【バカ騒ぎ前夜②】俺自身の言葉で
俺たちは始まりの場所で、やっと想いが通じた。
離さないでくれと何度も言うクロノを、俺は力の限り抱きしめた。
もう他の人のところに行かないでくれと言うクロノに、何度も頷いた。
だが、俺にはまだ、この場所でやるべきことがある。
盗賊として生きて、盗賊として大人になって、これから盗賊として生まれ育った国を救う。
その前に想いを確かめる人は、もう一人いる。
「……なぁ、クロノ、もう離さないとか、好きだって言っておいてなんだが……」
「……分かってるよ」
俺から手を離すのがとても心苦しかったのと同様に、自分から離れるのも辛かったろう。
けれども、クロノはスッと俺の腕の中から離れると、涙で腫らした顔でにこやかに笑って、背中を押した。
「文字通り命懸けの仕事の前に、ボクはもう十分満足したよ。だけど、君は違うだろう?」
「ああ……俺も人生に一つの、”ケリ”をつけてくる」
まるで決闘にでも行くようだが、あながち間違いじゃない。
俺は、俺の人生に一番影響を与えた人に、これから自分自身をぶつけに行く。
もう逃げない。退かない――後悔しない。
そのためにも、俺は覚悟を決めた。
「ならとっとと行きなよ、待ってるからさ」
「待たれなくても、もう俺の帰る場所はお前の所だけだ」
「い、いきなり正直になられると、ボクとしても困るね……ああもう! とにかく行った行った!」
真っ赤な顔でバシバシと背中を叩かれるものだから、俺も苦笑いを零しつつ、覚悟を確かめる。
大切な存在を自覚して、手に入れて、これからも生きていく。
けど、俺の基本的な価値観は変わらない。
人生とは賭場であり、行動とは賭けである以上、絶対はない。だから後悔は残したくない。
行ってくる。その一言は、どれだけの過去が積み重なって口に出来た言葉だろう。
きっと、クロノに背中を押されなかったら、また逃げていただろう。
匿われていた部屋を出て、孤児院の階段を上る。軋む音が昔より大きくて、あの頃から変わらない壁にある染みを撫でながら、やがてその部屋の前に立つ。
『院長室』。かつてどれだけこの部屋に世話になったろう。弱い盗賊だと馬鹿にされて、泣いて駆け込んだこともあった。食器を壊してしまって、謝りに来たこともあった。レイナやクロノと喧嘩して、どうしたらいいのか分からず訪れたこともあった。
いずれも、扉をノックすれば優しい声が返ってきて、涙も、罪悪感も、苦しいことは何だって消え去っていた。
ただ一度、この部屋に呼ばれ、それまで恩返しのつもりで渡していた金を全額返された時を除いて。
あの時だけだ。盗賊はどう生きたらいいのかと叫んだのは――聖女様に向かって、怒鳴るような真似をしたのは。
正直、あの時は人生に絶望した。食べるにも困るほど盗んだ金を渡していたというのに、そんな所謂自己犠牲なんていう俺らしくない尊い行いすら無下にされたようで――『全部を無駄にした日』として、俺の中に残り続けている。
あれから何年経ったろう。再び訪れるまで、とてもとても時間がかかってしまった。
俺は、俺の答えを言えるだろうか。不安に駆られながらも、レイナを、そしてクロノを思い浮かべ、院長室の扉をノックした。
どうぞ、と懐かしい声がする。しかしかつて聞いた声とは明らかに違うものだった。
年月が経過して、声質そのものが変わったとかではない。かつてこの扉をノックして返ってきた声は、もっと柔らかかった気がする。
直感的に理解した。俺が来たのだと悟られていると。ならばもう、引き返すことはできない。
扉を開けると、その先には丸まった背中がある。窓の外を見ていて、差し込む夕日から、もう夜が近いことを知った。
今現在の時間帯を忘れるなど、潜み、時を伺う盗賊にあってはならないこと。
この人の前では――背中を向けられてすら、俺は盗賊になれないのか。
いや、そんな弱さは許されない。クロノを抱いた腕と、叩かれた背中から勇気を貰えた気がして、俺は声を発した。
「聖女様」
確かにそう呼ぶと、丸まっていた背中がいくらか上下し、乾いた笑い声が聞こえてきた。
「また、そう呼んでくれるのですね――シビト」
振り返った姿は、老いているはずだというのに、強さと、優しさを感じさせるものだった。
思わず、懐かしさから目頭が熱くなる。この人は、いつだってそうだ。どんな辛い時だって、誰よりも強く、そして優しかった。
だから俺も、レイナも、クロノだって、彼女の事を「聖女様」と呼ぶ。
真に強く、優しい尊敬するべき人として、離れていてもその名で呼び続けたのだ。
この人の前だけでは、嘘は吐けない。吐いてはならないのだ。
「……俺は、ここを出てからも盗賊として生きてきました」
「そうでしょうね」
「否定、しないのですか?」
「当然でしょう?」
