【バカ騒ぎ前夜】始まりの場所で
逃げた後、まずは身を隠すことに専念した。
アンサングはエレクに抑えられるだろうから逃げ場としては適切ではなく、当然ながらマオの手引きも難しい。
更に、クロノは俺たちを逃がす陽動作戦としてアンサングの戦闘チームを使って無理やり王城付近を混乱に落として入れていた。
「別口からの依頼があった」とか「エレクやマオに肩入れする行動ではなかった」などと言い訳は用意しておいたが、戦闘チームたちは捕まり、武力によって守ってもらうことも出来ない。
国中はエレクの兵が巡回しており、俺たちは指名手配されている。
冒険者たちにも、ギルドで魔物と同様に依頼として張り出されているほどだ。
なんて、はたから見ると隠れるだけでも絶望的な状況に思えるが、実際は違った。
「はい、パンとスープ」
「お、ありがとさん」
とある場所にて、俺たちは計画に移るまで数日間、姿をくらます事にした。
流石のエレクも、ここに隠れていることは予想がつかなかったようだ。なにより兵士が確認に来ても、隠れたり紛れたりするには十分すぎる場所だったのだ。
その場所は……と、この後の大仕事のために準備していると、俺たちが匿われている小さな部屋の扉を開けて、駆け寄ってくる姿があった。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、ここになにしに来たの?」
「ん? ああ、そうだな……里帰りってところだな」
よくわかっていない子供に遊んでくるように言うと、元気に走り去っていった。
「里帰り、ね」
「嘘じゃないだろ?」
「そうは言うけど、まさか孤児院に逃げ込むとはね」
俺たちが数日隠れ、計画のための準備をするために選んだ場所。
それは、かつて育った孤児院だった。エレクからしたら、孤児院には俺の急所たる聖女様がいる場所だ。万が一ここに隠れていることがバレた場合、匿っていたと聖女様を脅し、同時に俺を揺さぶりに来るだろう。
だからここに隠れることにしたのだ。エレクは非常に優秀で、物事を合理的に考え、俺たちが隠れている場所を割り出そうとする。
そういう見方をする奴からしたら、見つかった瞬間に従うしかなくなるような場所には隠れないと予想する。
なにせ俺たちを捕まらなくても、聖女様を捕えられただけで俺たちは大事な人質をレイナを含め二人も取られたことになるのだ。
こんな危険な場所には隠れない。突き詰めてしまえば賭けだが、だとしてもエレクならここに兵を送り込むことはないだろうし、仮に押し入って来ても、国が助けなかったせいで子供に溢れており、背の小さなクロノなら子供たちの中、俺一人なら天井裏だろうがどこだろうがすぐに身を隠せる。
精神的な死角であり、保険も打てる場所なのだ。
「さて、腹が減っては戦が出来ねぇし、食うか」
そうしてクロノの持ってきたスープとパンを齧りながら、昔より味は薄くなったし、バンも硬くなったと思う。
エレクによる貧困層への攻撃は確実に孤児院にも被害が出ていることを痛感しながら、子供たちにもっと良い飯を食ってもらうため、マオを勝たせる必要がある。
そのためにパンをスープに浸して食べていると、クロノがふと口にした。
「聖女様には挨拶しないんだね」
攻めるわけでも、問いただすわけでもない。クロノはパンを千切りながら、ポツリと呟いたのだ。
俺がなぜアンサングに関わったのかも、稼いだ金を孤児院に流していたのも、クロノはすぐ近くで見ていた。
「お節介だね」とか「正面から渡しに行けばいいのに」と、からかう口調で言われる中、生き方を否定され叫んだ日だけは、何を言わずに寄り添ってくれていた。
あれから時が経ち、俺たちも大人になった。だが俺はいまだに、聖女様に正面から向き合えずにいた。
怖がっているわけではない。自分なりの考えを持ち、これが俺の生き方だと言い張ることはできる。
しかし、それでもし悲しませててしまったら? ただでさえ厳しい経営状況の中、こんな形で転がり込んで来た挙句に、自分勝手な考えを押し付けられたら?
