第37話 厳しい冬
この国の冬は、とても厳しい。
冬の寒さを感じる頃には雪がちらつき始め、本格的な冬になるとすっかり街は一面雪景色となる。
だからといって人通りが減るかといえば、そうではない。
幻想的な街並みを楽しむ観光客もいるし、寒さと雪に慣れた街の人々は何食わぬ顔で生活を続けるし、花が春を待ち眠る庭園には魔法の光でイルミネーションが施されている。冬には冬の、魅力があるのである。
しかし、そんな街中を咲は浮かない表情で歩いている。
もうすぐフルコースも完成しそうで、本来であれば喜ばしいことなのに、どうにもそのことを考えると心がどんよりと重くなる。それは、楽しいことが終わってしまう寂しさなのか、それとも別の何かなのか。咲は考えるうちに分からなくなって、街に出ていたのだった。
「おや、咲さん」
そこに声をかけてきたのはリッキーだ。店の前に積もった雪を片付けていたところのようであった。
「ああ、リッキーさん、こんにちは」
「こんにちは、今日はお休みですか?」
「ええ、まあ……」
長いこと街を歩いていた咲の頬はすっかり赤くなっていた。リッキーはそれを見ると、「よければ中へ入りませんか?」と聞いた。
これから特に行く当てもなかったので、咲はその厚意に甘えることにした。
ブティックの中は暖かく、まだ客の姿は少ないようだった。商品が置かれていないスペースにはいくつかテーブルと椅子が設けられていて、そこでお客さんにお茶やお菓子を出しているようだった。
そこには先客がいたのだが、その人は咲を見つけると笑って手を振った。
「サキさん、こんにちは!」
「ナロさん。こんにちは」
咲はナロの向かいに座る。ナロの前にはミルクティーとアップルパイがある。にこにこと笑って、ナロは言った。
「寒いですよね、最近。この街は冬になるといつもこうで……不自由はないですか?」
「ええ、おかげさまで」
咲は微笑みながらそう言って、ナロの前に置かれたアップルパイを見つめる。
「あ、これですか?」
ナロは楽し気にアップルパイがのった皿を持ち上げる。
「この街、アップルパイが有名なんです。お店はもちろん、家ごとにいろいろなレシピがあって面白いんですよ」
「そうなんですね」
「ちなみにこの店は、薄切りのりんごをきれいに何層にも重ねているのがいい」
「失礼します」
そう言いながら、片付けを終えたらしいリッキーが銀色のトレー片手にやってくる。そこには入れたての紅茶とアップルパイが載っていた。リッキーは咲の前にそれを置く。
「ナロさん、これだけのためにうちに来ることもあるんですよ」
「どうしても食べたくて」
二人の気楽なやり取りに咲は笑う。温かな紅茶の香りが、すっかり冷えた体に沁み込むようだ。アップルパイはバターの香りとシナモンの香りが効いていて、層になったりんごのコンポートの食感もよい。
「確かに、おいしいです」
するとリッキーは嬉しそうに笑った。
「サキさんにそう言っていただけると、嬉しいものですね」
「確か、フルン・ダークにもありましたよね? アップルパイ」
ナロの言葉に、咲は表情がこわばりそうになり、とっさに口角を上げる。
「ええ」
「確か、今、ディナーの再現をしているとお聞きしました。もうすぐ完成だと」
「そうですね……」
「それは楽しみですね。出来上がったら、教えてくださいね」
リッキーにも楽しげな表情を向けられ、咲は頷いて、暗い気持ちをごまかすように紅茶を飲んだ。
「へえ、リッキーのところのアップルパイを食べたのか」
厨房でアーキーは、興味深そうな声を上げる。
「どうだった?」
「おいしかったですよ。甘さ控えめで、バターの香りが強めでしたかね」
「確か、ずっと受け継いでいるレシピがあるって聞いたよ」
「そうなんですね。いいですねえ」
咲は手帳を眺めながら考えこむ。フルン・ダークのディナーのアップルパイは、レシピを見る限り甘さ控えめのようだった。そして、クリーム状の添え物がある。
しかし、やはり残されたメモが少ない。咲は悩まし気に首をかしげる。
「後半にいくにつれて、残された情報が少ないんですよね……」
「そうだなあ……」
「試しに作ったのも、何か違うんですよね?」
咲が聞くと、アーキーは首をひねりながら頷いた。
「う~ん、何が違うのか……甘さとかシナモンの具合はいいはずなんだが……」
フルン・ダークのアップルパイはホールで焼くのではなく、煮たりんごをパイ生地で包むような作り方をする。りんごは程よく食感が残るように煮すぎないように。
「となると、添え物の方でしょうか。アイスクリームだとは思うんですけど……」
「だな、牛乳も産地で味がずいぶん違うから、いろいろ試してみるしかないか」
咲は手帳を見つつ、その目はどこか遠くを見ているようだった。
「大詰めですし、頑張らないと」
自分に言い聞かせるように咲は言うと、手帳を閉じ、考えを巡らせる。しかしどうにもうまくまとまらない。答えは見えているような気がするが、つかもうとするとするりと逃げていってしまうような。
それは難解だからなのか、それとも自分が意図的にたどり着かないようにしているのか。
「……あ、そっか」
その考えに至った時、この気分の重さの正体に咲は気づいてしまった。
「ん? どうかしたか?」
アーキーが聞くと、咲は笑って、「いえ、何でも」と言った。
夜に向けて、音もなく雪が降り始める。空に見える星々がちらちらと雪に交じり、雪は星のように輝いているようにも見えた。




