10.雪解け
離れている間、キリルのことを忘れたことは一瞬も無かった。
戻ってきた今は、彼のことを好きなのか嫌いなのかも分からなくない。
彼の元に戻れば何か変わるかもと考えもしたが、許したい気持ちや悲しみ、愛情、怒りが綯い交ぜになっている。
(でもキリルと話してると楽しくて時間を忘れちゃうのは前と変わらないのよね。)
キリルは、些細なことでも有耶無耶にせず、きちんと気持ちを伝えるようになった。
二人は、少しずつ前に進もうとしていた。
*****
「実は、あなたがアイアスと広場にいるところに居合わせていたんだ。」
「ハンカチの依頼の前?」
「そう。そこであなたがアイアスに『愛してる』と言うのを聞いて…
その時は姉弟なんて知らなかったから…いや、それは言い訳だ。
……たぶん、一目惚れだったんだと思う。
でも一目惚れなんてしたことが無いから自分の気持ちが何なのか分からなくて、あんなことをしてしまった。」
婚約者のいる男に手を出す女だと思い込む方が楽だった、本当に申し訳なかったとキリルは頭を下げた。
アイアスとの関係も誤解ではあったが、そもそもリシーはアイアスに愛してるなんて言った記憶は無い。
「え?愛してるなんて言ったこと…あっあのとき!
自分の分のデザートも食べていいってアイアスが言ってくれて…
大好きなチョコレートだったから『愛してる』って言ったわ!」
分かってみれば真相なんてこの程度のもの。
そんな下らない勘違いに振り回されたのかとも思うが、そんなことより、一目惚れだったと言って耳を赤くする目の前の男性に、リシーはドキドキした。
(「そんなこと」なんて、そんな風に思える日が来るって、想像できなかった。)
(もう一度だけ、心を預けてみてもいいのかもしれない…)
そう思ったとき、ふと彼の孤独に思いが至った。
これまでは、リシー自身の気持ちに対処するので精一杯だった。
最低限の家族の話は聞いていたがあまり話したくないようだったし、多くは尋ねてこなかった。
ただ、今になって彼の側近達から断片的に聞く限り、孤独な少年時代を過ごしたようだ。
(自分の気持ちも分からないなんて…)
寂しさや不安から目を背けることで、自らの孤独を感じないようにしていた少年のキリルを想像すると胸が痛んだ。
(自分の傷ばかりにとらわれて、彼を失っていいの?)
(やっぱりキリルと一緒にいたい。)
*****
雪解け水が大地を潤し始めた晴天の午後、恒例となりつつあったお茶の時間、キリルは語りかけた。
「リシー」
「はい?」
「私と結婚してください。」
……
「え?」
ネガティブな考えがリシーの頭の中を瞬時に駆け巡った。
(私を探してくれていたと思っていたけど、一年の間に離婚の手続きはされていた?
それとも元々形ばかりのものだからと結婚自体成立していなかったのかしら?)
「あー。そうじゃない。私達はあの日からずっと夫婦のままだ。
結婚式を、もう一度しませんか?」
リシーの心の声がまるで聞こえていたかのように言った。
リシーにとって結婚式はその夜の出来事のせいで思い出したくもない記憶となっていたし、一生に一度のことだと思っていたため、二回目なんて考えたことも無かった。
「出会ってからずっとあなたへの思いは変わらないが、私は未熟過ぎた。
もう一度だけ私にチャンスをくれませんか?」
「私の自己満足だと思う。
それでも、あなたの家族を呼んで本当の結婚式を挙げさせて欲しい。」
彼を再び信じてみようという気持ちは、リシーの中でいつの間にか固まっていた。
「ありがとう。」