが、それらの売上とたまに入る特注の仕事で、リシーが一人で暮らすのには困らなかった。
母のいない寂しさを常に感じながらも、それなりに充実していたと思う。
そんな時、たまたま目にしたリシーの刺繍を気に入ったという客が、急ぎで50枚のハンカチを頼みたいと言ってきた。
リシーの不在時に、間借り先の店主が間に入って話を受けてくれていた。
急ぎだからとその客が示した金額は、相場よりかなり高い。
取引き自体は問題なく進み、商品を納品したリシーは無事代金を受け取ることが出来た。
(これだけあれば、普段買えない等級の刺繍糸が買えるわ。)
リシーは、客の少ない時間を見計らって店を抜けて刺繍糸を買いに行った。
今回の報酬を考えれば欲しい糸はひと通り買えたが、思うところがあり、とりあえず一色だけを買った。
店に戻ると、店主には失礼だが庶民的なこの店構えに似つかわしくない美しい男が出てくるところに出くわした。
手芸屋で見た上等の絹糸のようにツヤのある銀髪を、傷一つ無い美しい指でかき上げる様を天使のようだと眺めた。
男はしばらくの間動きを止め、こちらを睨んだように見えたが、外の光が単に眩しかっただけなのか、リシーが近づいていくと男ははにかむ様に微笑んだ。
男はハンカチを依頼した者だと簡単な自己紹介をすると、この刺繍を贈ったおかげで仕事が上手くいった、良ければ夕食に招待したいと言った。
リシーはやはりかと小さく息を吐いた。
あらかじめ用意しておいた封筒を取り出すと、咄嗟にそれを右手に持ち替えて客に差し出した。
自分の利き手である左手の指に出来た針だこを、見られたくないとなぜか思った。
「報酬はすでにいただいているので過分にはいただけません。お食事も結構です。
そういった商売のやり方はしておりませんので。
気に入ったのならまた商品を買ってください。」
「ああ、誤解させて申し訳ありません。本当に素晴らしい刺繍だったので…
それでは次の注文の打ち合わせを兼ねての昼食はいかがですか?」
そう言われると断りづらく、店主の後押しもあって昼食に出ることにした。
始めに断ったこともあり、気乗りしない昼食だったが、行ってみると思いのほか楽しいひとときとなった。
素性について詳しくは聞かなかったが高位貴族らしい男──キリルは、それまで考えたことも無いであろう刺繍糸の良し悪しやこだわりなどを熱心に聞いてくれ、リシーの方も別世界の夜会での失敗談などを面白く聞いた。
「お昼ならまた会いに来てもいいかな」
「お店が空いている時間なら」
そうして二人はデートを重ねた。
「学校を出てすぐにこの街に越してきたんだけど、住んで一年経ってないから花祭りのお酒はまだ飲めてないの。」
「じゃあ次の花祭りは、成人の祝いを兼ねて二人で新酒を飲もう。」
キリルの耳はなぜか少し赤く染まって見えた。
(どうしよう。もうお酒自体は飲める年齢なんだって、言いそびれちゃった…)
さらに上級の学校に行くことがある貴族は別として、平民は、学校を出た翌年が成人の年齢となる。
実はリシーは幼い頃、言語の異なるこの地に引っ越してきたため入学を一年遅らせて、卒業も一年ずれ込んでいる。
今では両方の言語を操れるし、卒業の遅れに劣等感などを感じたことは無い。
しかし、共にお酒を飲もうと嬉しそうに誘ってくれたキリルを見て、何となく言い出し損ねてしまったのだった。
それがあんな誤解を招くなど、この時は思いもしなかった──
別の日には二人で目的も無く街を歩いた。
通りかかった店に飾ってあった赤い石の指輪を何となく見ていたら、あっという間に目の前に差し出された。
こんな大層なものは貰えないと慌てたが、もう買ってしまったし、自分にとっては大した額ではないから、と言われて恐る恐る受け取ることとなった。
その後も、どちらからという事も無く次の予定を決めては会うことを繰り返した。
キリルに、突然結婚と言われた時、リシーは始めからかわれているのではと疑った。
しかし、真摯な申し出が繰り返されるうち互いを思い合う父一家のことが浮かび、私達もそうなれるだろうかと淡い期待が生まれ始めた。
そうして、花祭りまであと一月となった肌寒い日、リシーは結婚の申込みを受け入れた。




