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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第36話 肉料理

 クスト村から商品が届いたのは、それからしばらくして、早朝のことだった。もともと急には卸せないということだったが、色々と頑張ってくれたようであった。

「思ったより早く届けてくれたみたいだな」

 アーキーが包みを開けると、それはそれは立派な牛肉が現れた。脂身は少なめで、赤身の色が鮮やかだ。

「おお」

「いいですね」

 咲は意気揚々と前のめりになって牛肉を見る。

「今すぐ試作を……と、言いたいところですが、そういうわけにもいきませんし」

「そうだな、仕込みだけしておくか?」

「そうですね」

 トゥルプの街も今は暑さも落ち着いてきて、過ごしやすくなってきている。故郷ではそろそろ夏の終わりを告げる虫の音が響く頃だ、と思いながら、咲は仕込みを始めた。

 大きなかたまり肉を扱いやすいサイズに切り分け、塩と胡椒を振って揉み込む。香草は使わない。クスト村の牛肉は、臭みが少ないのだそうだ。

 それを袋に入れ、真空状態にして冷蔵庫に入れておく。

「よし、これでいいですね」

「待ち遠しいなあ」

 アーキーの言葉が一瞬、咲の心に影を落とす。まるで、空を飛んでいく鳥の影が地面に落ちたかのような一瞬の出来事だった。

 急に無言になった咲に、アーキーは不思議そうな目を向ける。

「どうかしたか?」

 咲はハッとしてアーキーを見上げて笑った。

「いえ、ソースも考えないといけないなあと思って」

「ああ、そうだな……」

 アーキーは記憶をたどり、肉料理には何が添えられていたかを思い出す。

「肉汁を使ったソースではあったな。それと、マッシュポテト」

「あーいいですねえ、ローストビーフにマッシュポテト。それならグレイビーソースでしょうね。いろいろ試してみましょう」

「そうだな」

 いつもの調子に戻った咲に安堵しつつも、アーキーはやはりどこか彼女の表情に、引っかかるものを感じていた。


「よし、じゃあ、焼きますよ」

 夕暮れ時、咲の言葉に皆そわそわとし始める。

 仕込んでおいた肉はすでに常温に戻してある。オリーブから取った油を鉄製のフライパンに広げ、肉を置く。と、ジュワアッといい音がして、香ばしいかおりが厨房に広がる。ハンバーグとはまた違う肉の匂いだ。

 表面に焼き色を付けたら、あらかじめ温めておいたオーブンに入れじっくりと焼いていく。肉の中心温度に注意しつつ、待っている間に付け合わせのマッシュポテトを作る。

 切り分けたじゃがいもを水にさらしたら、鍋に移して茹でていく。ゆであがったじゃがいもは裏ごしして、再び鍋に入れたら、バター、クリーム、塩こしょうで味を調える。この辺りのレシピはアーキーたちが覚えていたので、咲は肉の方に集中する。

 焼きあがったら予熱で火を通すために保温する。その間に、ソースを作る。

 材料は、肉汁にブイヨン、赤ワイン、細かく切った玉ねぎとふるいにかけておいた小麦粉。これを気長にじっくり煮詰めたら完成だ。

 肉は薄くスライスする。きれいな桃色の断面に、咲は納得したように頷く。

 そこにグレイビーソースをかけたら、完成である。

「では、試食を……」

 分かるものは肉の産地だけ。その他のレシピが何も残っていない状況で作ったものなので、咲は不安であった。しかし、それは杞憂に終わったらしい。

「うん、うん、これ、近いよ!」

 と、ソアが笑う。

 グレイビーソースにはコクとうま味があり、さっぱりめの赤身肉によく合う。塩気も呼称も塩梅がよく、クリーミーなマッシュポテトと相性は抜群だ。

「そうだな。ちょっとずつ調整すべきところはあるかもしれないが……」

 アーキーも頷き、味わうように咀嚼する。給仕の者たちは実においしそうに食べていた。

「これをベースに、改良していこう」

「はい」

 咲は、ほっと胸をなでおろす。

 今回は――というより、このディナー全体にいえることだが、「お店に出してよい、上等な味」だけが正解ではないのだ。それをクリアしつつ、「先代料理長が作っていたフルン・ダークのディナーの味」にしなければならない。

 それを試行錯誤していく日々は楽しく、充実しつつもやはり、大変なものであった。何とか形になった今、咲は安堵の気持ちでいっぱいであった。

「残すはデザートだけってところだね?」

 と、メモを見ながらソアが言う。その瞬間、再び、咲の心に暗い影がよぎる。不安、悲しみ、焦り――そのどれにも似ている感情は徐々に、咲の心に広がって、曇天を映した水面のようになっていく。

「そうですね、デザートだけ……」

「デザートはアップルパイかあ。あ、でもこれは覚えてるよ。店の看板メニューをちょっとアレンジしたやつだったよね?」

 ソアの問いにアーキーは頷く。

「そうだな。そのアレンジがどういったものだったか……」

「色々試したけどしっくりこなかったんだよね」

「今度は甘いものが食べられるのね!」

 と、甘味には目の無いタキが楽しげに言う。

「もう、あなたのおやつじゃないのよ」

 呆れたように言いつつも、微笑むルシア。シイナも朗らかに笑った。

「楽しみねぇ」

「ああ、楽しみだ」

 リツも言いながら、五人はメモをのぞき込んだ。

 咲はそんな光景を見て、人知れず唇をかみしめた。そして、彼らが振り返ったときに普段の表情でいられるよう、心をなだめる。

 試行錯誤を繰り返すうちに、やがて、トゥルプの街に、秋を知らせる風が吹く。

 厳しい冬は、もうすぐそこまで迫っていた。


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