タラレバなのはわかっている。もうとっくに俺の事なんか忘れて、顔だって覚えていないかもしれない。
だとしても、まだ正面からは向き合えない。失礼なのは百も承知だ。ここに隠れさせてもらうのだって、クロノが交渉したのだ。
しかし、かつて世話になり、この窮地にも寝床と飯を出してもらっている。
それでも挨拶の一つにもいかない。怖くないと言い張りながらも、どうしても一歩が踏み出せないのだ。
聖女様はそんな俺を、どう思うだろう? 結局は盗賊として盗みを働くことを選んだ俺に、自分の言葉は意味をなさず、むしろ自分のせいで追い出してしまったのかもと思うかもしれない。
ああでもない、こうでもない、そう頭の中がグルグル混乱していると、クロノが「まぁ」なんて言いながら、パンを口に放り込んでいた。
「これからやることは、ボク達らしくない良いことだ。マオの勝利はこの国の貧困層を救うだろうからね。加えてこれからやろうとしている”バカ騒ぎ”だけど、あれだって見方によったら正義の味方みたいなものだろう? だからさ、」
クロノは言葉を区切ると、俺を見つめて口にする。
「一回だけ会ってきたら? これから我々は世のため人のため……まで畏まらなくていいけど、盗賊なりにこの国を良くするために頑張るってさ。どこかの罪のない誰かを陥れて盗みを働くならともかく、相手は権力に物を言わせて弱い者虐めしてる金持ちなんだから」
「……金持ちだろうが物乞いだろうが、何かを盗んだら咎めるだろうな。しかし、今回ばかりは少し事情が違うか」
立ち上がると、柄ではないがクロノに「ありがとよ」と背中を押してくれた礼を言っておく。
らしくないとクロノに笑われながら、その笑みを見つめた。
これから俺たちは、最悪死ぬかもしれない博打を討つ。
無論勝つつもりだ。それでも、万が一ということがある。
聖女様に会っておくのもそうだが、俺は死ぬ前にやるべき事――伝えるべきことがあると、クロノを見据える。
「なんだい? お礼だったら、レイナとの二択でボクの方を選んでくれたら……」
「もう選んでる」
「え……」
「全部終わったら、週休六日とか言ってる長に代わってアンサングを立て直さなきゃならないしな。なにより、二人で忍び込んだ方がなにかと安全だ」
我ながら恥ずかしくなり「分け前は減るがな」と言いながら去ろうとしたら、クロノが待ってと叫んだ。
「り、理由は……その……レイナと比べての消去法とか、聖女の隣は似つかわしくないから妥協してとか……なんか、そういうのじゃ……」
色白の肌を赤くして、小さな身体を震わせて、クロノは必死に言葉を紡いでいた。
いつもの余裕なそぶりは鳴りを潜めている。どうやら今回ばかりはそうもいかないようだ。
だから、俺も真面目に答えた。
「Sランクの盗賊が、人生最高の宝を妥協なんかするかよ」
それだけ言うと、クロノは涙を流しながら笑っていた。しかしそんな顔で、俺に問う。
「なんでボクなの?」と。つっかえつっかえ、自分を卑下しながら聞くのだ。まるで自分は選ばれるべきではないと思っていたかのようで、見ていてとても心苦しいが、クロノは続けた。
「付き合いの時間じゃ、レイナの方が長くて、身体だって……ボクは貧相で、レイナは女の子っぽくて……」
「……クロノ」
「人だって沢山殺してきたよ? 沢山の人を不幸にしてきたんだよ? 仕事で仕方なかったけど、汚い男に抱かれた事だってあるんだよ? そんな汚れたボクを……綺麗なレイナじゃなくて……なんで……なんでぇ……?」
理由は、しっかりある。レイナもクロノも、俺にとってはかけがえのない存在だ。二人の片方と出会えなかった人生なんて、考えられない。
そんな二人の中で、クロノを選んだ理由は妥協だとか消去法だとか、そんな物では決してない。
笑いながら泣いていた顔が、やがて不安からか笑みが消えていく。
いつも飄々としていて、どんな時も余裕を見せていた姿は一切なく、今にも不安に押しつぶされそうになっていた。
――今、全部伝えるべきなのかもしれない。もう数日としないうちに、俺とクロノは国を相手に喧嘩を売る。
イベルタル全土を巻き込んでのバカ騒ぎの火付け役となるのだ。
万が一見つかれば、殺されるのは確実だ。生きているのを後悔するほどの拷問のあと、やっと死ぬことを許されるような事態になるかもしれない。
所詮人生は賭場であり、あらゆる行動とは賭けだ。運がよければ毒を盛られても生きていられるし、運が悪ければ建物から煉瓦が落ちてきて死ぬ。
