11.お酒はハタチから
一年に一度の花祭りの季節。
去年は一人、母を思った。
──本当は母がいつもこの日だけ飲んでいた酒を飲んで過ごしたかったが、すべてを失くしたばかりのリシーにはそんな余裕は無かった──
(今年は、一人じゃないわ。)
結婚式を再び挙げると言っても、前回との違いはリシーの父とその家族を招くことくらいだったので、特に大げさな準備などは必要無かった。
相変わらず別々の寝室で休む二人だったが、その距離は随分近づいていた。
リシーは朝食の席で思い切って声をかけた。
「ねえキリル、今日は一緒に今年の新酒を飲まない?」
普段感情を表にあまり表さないキリルは、瞳を珍しく大きく見開いて、一呼吸置いてから言った。
「いいね。夕食の後に飲めるよう部屋に準備しておこう。楽しみにしてる。」
キリルはデザートの果物を口に運びながらリシーをチラリと見遣った。
街から伝わってくる祭りの雰囲気のせいか少し楽しげには見えるが、いたって普段どおりのリシーだった。
(やはり知らなかったのか…)
花祭りで、新酒を共に飲もうと誘うことは、この街では愛の告白と同義である。
結婚前に彼女を誘い、曖昧に微笑まれたことが思い出された。
今回のリシーからの誘いが告白でなかったことをキリルは残念には思ったが、妻と初めて飲む酒が楽しみな気持ちの方が勝った。
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「ねえ、どうしてあんらことしたの?
わたしほんとにあなたのこと、大好きだった。」
少し呂律が怪しいリシーが、大粒の涙を流しながらキリルの頬を両手で挟みながら言った。
始めは丸テーブルを挟んで一人ずつソファに掛けていた二人だが、酒が進むうちにキリルの隣に来て冒頭の行動に至ったのだった。
責められているのだが、リシーの頬は真っ赤で明らかに酔っ払っているし、以前対峙したときのような切迫感はまったく無い。
──むしろ初めて見る酔った姿はこの上なくかわいい…──
結婚前のデートでは、まだ飲める年齢ではないと思い込んでいたから酒は飲んでおらず、こんなことになるなんて思いもしなかった。
キリルに悪戯心が湧き上がる。
「花祭りで新酒を一緒に飲もうと誘うのは『あなたが好きです』っていうことなのは知ってるよね?」
からかうように言うと、リシーはそれまで以上に顔を真っ赤にした。
「う、そ!好きだなんて!そんなつもりはないのよ!
でもあなたは素敵な人だから…ずっと私のことを待っていてくれる優しい人なのは知ってる。
その瞳もとってもキレイ。知ってる?普段は緑だけど、時々色が変わって赤紫に見えるの。
何故かは分からないけどそれを見るとすごくドキドキしてしまうの。」
からかうつもりが、あっさり返り討ちに遭った。
キリルは至近距離で瞳をのぞき込まれ、キスしたい衝動を必死に抑えた。
前科者であるキリルには、酔っているのをいいことに手を出すなんて死んでも出来ない。
そんな男の葛藤も知らず、女は畳み掛ける。
「そうだわ。あのときも。光の加減かしら。ちょっと来て?」
リシーはキリルの手をぐいと掴み立ち上がると、寝室へ向かった。
そのままベッドに二人で倒れ込み──正確にはリシーが押し倒した──リシーはキリルの瞳を改めて見つめて言った。
「ああ、やっぱり不思議…サイドランプの光がそうさせるのかしら…ね……」
(アイアスといたときはさほど量を飲んでなかったのか…
これから絶対に外で酒は飲ませない。)
すーっと寝息を立て始めた妻を見て、夫は固く誓った。
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翌日──
リシーは痛みで目を覚ました。
(今日は雨ね。)
雨が降る前の頭痛だとリシーは憂鬱になった。
が、すぐにそうでは無いことに気づいたのは自分の両腕の中にキリルが眠っていたからだろう。
しかも眉間にシワを寄せ苦悶の表情を浮かべている。
(大変!私が頭を抱えてたから息が出来なかったんだわ!!)
焦ったリシーは目に涙をため慌てて肩を揺さぶった。
「キリル!ねえキリル!」
「…ん、何だもう少し寝かせろ。
今とんでもなくいい夢を見ていたんだ」
そう言いながらうっすら目を開けると、リシーが潤んだ瞳で自分を見つめている。
(いや、こちらが夢か。リシーが起こしてくれるなんて、俺は夢を見ているんだな。夢ならば思うように出来る)
そう結論づけるとキリルはおもむろにリシーの両手首を掴み自分の方に引き寄せた。
リシーはバランスを崩し、今度は逆にリシーがキリルに抱え込まれた。
どのくらいの時間が経ったのか。
一瞬だったようでもあるし、長いことそうしていたようにも思えた。
「寝ぼけてるのね?」
ドキドキしながらも、そう言ってリシーは笑った。
再びの結婚式の直前の、穏やかな朝だった。