真の国王となる器の持ち主
夜会の翌日は、冷たい雨が降っていた。
窓を叩く雨粒の音を聞きながら、特にやることもないのでアンサングのソファーに寝転がってすごす。
クロノは向かい合うソファーにて、ここへ来た時のようにだらけた様子で足を放り出して天井を仰ぎながら「飲み過ぎた」と呻き、レイナは、その隣で窓の外を眺めている。
「う~……迂闊だった……泣きっ面の蜂ってやつ、久しぶりに体感したかも」
「ただの二日酔いだろ。自業自得だ」
言うと、クロノはジトッとした目でこちらを見て、ため息混じりに口にする。
「男の君には分からないだろうけど、女の子にはデリケートな日ってのがあってね……ボクの場合は頭痛が酷くなるんだ」
本当に男の俺には分からないが、レイナは「そういう日は無理せず横になっていた方がいいですよ」と、心の底から心配しているようだった。
だが、アンサングの長として名が知れ渡った以上、こんな雨の日でも来客があるかもしれない。
そういうわけで、クロノは呻きながらもソファーに陣取っていた。
レイナは余程心配なのか、温めたシチューやミルクなどを用意すると言って、裏へと引っ込んだ。
去っていくのを見送ってから、俺が昨晩の事を伝えようとしたら、クロノが先に口を開く。
「で、何を隠しているんだい? やらかしたって顔に書いてあるけど」
「……俺の顔見てねぇだろ。だが相変わらず大した洞察力だな」
言うと、クロノは少し元気な声で笑って見せた。
「ヘッ、カマかけだよ。朝からなんか変な様子だったからね。とはいえ見事に引っかかったものだ」
「テメェ……」
「ボクたちの世界じゃ騙される方が悪い。鉄則だろ? で、なにをやらかしたのかな?」
何も言い返せず、俺は色々と考えていた伝え方を捨てて、そっくりそのまま「マオの機嫌を損ねた」と口にする。
途端に、グロッキーだったクロノはガバっと身を起こすと、ソファーの間にあるテーブルをバン! と叩いた。
「なにしたのさ!? それともなにを言ったの!? いやもうどっちでも良くないけど、とにかく詳しく話して!」
デリケートな女の子とは程遠いな。なんて思いながらも、ぶっきらぼうに話す。
「別に、致命的にやらかしたってわけじゃねぇよ。今日中にはマオからの依頼が届くだろうし、今後もその関係は変わらない。ただ、マオは俺たちと住む世界が違うって教えてやっただけだ」
言い終えると、クロノは頭を抱えて「そりゃそうだけど!」と認めてから、噛みつくように迫ってきた。
「そういうのは後ででいいんだよ! どうせマオとボクたちは水と油だ! 仲良くしてるうちに金をガッポリ稼いで、金持ちたちと関係持ちまくって、王族からの覚えも良くして、その後に伝えとけばいいのにさぁ!!」
「大丈夫だ、お前が望む今後の関係性だとか社会的地位は心配ねぇよ。ただ、マオと顔を突き合わせて話すことはなくなっただけだ」
それ以外は変わりなし。むしろレイナの母親は早くに救われ、俺たちについて多少は知った事で孤児院も救われる。
あとは普段通りだ。マオからの依頼をこなして国王なり、影の支配者なりに成り上げたら、そこまでに得た金やら信用を使ってアンサングを巨大化していけばいい。
別に俺たちは、マオとお友達になりたいわけじゃない。レイナを隣に置きたいと思っていたが、母親が救われるなら、別にマオじゃなくていい。
あの手の金と理想に燃える輩は他にもいるだろうし、レイナには孤児院を継いでもらっても構わない。
聖女様も、レイナがSランクの聖女として恩返しに来たというのなら、拒むことはないだろう。
俺と違って、生き方やこれからのやり方を否定することもないだろう。
だから、俺はクロノとアンサングで生きる。そう伝えようとして、扉を叩く音がした。
雨のせいで気配を感じ取れなかったが、大方マオからの使者だろう。
具合の悪そうなクロノに座って待つように言うと、俺はアンサングの扉を開ける。
すると、
「なっ!?」
咄嗟に、俺は目の前の光景が信じれずに声を上げたのだった。
その原因たる人物――雨に濡れ、泥を被り、顔にいくつも痣を作ったマオが、なんとか笑って「お邪魔していいかな」と確認を取ってくる。
しかしその前に、俺はアンサングの外を注意深く見渡した。マオがこれだけボロボロになってアンサングへ訪れたということは、王族内で何かしらのゴタゴタがあって追われて逃げてきたとか、そういう事を危惧しなければならないからだ。
追っ手や、遠くでも探している連中がいないか入念に確認する。
だが、その手の輩はいない。この雨でも殺気や姿を隠す者特有の気配は感じ取れるのだが、そういうものは一切感じ取れない。
また、次期国王候補となったマオを守るための戦力も見当たらなかった。
なにより、マオは剣の一本も携えていない。
次期国王候補が、身を守る手段もなしにこんな掃き溜めに来た。
俺は訳も分からず、とにかくマオを中へと入れたのだった。
「誰が来たって……えぇぇぇ!? いやちょっと、えっと……えぇぇぇ!?」
もはや驚くしかない声に誘われて、奥からレイナもやってくると、同様に「え!? え!?」と狼狽していた。
「と、とにかく何か身体を拭ける物用意して! それから泥を拭う布切れとか、暖かい物とか、回復魔術とか……」
「いや、必要ない」