このあと行う事に『絶対』などない。そうである以上、未練は残したくない。
伝えておけばよかったと、後悔だけはしたくない。
もう二度と。
「クロノ……聞いてほしいことがある」
「ま、待って……ボ、ボクも突然の事で頭がメチャクチャで……ら、らしくないよね! こんなさ! これからって時に、ホント……ごめん、こんなんじゃ一緒に行動できないよね……」
「だから、今伝えておきたいことがあるんだ」
座ってパンを食べていたクロノの手を取り立ち上がらせ、引き寄せる。
「やっ……待って……」
「ずっと急かしてたのはお前だろ? だからもっと早く、こうするべきだった」
初めて抱きしめたクロノの身体は本当に華奢で、今にも折れてしまいそうだった。
「よく、今までこんな身一つで……」
抱きしめる力を緩めようとして、クロノが激しく抵抗した。
「や、やだ! いやだ……離さないで……やっと、また一人じゃなくなったのに……」
「何を言って……」
クロノが俺の身体に手を回すと、涙がポタリと落ちる。
「生まれてから、ずっと一人で……汚い盗賊として生きるしかなくて……誰も隣にいてくれなかったんだ! 孤児院にいるときも、シビトの隣にはいつもレイナがいて、ボクはそれが嫌で孤児院を飛び出して……」
「お前、そんな事を……」
「そんな事じゃない! こんな身体で盗賊なんてジョブに生まれて、孤児院じゃ同じ盗賊のシビトしか一緒にいてくれなかった……シビトがいたから、レイナとも友達になれた……! だけど、ボクはずっと、シビトの隣にレイナがいたから、君と二人きりになれなくて……嫉妬してたんだ……」
涙をこぼし、表情を歪めながら、クロノは孤児院時代からの想いを懸命に話す。
言われた通り、俺の隣にはいつもレイナがいた。クロノとは、いつだって仲良しでも、悪友のような関係だった。
明確に距離は違くて、俺だって初恋の相手はレイナだと思っていた。
一緒にいたクロノを孤児院時代は女の子として見ていなかった。
それを察していたのだろう。いつしか耐えられなくなって、孤児院を出て行ってしまった。
だが、そんなクロノはようやくチャンスが訪れたと、悪いと思いながらも喜んでしまったと涙ながらに語る。
「君が孤児院のためにアンサングに来た時、本当に嬉しかったんだ。例えボクのためじゃなくても、また一緒になれることが嬉しくてたまらなかったんだ! だから、必死にアプローチしたさ……空振りだって分かってても、冗談半分に聞かれてるって分かってても、我慢できなかった……シビトは、初めてボクと同じ盗賊として生まれて、出会ってくれた人だから……」
たったそれだけの理由で、クロノは俺の事をずっと想ってくれていた。
その想いを無下にしてきたのは事実だし、アンサングを抜けたのも事実だ。
「もう、離れないで……! 次だってうまくやるから! 失敗しないから! だから、離さないで……もう他の人のところに行かないで……一人にしないで……」
アンサングを抜けて勇者パーティーにいる間、クロノから冗談のような手紙はたくさん届いた。
どうせふざけ半分だろうと思い、ロクに相手をしていなかった。
俺は、あれからクロノに、こんなにも感謝する事になるなんて知らなかったから。
「――俺だって、クロノが好きだ」
「ぇ……?」
「一緒になって、離れて、また一緒になって、ようやく分かったんだ。クロノは俺に、居場所を作ってくれてたんだって。そう分かったとき、本当にうれしかったんだ」
正しい行いをしていると思っていたら、それを全て否定された時、クロノが隣に居てくれた。
パーティーを追放され、行く当てがなくなった俺にも、例えレイナや聖剣がなくたって、クロノの元に帰って来ていたと思う。
そして、また二人で笑いあう日々を過ごしていただろう。そう思える存在がいることが、存在を否定された時も、パーティーを追放された時も感じた、恨みも、憎しみも、怒りも……悲しみも、全部打ち明けて笑いあえる場所を作って、いつも俺の事を待ってくれているクロノがいたから、心が闇に飲まれなかったのだ。
俺はクロノに救われていたのだ。
「今なら分かる……いや、とっくに分かっていたはずなんだ。色々あったから気付けなかっただけで、クロノが俺を支えてくれていたから、俺は俺でいられた。最弱の盗賊が、幸せを感じられた――だからもう一度言う……好きだ、クロノ」
「ッ! ボクも、好きだ! 大好きだ……!」
そうして、強く強く抱きしめ合った。俺たちの出会った孤児院で、ようやく俺は、俺の本当の宝物を盗めたんだ。




