地獄へ。
「ふー。これで、三度目だよ。契約通り、君を地獄に落とさなければならないが、何か言いたい事はあるかい?」
地蔵菩薩は優しい声色、それでいて淡々とした口調で、そう言った。
「・・・・」
「何も無いのかい?」
フードの付いた黒装束の少女に彼は再度聞くが、少女は不貞腐れた態度で、足元の石をつま先でいじっている。
場所は河原で、川は緩やかにサラサラと流れている。
川の向こうから、小舟に乗って幾人もの人々が、”こちら側の世界に”やって来るのが見ることが出来る。
川の名前は三途の川。河原の名前は賽の河原と言った。
川の向こうから、やって来る人々とは別に、その河原で、石を積む子供達の姿も見える。
その子供達の様子を見守りながら、地蔵菩薩が小さく語る。
「君をここで拾って、今日まで仕事を手伝ってもらって来たけど、君はには、得を積んで、極楽浄土に行ってほしかったんだがな」
「興味ない」
不意に少女が言った。
「どうして?」
「記憶無いけど。賽の河原で彷徨うと言う事は、私は両親の願いを、裏切ったってことだよね?生きて、幸せになると言う両親の期待を裏切った。だから、いくら、現世を彷徨う魂をここまで案内する”死神”として職務を全うしても、私の罪は消えるとは思えない」
「そう思っているのか、罪は消えないって」
「はい。そう考えています」
「そうか。なら仕方ない。君を地獄へ送る」
そう言って、地蔵菩薩は、祝詞とも、経文ともつかない呪文唱える。
彼女の意識は、すうっと消えて行った。
少女は死神だ。
幼くして死んだ魂は、親を悲しませた罪を背負い、賽の河原で石を積む。その石が積み終わると極楽へと行けると言う事になっているが、それは建前で、その石の山は理不尽にも賽の河原の鬼に崩されてしまう。
それが無限に続く無限地獄を子供たちは、彷徨う。
そんな子供達を救うのが地蔵菩薩だ。
彼は、一年の最後の日、つまり大晦日に賽の河原に降りてきて、子供を毎年1人ずつ連れて行く。
そして、何かしらの神としての役を与えるのだ。
八百万の神と言って、家内安全、商売繁盛、子宝、恋愛成就等々、色々なご利益があるのはそのためだ。そして、神として、その職務を全うした子供たちは、晴れて極楽浄土へと迎えられるのだ。
少女も、地蔵菩薩によって役を与えられた、御柱の1人だった。
死神。
現世にとどまり、川を渡れない霊達を説得し、川を渡らせるのが彼女の仕事だった。
その仕事を彼女は三度放棄した。
ここ最近年端も行かない子供達の死者が多かった。
子供は、川を渡った先の河原から動けない。賽の河原で、地蔵菩薩が来るまで石を積まなければならない。
戦争紛争、現世ではそう呼ばれる人間の愚かな行為によって、多くの幼い命が失われ、ここへ流れつく。そんな子供達も彼女は、理不尽だが、理に従い導いていかなくてはならない。だが、その子供達に交じって、自らその命を絶ってしまった子供達もやって来る。戦争や紛争とは無縁の恵まれた所に生まれたはずなのに、子供達は自らここへやって来る。どう見分けるのかと言うと、色が違うのだ。理不尽に奪われた、もしくは不慮の事故で命を失った子供達は、皆透き通た白い魂なのだが、自死を選んだ子供達は赤黒い魂であった。
色の違いに関係なく導くのが、死神としての彼女の仕事だったが、彼女には理解が出来なかった。
「なぜ、幸福に満ちた所から、逃げ出すのか?」
彼らを見る度に、いつもその言葉が、彼女自身から剥がれ落ちて行った。
我慢ならなかった。
残された、家族や、彼らの友人たちの事を思うといたたまれなかった。
だから。
その子供達を彼女は、思いっきり蹴り飛ばして、現世へと突き落としていた。
突き落とされた子供達は、皆、現世で生き返っていた。
「ああ、首か。私が地獄へ落ちたら、もう、子供達を蹴り飛ばす死神は居なくなるだろうな。後任はどんな子だろうな。あんまり、真面目に仕事して欲しくないなぁ」
薄れていく意識の中で、彼女は静かにそう呟いた。
「琴葉」
薄れて消えかけた意識を通り抜けたその先にまぶしい光があった。
光の中で、そう、”名前”を呼ばれた。
「西上琴葉さん・・・わかりますか?」
西上琴葉。
それが、地獄での彼女の名前の様だ。