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死神。

 この世は地獄だ。


 12歳で春日寿かすがひさしは漠然とそう思っていた。


 齢12歳で大げさと思うかもしれないが、その時の彼には、それが事実だった。


 学校がとにかく嫌だった。国語も算数もまるで宇宙語で何を言っているのか解らない。それが始まったのが6年前、小学校に入学した時から始まった。新し生活、新しい知識を得て大人になれると思っていたが、その期待は3か月ほどで裏切られた。


 授業が全く解らないのだ。


 文字を描くのも、覚えるのも全く頭に入らないし、計算もそもそも数を覚えられない。集中力が続かず、どうしても鉛筆と消しゴムが彼にとっては玩具になってしまい。手の中で、小さなチャンバラごっこを始めてしまう。いけないとわかっていても、それをせずにいられない。それをしないと、体中がムズムズと痒くて仕方ないのだ。


 しかも、運動も苦手だ。


 すると当然、授業には着いていけずに、孤立する。当然いじめにも合うし、彼自身、クラスメイトがみんな異世界人に見えるのだ。


 何で、みんなは授業が解るのだろう?どうして、僕だけ、何も解らないんだろう?


 常にそんな疑問が彼にまとわりついていた。


 小学校の高学年にもなると、死生観も出て来る。


 そんな年に差し掛かった小6の春、「あっ、僕は間違いなんだ。生きていることが間違いなんだ」そんな思いが、彼の精神を柔く詰めてく包み込み、死への誘いをささやき始めた。


 国道1号線。六本木という喫茶店のあった交差点。通称六本木の交差点。(静岡の東部の街にあるあくまで通称なので、実際の六本木の交差点とは関係ない)に寿はいた。


 行き交う車の波を眺めて佇んでいた。



 行き交う車の波に何度も足を踏み入れようてすれば、引き返す。その繰り返しを何度も興じては、次こそはと自分に言い聞かせ、死への恐怖と1人戦う。


 生きにくく苦しい毎日から解放されたい。


 そう思うはずなのに、彼の体はその安息への一歩を踏み出せずにいた。


 怖いのだ。


 死ぬのが怖いのだ。


 当たり前の事だがそれが今の彼には煩わしい。なんせ、苦しみから、解放されるために死を選んだのに、それが怖くてたまらないのだ。


 情けなかった。死ぬことすら出来ないポンコツな自分が情けなかった。


 交差点で、1人立ち尽くして泣いていた。


 ここに居場所はない。だけど、”居場所になりうる死後の世界”に行く勇気もない。母の子宮に戻る事なんてもちろんできない。


 死後の世界とはどんな所だろうと考えを巡らす。


 いつか見た心霊番組に出て来た青白い幽霊の顔が頭に浮かぶ。無表情でありながら、敵意を帯びた眼でこちらに迫って来る映像は今でもトラウマだ、毎晩眠る時に脳裏に浮かんでは寿はそれから身を守るように頭から布団を被っていた。


 死ねば、自分もああなる。死ねば、あんな恐ろしい幽霊たちと毎日過ごす事になる。そんな妄想がさらに死への恐怖と自分への不甲斐なさを駆り立てて、寿の涙を更に道端に落とさせた。


 本当に居場所がない。


 今日もいじめられた。教室に入るなり、タックルを喰らい、羽交い絞めにされた。給食の時間に牛乳を頭から掛けられた。


「おーい!あんまり、寿の事いじめんなよー」


 担任の鈴木先生はそう言って注意はしてくれるけど、その口調は軽く、いじめっ子たちも適当に「はーい」と答えるだけで、いじめその物はいつまでも無くならなかった。


「あいつらもただの遊びなんだから、お前も合わせればいいじゃん。お笑い芸人はみんなそうしてるよ」


 いつか、鈴木先生に相談した時、そう言われた。先生の中では、ただの遊びでしかないのが解った。そして、思った。


 僕は芸人じゃない。


 お笑いは好きだけど。芸人になりたいわけじゃない。そして、寿が好きなのは、ドリフのコントのような掛け合いの笑い。何気ない日常の中にある人々の生き様の面白さをオーバーラップした笑い。


 熱湯に突き落とされたり、羽交い締めにされてワサビを口中に入れられて悶え苦しむのを外野が茶化して笑う様な、よくあるバラエティーは嫌いだった。


 皆んなはそれを面白いと言うが、なんにも笑えない。それはただ単に自分と重なるという理由もあるけど(げんにイジメっ子はその低俗なバラエティーのマネを寿で試した。)暴力的で支配的な笑いは強い者が正義と言う現実を突きつけられている様で見ていて辛かった。