例え神にだって敬語を口にしないだろう俺でさえ、自然と畏まってしまう。
その態度が反射的な意見を抑え、一考する余地を自らに与えた後、やはり分からずに聞いた。
「なぜですか……? あなたは俺が稼いだ金を全て返して言ったじゃないですか。もう人の物を盗んではいけないと。俺はそのせいで……」
自分自身を否定されたと言いかけて、思いとどまる。だが聖女様は全てを見抜いているように目を細めると、首を振って口にした。
「ずっと、私は後悔していました。あなたの生まれを考えず、天から与えられたジョブすらも忘れ、行いの結果だけを見てしまった。あの頃のあなたは『義賊』と呼ばれていたというのに、あのお金は誰かを陥れて奪ってきた物だと決めつけてしまった」
『義賊』。今にして思えば、都合のいい言葉だ。俺はそのことがやっとわかったので、首を振って聖女様に意見する。
「それは、見方を変えたら真実です。俺はこの国で悪事を働く連中から――弱い者虐めをして金を稼いでいた奴等から、金を盗んでいた。けどそれは、盗まれた側からしたらたまったものじゃない」
悪には悪の生き方がある。盗賊というジョブと、アンサングでの日々が、それを教えてくれた。
悪党だって、金がなければ飯が食えない。部下に払う給金も、別の組織との付き合いも、結局は金がなければ成り立たないのだ。
盗み過ぎたら、悪とは言え破滅する。アンサングでそれを学ばされた時、破滅の先には貧困があり、そこは自分がかつていた場所であると知った。
それを伝えたかった。俺は決して、盗みすぎて悪人だろうと破滅しないように徹していたと。精々、弱い者虐めの罰を与えていたにすぎないと。
だが、そんな事を俺の口から言えるはずもない。
神など信じないが、人が人に勝手に罰を与えるなど、おこがましい行為だ。それを正当化使用だなんて、そんな事はしない。
この場に来て、聖女様が考えをどう改めていても、それくらいの羞恥心はある。
しかし、そんな事は杞憂だった。
「あなたは、正しくもあり、正しくもなかったかもしれない。世の中に絶対というものがない以上、決めることなどできません」
俺の価値観の原点は、この人だ。「絶対にうまくいく事なんてありません。でも、絶対に悪くなることもありません。だから、今日も命あることに感謝して、希望を持って生きましょう」。聖女様がよく口にしていた言葉が、俺の中で形を変え、俺なりの価値観となったのだ。
まぁ、それが人生は賭場だと思っているだなんて、これもまた言えたものではないが。
自分の原点に立ち返っていると、聖女様は「しかし」と言った後に間を置き、思わぬ名を出した。
「あなたが行ってきたことは一概に悪とは言えないと、あの子が――クロノが足繫く通って、私に教えてくれましたよ」
「クロノが、そんな事を……?」
「あなたの行いは万人に褒められるものではない。けれど弱い者からは称賛され、喜ばれる行いだったと、何度も何度も私に訴えていました……あの子もここに来ているようですが、聞いていませんか?」
聞いていない。そう答えると、聖女様は微笑んで「てっきり自慢げに話しているものかと思っていた」などと言う。
そうして一つ息を吐くと、俺を見据えてハッキリと口を開いた。
「あなたの行いは弱気を助け、強きも助け、悪だけを罰している。そう断言できますか?」
俺を試すような言い方だ。いや、きっとこれは今までの人生からの問いかけなのだろうと理解する。
なにせこの人から、俺もクロノもレイナも、人生が始まったのだ。
だから嘘でも綺麗事でもなく、俺の答えを返す。
「――いいえ、断じて違います。俺は盗賊です。時には神にも、悪魔にもならなくてはいけない。ですが、」
俺もまた一つ息を吐くと、覚悟を込めた瞳で見据え、嘘偽りない、俺の……俺自身の言葉を聖女様に放った。
「俺とクロノはこれから、この国を覆う弱気を虐げる悪を罰する……いや、ぶん盗ります!! そしてこの国の玉座も盗んでやって、相応しい奴に売りつけてやります!!」
強く、意思を込めた俺の言葉に、聖女様は少し驚いた後、ニッコリと笑った。
「でしたらあなたはあなたの道を行きなさい。私は確かに、あなたの心から出た言葉を聞きました。それがあなたの生き方なら、私は否定しません。こんな年寄りに縛られることなく、好きに生きなさい」
好きに生きる。結局はそれが答えだ。人生の場面場面で、俺は盗賊の神にも悪魔にもなる。
しかし、これからしばらくは違う。俺は盗賊ではなく『義賊』へと戻るのだ。
「……まぁ、全てが終わって暇になったら、またいらっしゃい。今度はレイナも連れて、みんなで来るのですよ? お菓子くらいなら用意しますから」
微笑む聖女様に、必ずみんなで帰ってくると約束した。
大切な友達と、大切な恋人を連れて、この部屋で昔話に花を咲かせてみせると。