クロノが狼狽しながらも裏に控えている男たちを呼ぼうとして、マオがそれを止めた。
「必要ないって、今や君は次期国王候補だ! アンサングに来たらそんな様でしたってだけで、なにもかも台無しになったりも……」
「その点に関しては心配しなくていい。今頃王城では私の影武者が上手くやってくれているだろう。それに、私一人がここへ訪れただなんて、誰に話しても信じてもらえない。違うかな?」
「そ、そりゃそうなんだけど……」
マオとクロノが話している中、俺は頭を整理すると、まずは一つ問いかけた。
「なんで、剣も護衛もなく一人で来た? 下手すりゃ殺されてるぞ」
「その”下手”を敢えて踏みに来たと言ったら?」
「……どういうことだ?」
マオは雨に濡れ、衣服もボロボロで泥だらけにして、顔にできた痣も治さないままソファーに腰掛けると、俺へ深く頭を下げた。
「昨晩君に言われたおかげで、こんな事をする勇気が出た。そしてとても君たちの人生に及ばないのは分かっているが、身一つで貧民街を半日回って、生まれの違いを体感してきた」
「なっ」
まさか、と、マオのやらかした馬鹿な行為を問いただす。
「丸腰で護衛もなしで貧民街を回って来ただと!? 本当に下手すりゃ殺されてんだぞ! 分かってんのか!!」
「分からなかった。昨晩君に言われた時も分からなかった。だから知ることにした。こうして身一つで貧民街を回ることでね」
「お前……」
「そして君の言うとおりだと実感させられたよ。私は、失敗しても結局は生き残れる人間なのだとね」
頬に出来た痣を指差して言うと、マオは「金を出せ」とチンピラに迫られ、無一文だと答えたら、そんなはずがないと殴られたと話した。
「第六王子にして、次期国王候補に一躍登り詰めた話は貧民街にも届いていたようだ。金や金目の物を出せと殴ってきた男も、途中から目が覚めたように手を止めたよ。それから周りを見渡してから、必死に逃げて行った。おそらく、私に護衛がいるのだと思ったのだろう。それはもう、必死に逃げて行ったさ……その後も何度か絡まれたが、致命的な怪我を追わせることなく、向こうから去っていった」
だから、マオは自らを生き残れる人間だと認識したようだ。
そして、護衛も武器もなしに貧民街を回って、俺たちが育ってきた世界をほんの少しだけ知ることが出来たと言う。
「空腹に喘ぐ痩せた子供、病気の老人、麻薬とされる薬草の中毒者、なにより他者から力づくで奪おうとする暴力的な男たち……私は社会を変えるためにイベルタルを何世代もかけて変えようとしたが、レイナの言葉で目の前の命を救おうと思い直した。だが、肝心の目の前の命がどのように失われようとしているのか知らなかった――それを、君の言葉が知るキッカケを作ってくれた。同時に、君たちが生まれ、育ってきた世界を知ることもできた」
マオはそのために命を張った。命が助かっても、運が悪ければ一人で貧民街をうろついていたと噂が流れ、今後不利になるかもしれない。
それでもやった。なぜか。それはまさに、昨晩俺が語った事を真摯に受け止め、俺たちの世界を知らないから知るべきだと判断し、全ては知れないが体験してきた。
マオは、心の底から人々を救おうとしている。行動を整理すると、そう理解するのは容易かった。
「……体感して、それでどう思った?」
全てを知れないと言っている奴に効くのは酷かと思ったが、それでも聞いた。
すると、マオは言葉を探すように目を閉じてから、困ったように笑ったのだった。
「すまない、まだ言葉には出来なさそうだ」
「……へぇ」
「……フフ」
マオの、なんとも素直で正直な言葉に、クロノもレイナも微笑みを浮かべた。
上っ面だけ綺麗事を並べることもできたし、俺たちに同情するような言葉だってあった。
それをしなかった。なんともまぁ、男らしい奴だ。
そんな奴が、国王か……もしかすると、本当にイベルタルの全てを変えてくれるかもしれない。
腐敗も貧富の差も、人々の意識さえ、正直で聡明で素直で計算高い国王が国を統べたら、変わるかもしれない。
少なくとも、俺の人生で行ってきたどんな賭けより、勝てる見込みが大きく、得られる利益も多そうだ。
勝てば、金や地位だけでなく、望むものが全て手に入る。
細かい政策やら、具体的にどう改革を進めるのかはマオの領分だが、こんなにも誰かのために……名も知らない者のために王子としての身を汚してまで知って助けようとしたのだ。
成功すれば、きっとこの社会はよくなる。いずれ全てが救われる。
別に自分の懐がよくなったり、社会的立場が向上したりはしない。
ただ、虐げられている誰かのために身を尽くす。
そんな事をする奴は、今までの人生で一人だけ会ったことがある。
クロノもレイナも、会ったことがある。
救いようもない善人として、今も必死に頑張っているあの人だ。
しかし、マオには圧倒的な立場と金や人脈がある。イベルタルを変える未来もある。
なら、俺が――俺たちがやるべきことは一つだ。
昨晩と変わらないが、含まれる意味合いや信頼は大きく変わった。
「……負けたよ。それで、俺たちにはどんな仕事が待ってるんだ?」
今度は話を切り上げるでも、かみ合わないから急かしたわけでもない。
ソファーに腰掛け、同じように隣に座ったクロノと、マオの怪我を治しているレイナとで、アンサングが今後請け負う仕事を話し始めたのだった。