 そんなお笑い芸人に例えられる僕は、支配される側の人間なんだと諭される。


 先生に、大人に諭される。


 絶望だった。


 もう、頼る人間も希望も無かった。


 僕には、この世に居場所はない。


 頭の中で声がした。


「お前に生きる意味はない。お前に生きる意味はない」


 声が何度も繰り返す。


「お前に生きる意味はない」


 その声に促される様に寿は放心状態になり、行き交う車の流れの中へと足を踏み出していた。


 何も感じない。


 まるで夢遊病の様に足が勝手に動き、車の濁流に寿は吸い込まれていく。


 恐怖も、悲しみも何にも無かった。ただ、心地よかった。何も感じない無の感覚が。


 もう、寿には死しか見えていなかった。死でしかか、彼の心は救えなかった。


 無。無。無。無。無。無。


 無の心地よさに酔いしれ、道路の中ほどまで来てしまった時の、けたたましいクラクションが鳴り響いた。


「うわわわわぁ」


 我に返った時はもう遅かった。


 軽自動車が寿を跳ね飛ばした。


 寿の身体は中を舞い、アスファルトへ叩きつけられた。


 ぐるぐると世界が回っていた。


 アスファルトへ叩きつけられるまで、回る世界を寿は眺めていた。


「僕は死ぬんだ」


 一瞬の恐怖と回る世界の間で彼は何故か冷静に、その事実を受け入れていた。


 暗転。


 闇の中で浮遊していると声が聞こえてきた。


「おーい。生きてるか。いや、死んでるか?でもこっち側はまだ、此岸だから生きてるのか?」


 覗き込む声に促され、眼を開くと黒いフードを被った少女の顔がそこにあった。


 色が白く整った顔立ち。眼は二重で子犬の様な愛嬌を纏ていた。


「誰?」


 覗き込む少女に寿は尋ねる。


 同じ歳かそれぐらいに見えるが面識ない顔だった。


 同級生やクラスメイトにも見覚えが無い。


「死神」


 そんな初対面の少女が呟くようにそう答えた。


「死神?」


 寿も復唱する様に呟く。


「そう、死神。私は死神。そしてここは三途の川のほとり」


「三途の川じゃあ僕は死んだの?」


 三途の川はまだ小学生の寿にも解る。あの世の入口だ。


 寿は身体を起こして辺りを見渡した。


 なるほど、丸い石が敷き詰められたような光景と流れる河。確かにここは三途の川のようだ。霞掛かった景色に目を凝らすと、幾人もの人が列をなして、小舟の前に並んでいる。


 小舟は人々を乗せて、河へ漕ぎ出し、人々を対岸へと運んでいた。


 テレビで見た怖い幽霊が沢山居るような闇の世界ではなかった。


 これなら、やって行ける。これなら、死んでも怖くない。


 寿は起き上がり、死神少女と向かい合った。


「連れてってよ」


 そう言って、寿は死神少女に手を差し出した。


「はぁ?」


 死神少女が不機嫌な顔をして「どこへ?」と聞き返した。


「だから、天国。僕死んだんでしょ?」


 死神少女がため息を付いた。


 またか。解ってはいたが、自死を遂げた子供をこの河を渡すのは気が乗らない。


 少女は改めて寿を睨んで「あんたはそれでいいのか?」と聞いてきた。


「だって、それが君の仕事でしょ?さっさとしてよ」


 今度は寿が不機嫌になる。


 死神少女がまた、ため息を付いた。


「嫌だ」


 少女が言う。


「なんで?」


 寿が聞き返すと、「あんたはまだ死んでない」て答えた。


「死んでない?」


「そっ、死んでない。この三途の川をは挟んで向こう側は彼岸。つまりあの世。そしてこちら側が此岸。現世。つまりあんたはまだ死んでない」


「そっか、じゃあ、この川を渡ればいいんだよね?あの船で」


 そう言って寿は小舟を指差すと、そこへ向かおうと歩き出す。それを死神少女が袖を掴んで阻止をした。


「何すんだよ?」


 寿が怒鳴る。


「あんたは本当にそれでいいの?死んじゃうんだよ」


「いいんだ。もう」


 寿か俯いてそう答えると、少女が「そんなはずはない」と言った。


「そんなはずはない。あんたの親とか、友達とか、みんな悲しむよ。今この川を渡ったらあんたはその悲しみを業として背負うんだよ。地獄行きだよ」


 死神少女の必死な訴えに、寿は固まり立ち尽くした。


「地獄?」


 地獄と言う言葉に寒気を覚えた。


 寿が怯える様に、聞き返す様にはんすうした。


「そう地獄。この川を渡った対岸の彼岸は賽の河原と言って子供が行く地獄なんだ。そこに落ちたら、無限に河原の石を積み上げて塚を作り続けないと行けない」


「それだけ?」


 寿が聞き返した。


「それだけって?永遠だよ。極楽に行けないんだよ」


 死神少女がそう言うと、寿は弱々しく笑って、「なら、いじめに合うよりましだ」と呟いた。


「いじめ?」


 死神少女が聞き返す。


 寿は少女に自分が今までされて来た事を全て話した。


 少女は黙って寿を見つめて、彼の話を聞いていた。


「酷い。あんたは何にも悪くない。だけど、私はあんたを彼岸に連れて行かない」


「なんでだよ?今まで生きて来た事の方が僕には地獄だったんだ。それがやっと解放されて楽になれるのに、なんで?僕を助けてよ」


「嫌だ。どうしても嫌だ」


「なんでだよ?」


「悔しいから。なんにも悪くないあんたが、死んで悪い奴らがのうのうと生き続けるのが、そして、あんたを忘れて、将来幸せになるのが私には許せない」


 少女の言葉に寿は固まり、けれど心はざわつき、涙が溢れていた。


 何も言い返すせない。それどころか、救われた様な気持ちになっていた。自分の事で真剣に怒ってくれる人に初めて会った。


「君は、僕の味方?」


 寿が呟くように、言葉を溢しかけた時、少女は後ずさる様な仕草をすると、助走を付くけて寿に飛び蹴りをかましてきた。


「おりゃぁぁぁ」


 身体に強い衝撃が走ると、寿の意識は暗転し、、、。


 見知らぬ天井と、覗き込む両親と、医師と思われる初老の男の顔が眼の前に会った。


「意識戻ったようだね」


 医師がそう言葉を投げかけ、寿が頷くと、寿の母典子が、泣きながら、しがみついて来た。


「お母さんごめん」


 母の涙に反応する様に自然とその言葉が口から溢れた。

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