悪い冗談のような世界
なんで歪な世界なんだろう。それが、目の前に広がる光景を見て胸の内に広がった感情だった。
華やかなドレスで着飾った貴族たちが、食い切れないほど多い豪華な飯と、グラス一杯で銀貨が何枚も飛んでいく酒を手に、マオが主催した夜会の場で歓談している。
俺たちの顔と活躍も知れ渡っているようで、レイナとクロノはそれぞれ別の種類の金持ちに囲まれていた。
レイナはSランクの聖女にして、マオがダンジョン内で窮地に陥った際に救った聖女として、ガキでも知ってるような公爵たちに囲まれていた。
少しでも名を売っておきたいのか、自分の家の次男や三男と言った、所謂他所の貴族へ嫁がせて本家の家の名を上げるための捨て駒を紹介され、何度も面だけは良いガキどもにダンスを誘われている。
クロノはSランクの盗賊というより、イベルタルの暗部を担う若き長として、裏社会で名が知れ渡る金持ちたちに囲まれていた。
どうやら今までは、その見た目と若さから舐められていたようだか、今回の一件で末席の王子を次期国王候補にまで押し上げた実績が認められたようだ。
裏社会の重鎮たちも、クロノという若き女盗賊を自分たちの上に見て、媚び諂っている。
当然俺にも、勇者を相手に聖剣を盗んでマオへ献上した盗賊ということで言い寄ってくる貴族や裏社会の連中もいたが……ハッキリ言って、この状況そのものに反吐が出る。
誰も彼も、ついこの前までは見向きもしなかったじゃないか。
俺たち三人が一番苦しい時、銅貨の一枚だって施そうとしなかったじゃないか。
それがなんだ? 途端に手のひらを返しやがって。詫びの一言もなく寄って来やがって。
お前たちは、本当に俺たちを見ているのか? 違うだろ? 見てるのは所詮、マオ一人の機嫌だろ? その先の結果だろ? 国王の寵愛だろ?
そのニヤけ面も、下げる頭も、付いた膝も、マオ一人がヘマをしたらなかったことにするんだろ?
この場に来て、俺は現金な金持ちたちを見て、現実というものを突き付けられ打ちのめされていた。
だが俺一人が不機嫌になって場を壊してしまっては、例え偽善の行為でも、その先にある孤児院や貧民街の救済もなくなってしまう。
幸い、レイナはこの場の空気にのまれて誘いをなんとか丁寧に断りまくっており、クロノは俺と似たような不機嫌さを時折見せながらも、この場でアンサングの名を上げるために笑顔を振りまいている。
だから、俺は「外の風にあたってくる」とだけ言うと、酒の入ったグラスを手にテラスへと出た。
「……チッ」
酒を飲む気にもなれず、中身はテラスから捨てた。そうして一人月夜の下で夜風にあたる。
俺は今、冬先の寒さの中、阿保みたいな値段のする礼服姿で立ち尽くしている。
寒くなれば夜会会場へと戻ればいいし、腹が減っても同様だ。
だが同じ空の下、寒さに身を震わせ、空腹に喘ぐ者たちは、王都だけでも大勢いる。
俺だってそうだった。それがなぜ、こんなところにいる? いや、答えなど分かっている。
”俺は運がよかった”。それだけだ。運よく聖女様に見つかり、救われ、結果はどうあれSランクの盗賊となれた。
そして運よくクソみたいなやつが聖剣を手に横暴を振るっていたので盗む大義名分ができ、運よく捌ける者と知り合いで、運よく必要とする者が現れた。
一番の幸運は、その相手が第二王子と第六王子であり、争っており、俺は勝つ側に回ることが出来た事だ。
賭場のルーレットで一枚の擦り切れた銅貨を賭けたら一度勝ち、その後も賭け続け、連続で選んだ方へと入り続けた。
それだけに過ぎない。世界はそんなにも簡単にひっくり返る。逆に勝つ奴がいるのだから、裏目を引いて負け続けた奴もいる。
