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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第35話 ヒウルーン地方

 整備された道を乗り合いの馬車で一時間。揺れ方がまさしく生き物のようなその乗り物に、咲はワクワクしつつも慣れないでいた。

「天気が良くてよかったな」

 咲の隣に座るアーキーが気分を紛らせるように話しかける。

「天気のいい日のヒウルーン地方は、とてもきれいなんだ」

「へえ……楽しみです」

 景色は徐々に建物が減っていき、やがて、風が草原を駆け巡る音が聞こえ始める。

「ヒウルーン地方のクスト村……もうすぐだな」

 と、アーキーがノートを見ながら言うと、咲は頷いた。

 目的の場所にたどり着き、アーキーは慣れたように馬車から降りる。そして振り返ると、咲に手を差し出した。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 咲はアーキーの手を取り、恐る恐る馬車から降りる。高さはそれほどでもないが、慣れていない上に昇降用の台があるわけでもない。咲はそっと足を下ろすが、少しバランスを崩してしまう。

「わっ」

「おっと」

 それを難なくアーキーが抱き留める。アーキーは何でもないように「大丈夫か?」と笑いかける。その距離の近さと体勢に咲は少し頬を染めると、「大丈夫です、ありがとうございます」と言って姿勢を正す。

 どうにもあの日から、アーキーは咲に遠慮がなくなったというか、気持ちを隠さなくなったように咲は感じていた。

(うう……嫌ではないけど、身が持たない……)

 早く慣れなければ、とひそかに覚悟を決める咲であった。

 クスト村の大半――というより、ヒウルーン地方の大半は草原で占められている。まるで吹く風が目に見えるかのようで、日照りはあるが、とても過ごしやすい。風が草原を走り抜けていく度、まるで海のさざ波のように緑が光る。

「……きれいなところですね」

 ほうっと景色に見とれたのもつかの間、咲はアーキーを振り返る。

「さて、それじゃあ行きましょう。その家の方とはどこで待ち合わせですか?」

 幸いにも、出荷元の連絡先が分かったので一か八かで連絡を取ってみたら、会う約束を取り付けることができたのだった。

「停留所の近くのカフェだとは聞いたが……」

 アーキーは周りを見回す。カフェらしきもの……というより建物はおろか人の気配すらない。あるのはのどかな風景と気持ちよさそうな牛たちの姿だけである。

 咲とアーキーは風に吹かれながら、しばらく立ち尽くすほかなかったのだった。


「いやー、すみません。混乱させちゃって」

 カフェの向かいの席に座る人のよさそうな男は、ふわふわの金髪を揺らしながら笑った。

「どうも田舎にいると距離感がおかしくなるようで」

 待ち合わせ場所のカフェは小ぢんまりとした個人経営の店の軒先にあったが、停留所からは十数分歩いたところにあった。幸いにも道路に面したところにあったので、先に到着していた彼が、馬車が通り過ぎたのを確認し、しばらくしても二人がやってこないから迎えに来てくれたのだった。

 男はリヒトと名乗った。二人は申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、ただでさえ迷惑をかけているのに、このようなことまで……」

 アーキーの言葉に、リヒトは慌てるように両手を振り、「そんな、迷惑だなんて!」と言うと、笑って続けた。

「ありがたい話ですよ~、ぜひうちの商品を! なんて、そんなこと言われて喜ばないもんはここにはおりません。それに、嬉しかったんです」

 二人はちらっと視線を合わせ、リヒトに無言で話を促す。リヒトは懐かしむような表情をして話した。

「祖父がやってた頃にね、懇意にしていたと聞いていたものですから。どうやらその時もそちらの先代さんが直接、こちらに来られてお話をされたそうで。いやはや、不思議な巡り合わせだなあ、と父と話していたのです」

「そうだったんですね」

「ええ……」

 そこに、リヒトの父がやって来た。父はヘームルと名乗った。リヒトが年を取るときっとこうなるのだろう、というような風貌で、やはり人は良さそうであった。

「やあ、お待たせして申し訳ない。仕事が立て込んでしまってね」

「ご無理を言って申し訳ありません」

「なんの、気にしないでください。それにしてもまた、お話をいただいて我が家も大喜びで」

 はっはっは、とヘームルは豪快に笑ったのち、少しだけ寂しげな表情を浮かべた。

「いや、というのもね。そちらの先代の料理長が亡くなられてから、どうにもぽっかり穴が開いてしまったような気持ちでして。つながりも途絶え、もう関わり合うことはないだろうと諦めていたのです」

 どうやら、相手もフルン・ダークに商品を卸すことにためらいはなく、むしろ好意的なようで、二人はこっそりと安堵していた。

 ヘームルは咲に視線を向けると、懐かしむように笑った。

「きっと、先代さんが繋いでくださった縁でしょうなあ」

 咲はその視線の真意をつかめず、微笑み頷くことしかできなかった。それでもヘームルは嬉しそうで、まなじりには涙さえ浮かんでいるように見えた。

「あなたは、先代の料理長にどこか似ている。転移者だからそう見えるのかもしれないが……それだけではないような気もしてしょうがない」

 咲は思わず、アーキーと目を見合わせる。アーキーも咲には先代料理長の面影を感じていたので、何ともいえない表情になった。

 ヘームルは涙をぬぐうと、「感傷はこれくらいにしておきますかな」と言って、本題に入った。

「改めて、うちの商品を仕入れたいと、そういうお話でしたな?」

「は、はい」

 二人は緊張した様子で返事をする。ヘームルはリヒトと頷き合い、快く笑って言った。

「もちろん、大歓迎ですとも。そちらさんの腕も、設備も、何もかも信頼に置けますからな」

 二人はパッと表情を明るくする。はっきりとそう言われるまで、不安であったのだ。ヘームルは書類を取り出すと机に広げた。

「とはいえ、あれから年数も経っている。というわけで、具体的な話をしましょう。よろしいですかな?」

「ええ、もちろん」

 前のめりに答える咲に、ヘームルは「ほっほ」と嬉しそうに笑った。

「そういうまっすぐな目も、あの人にそっくりですなあ」


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