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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第40話 それから

 厨房に人の気配を感じ、咲はまぶたを上げた。

 物音を立てないようにそっと廊下を進み、厨房をのぞき込むと、そこには、若い料理人の男性が一人いた。咲には気付いていない様子で、淡々と料理を作っている。その手元には、きらきらと黄金色に輝くコンソメジュレがあった。

 咲は客席に向かう。消したはずの明かりがぼんやりと灯っていたのだ。

 客席には、一人の女性がいた。かわいらしいワンピース姿で、髪を結い上げたことによってあらわになった顔は素朴で、そこには喜びの色が見えた。

 咲は彼女がよく見える席に座った。

「お待たせしました」

 やがて厨房から、料理人の男性が現れる。男性はディナーの前菜を女性の前に置く。女性は、「まあ」と感嘆の声を上げた。

「とってもきれい。きらきらしていて……」

「君は、きれいなものが好きだから」

「うふふ、あなたの料理はいつだって大好きよ」

 二人はどうやら想い合い、それが通じ合っているようだった。男性がはにかむと、女性は楽しげに笑った。

 次にやってきたのはクロケットだ。

「これはとうもろこしね」

「ああ」

「あなたは本当に料理が上手ね、こんなにも素敵なものを食べられるなんて」

 咲はふと、二人の姿に違和感を覚える。いつの間にか服装が変わっている。いや、それだけではない。少しだけ、年月が過ぎたように見えるのだ。

「さあ、次をどうぞ」

 続いてスープが現れる。

「君は野菜がとても好きだから」

「そうなの。何があっても、野菜だけは食べられるのよ」

 得意げに言う女性を男性は愛おしそうに見つめる。二人の声もだんだんと落ち着いたものになっていき、所作もゆったりとしている。

「そうだな」

「ねえ、次はどんな料理が食べられるのかしら」

「ああ、もうすぐできあがる」

 メインディッシュの魚料理。女性はそれを見て表情をほころばせた。

「まあ! あなた、私の好きなものをここまで覚えててくれるのね!」

「当たり前だろう。何よりも愛している君のことだ」

 恥ずかしげもなく当然のことのように言う男性に、女性はぽっと頬を染め、恥ずかしそうに笑った。

 二人の姿は、どんどん時が進んでいく。咲はそれを見ながら、ある答えにたどり着いていた。咲は自分でも驚くほど穏やかな気持ちで二人の姿を眺めていた。

「それにしても、あなた、こんなところにいたのね」

 爽やかなレモンソルベを食べながら、女性はつぶやいた。

「私の知らない場所で、私の大好きなものを作っていたなんて」

 いたずらっぽく言う女性に、男性は苦笑して言った。

「……そうするしか、なかったんだ」

 男性はメインディッシュの肉料理を運ぶ。肉料理はあまり好んで食べないらしい女性だったが、この料理はたいそうおいしく食べられたようだった。

「どうしてタケシなんて名乗ったの? それって弟さんの名前じゃない――正志(まさし)さん」

 ああ、やっぱり。咲は涙をこらえるように目を細める。やがて女性の姿は咲にとって最も見慣れた姿になってしまった。男性の姿は、どちらかといえば若い頃の方が見慣れたものだった。しかし、二人が一緒にいる光景は自然で、あるべき姿なのだ、と咲は思った。

「――こちらの世界に来てしまった時」

 男性――正志は女性の前にアップルパイを置くと座って、とつとつと話し始める

「絶望した。君を――君と、お腹の子を置いて、妙なところに来てしまったと。そして二度と帰れないと言われたとき、もう、生きている意味もないと思った」

「……そう」

 女性は優しい瞳で正志を見つめる。そこに込められた愛おしさは、何物にも代えがたいほど透き通ってきれいなものだった。

「でも、そこで死んでしまったら、君に叱られる気がした。だから、必死で生きた。でもどうしても、君を忘れることはできなかった。だから、せめてこの名前だけは――」

 正志は女性を意志の強い瞳で見つめて言った。

「君だけのものでありたかったんだ、花さん」

 女性――花はくすぐったそうに笑った。

「まあ、あなた、そんなにロマンチックだったかしら?」

「何とでも言えばいいさ。僕は、君のことをいっとう愛しているのだから」

「……私もよ、正志さん。あなたをいっとう愛してる」

 すべてが終わって、二人は向かい合って座った。花は先ほどとは打って変わって、明るい声で話し始めた。

「それにしてもまさか、咲まで連れて行くなんて。一体どういうこと?」

 突然自分の名前が出てきて、咲はびくっとする。正志は少し気まずそうに言った。

「それは……僕のせいだ」

 二人の視線が先に向けられる。咲が思わず立ち上がると、二人も咲の元へやって来た。

「僕が厄介な魔法を残してしまったみたいだから」

(魔法?)

 咲は視線で問いかける。正志は鼻に視線を向けて答えた。

「――僕の想いをすべて知り、受け継いでくれる者だけに、この料理を……花さんにささげた料理を作れる、そんな魔法を」

「あら」

 すると花はいたずらっぽく笑った。

「だったら、もっと作り方のヒントを残してあげればよかったじゃないの。あなた、自分の中で完結しちゃうんだから」

「最後の方は必死だったんだ。それに、書き留めていたら、君のことを思い出してたまらなく苦しくなって……」

「あら、それなら私のせいでもあるわねぇ」

 花は咲を見る。

 ああ、もう一度だけでもいいと願った、会いたいと思っていた人が目の前にいる。視線が自分に向けられ、その声で名を呼んでくれる。咲の目から涙があふれ出した。

「あらあら、どうしましょう」

 花は咲の手を取り、もう片方の手で涙をぬぐった。

「……咲、立派になったわねぇ」

 咲は何度も頷いて、ただ、「おばあちゃん」とつぶやくほか出来なかった。花は嬉しそうに笑うと、咲を抱きしめた。

「すまないな、大変な目に合わせてしまった」

 と、傍らにいる正志が申し訳なさそうに言うが、咲は首を横に振った。

「そんなことない。私、とっても幸せだよ――おじいちゃん」

 すると正志は少し目を見張った後、安堵したように微笑み、二人まとめて抱きしめた。

 咲はただ、子どものように泣きじゃくった。正志は抱きしめる手に力をこめ、花は咲の背を優しく撫でた。咲は懐かしい温かさをただ抱きしめ返した。


 目を覚ますと、そこは見慣れた仮眠室であった。

「……夢」

 咲は手に何か違和感を覚えて視線を落とす。そこには、金色のロケットペンダントが握られていた。

 開け方も分からないはずのその蓋を咲は難なく開けてみせる。

 そこにあったのは、セピア色の写真だった。無地の背景に、白無垢を着た女性と黒門付きの袴姿の男性が、緊張しつつも幸せそうな表情で写っている。

 再び、咲の目から涙があふれる。

「なあんだ、こんなところにいたの」

 泣き笑いの表情で、咲はロケットペンダントを胸に抱く。

「この二人は、どうして、もう」

 咲は涙が止まらなかったが、それでも、胸いっぱいに暖かなものが広がるのを感じていた。


 その写真に刻まれていた日付は、彼の最愛が空に旅立ったその日と同じであった。


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