元から金を持っていて負けた奴は知った事ではない。自業自得だ。だが俺と同じ立場から、もはや運に縋るしかなかった奴が負けることは、納得がいかない。
今も後ろで飲んで騒いでいる奴らは、生まれた時から勝っている奴だ。
俺は、所詮この世は賭場だと思っている。そして後ろの連中は呆れるほどに掛け金を持ち、”遊び”で賭けては、勝ったり負けたりしている。
それが社会に金を流通させ、流れに流れた末、ボロボロにすり減った一枚の銅貨が痩せっぽちのガキの賭け金になる。
それを失ったら、もうお終い。借金も出来ずに飢え死ぬか、奴隷として人以下の存在に墜ちるか。
少し目を凝らせばよく見える、本当にクソッタレな社会。
このテラスからは、そんなイベルタルが一望できる。
「主役がこんなところでどうしたんだ?」
最悪な気分で夜空の下に広がるイベルタルを見下ろしていたら、背後から声がする。
振り返ると、そっくりそのまま言われたことを言い返してから、その名を呼んでやる。
「えぇ? マオ第六王子さんよぉ」
「……なにか不快にさせることをしたかな」
「いや、アンタは悪かねぇよ。むしろ、この悪い冗談みたいな社会を変えようとしてる正義の味方なんだからな」
「――やはり、機嫌を損ねてしまっているようだが……私に出来ることなら、いくらでも詫びるつもりだ。君がいなければ、この場に私はいなかったし、ここへ至るチャンスもつかめなかったのだから」
「チャンスね……贅沢な事だな」
「なに……? 頼む、なにか不服なら言ってくれないか? 君たちには、もう次の仕事だって用意してあるんだ」
仕事、ね。それもまた贅沢だ。掛け金はやるから勝負して来いと、コイツは俺たちに言うのだろう。
元々、種類が違う人間なのだ。使う側と使われる側であり、金を出す側と金に従う側であり、一国を背負う可能性を大いに秘めた王子と小汚い生まれのちょっと運のいい盗賊だ。
マオは俺が何もしなくても――何ならヴルム相手に負けていても、末席とはいえイベルタルの王子だ。
国王にはなれないかもしれない。望んだ改革はできないかもしれない。道半ばで諦めることになるかもしれない。
だが所詮その程度だ。部を弁えれば、壊滅的な敗北なんてものとは無縁に生まれた奴。
俺やクロノ、レイナと関わらなければ、勝つか負けるかがイコールで生きるか死ぬかに繋がる賭けをしなくても良かった。
俺たちは、そんな勝負を何度も潜り抜けてきたというのにだ。
そしてそんな奴の隣こそが、俺からすると初めての友達であり、初恋の相手であるレイナに相応しいのは、なんたる皮肉だろう。
「なぁおい、お前に見えるか? 聞こえるか? 世に嫌ってほど蔓延るジョークが」
「ジョーク? だからどういうことなんだ!? 具体的に話してくれないか!?」
いい加減に苛立ってきたようだ。ここに来たのだって、周りの連中を上手いこと言いくるめてなんとか作った僅かな時間なのだろう。
一から俺の価値観を話そうとして、やめた。
コイツからしたら、モラルや倫理こそが守るべきものであり、生きるための指標であり、世の中の大半が愛する正しさであり正義であり、人々から讃頌されるものであり、偶然にも俺が毛嫌いする社会を変えようとする力となりつつあるのだ。
その力がこの場に金と力を持つ者を集め、更なる名声となり、盤石な足場を作り、やがて玉座を形作る。
そこまで行った時、俺たちには想像もできない程の金と名声が手に入るのだろう。
まさに、今の俺たちではどうにもならないレイナの抱える問題や、孤児院の問題も解決するのだろう。
なら、話すべきことは一つだ。
「……次の仕事はなんだ?」
吐き捨てるように言った。所詮は盗賊だ。盗んで来いとか攫って来いとか、なんなら殺してこいとかいう仕事があるのだろう。
だから聞いた。しかし、マオは怒りを宿した顔で詰め寄ってくると、俺の首元を掴んだ。
「こんなバラバラの状態で、国王への布石となる仕事を頼めると思うか!!」
「……そいつは悪かったよ。俺も気分が悪くてな。だがアンタは王族で、俺は盗賊だ」
「身分の差に苛立っているとでも言うのか!? 私もお前も、等しく同じ人間だ!」
「どうかな。少なくともアンタは特別な人間だよ。理由や使命があって生まれ落ちて、そのためだけに生きてきたし、これからもそうだろ。だが俺は違う。俺は――俺たちはな――」
口にしたら、俺たちの関係は終わるかもしれない。ふとそう思ったが、俺は止まらないことにした。
捨て身で後先考えなかったから、俺はここに生きて存在しているようなものなのだ。
レイナもクロノもそうだった。ならば、マオが俺の事を気に食わないというのなら、その関係性の歪みは、いずれ俺たち三人に広がるだろう。
決定的な所で関係は破綻し、結局すべてが頓挫する。だったら俺たちについて教えてやろう。
捨て身になるしかなかった人間と、特別だと守られて育った人間。
俺はそれを、こう例えた。
「俺たちはいつ、どことも知れぬ裏通りで理由もなく死ぬように生まれ、それでも生きてきたんだよ」
「ッ!」
「俺たちが気に食わないのも、考えが分からないも当たり前だ。アンタは失敗しても、結局は死なずに救われる人間だ」
「そんなことはっ!」
「ないとでもいうつもりか? そりゃこの前のダンジョンではそうだった。だがあんなのは稀だろ? 自分の身の周りを少し思い出せよ。民を見下ろす王城に住まい、掲げる改革が失敗しても、不本意だろうがどこぞの綺麗な貴族を嫁に貰って世継ぎを産んでもらって、なんやかんやと家庭を築く。そんなアンタを世間は幸せそうだと羨む……だが俺たちはどうだ?」
ククッ、と笑ってやり、自嘲気味に言ってやった。
「一度のミスが死につながる。仮に死ななくても、俺たちのちっぽけな財布の中身も、無いに等しい尊厳も失うんだよ――そんな奴らを、嫌というほど見てきた。国が何もしないから、たった一人の聖人みたいな聖女が、一部屋に無理やり詰め込んだ数十人の子供たちの面倒を見る日々だ。こんな人生を逆転してやるって意気込んだ奴が二度と戻ってこなかったことも、廃人同然で道端に捨てられてたこともある」
俺は続けた。ボロボロの孤児院の朝は、ネズミに足をかじられて叫んで目を覚ましては、年上の連中に殴られて意識を失う。毎年冬を越せずに幼い子供たちが死んでいくのを間近で見て、次は自分かもしれないと怯えて春を待つ。
春が来たら、新しい孤児が増えて、孤児院は更に窮屈になる。
これだけ言って、マオはようやく俺を放した。顔を落として震えながら、そんなことはないと繰り返していた。
「あるんだよ、今も続いてる事だ」。そう告げた瞬間、マオはもはや言葉も出せずに震えていた。
俺は深い溜息を吐き出すと、俺たちの関係はいつか壊れてなくなるのだと理解する。
だから、ずっと先に伝えるべき用件を、今伝えた。
「レイナの母親が何年も病気で苦しんでいる。療養中だが、いつまでモツだろうか分からない。場所ならクロノに聞けばわかる。だから報酬金よりも、少しでも優秀な回復術師を手配してくれ――それで、次の仕事は何だ」
マオはしばらく唸ってから、必ず明日にはアンサングに知らせると話した。
同時に俺は、この会話がマオとタイマンで話す最後の時なのだと、理解していたのだった。