第31話 不安
炭火焼の話を聞いて、咲はアーキーに少し興奮気味に尋ねてみた。
「あの、この店にかまどとかありませんか?」
「かまど?」
「こう……オーブンみたいな」
咲が身振り手振りを交えながら説明すると、アーキーは何か一つ心当たりがあったようで、「そういえば……」と厨房の片隅に足を向けた。
「これのことか?」
そこにあったのは、大きなオーブンにも似た形のかまどだった。重厚な蓋を開けるとそこには鉄板があり、炭の匂いが残っている。その上にはさび付いた網があり、咲は何度も頷いた。
「これですよ! これで焼いてたんです!」
「これって……ずいぶん古い装置だぞ?」
魔法が人々のインフラを支えるようになって久しいこの街では、炭をおこすという発想がそもそもない人も珍しくない。だからこそ埋もれてしまった調理法であろう。そして先代料理長にとっては当然想定されうる調理法の一つなので――
「書くほどのことではない、と」
「これはいつも通りですねえ」
咲は苦笑しつつも、かまどが見つかった喜びが隠せない様子だった。
「いやはや、こんなものを作っていたとは」
嬉しそうにする咲を見てアーキーは安堵すると同時に、なんとなく面白くない気分であった。この喜びに、自分はあまり関係ないような気がしたからだが、喜ぶ咲に水を差したくはないので、ぐっとその想いは飲みこんだのだった。
網はさびて使えなかったので、それは追々自分たちで作ることになった。なかなかぴったりの物が売っていなかったのだ。
というわけで、試作はいったんお休みである。しかし咲は網を作りながら、別の料理のレシピを研究する。
「料理長、お客様がお呼びです」
と、そこにルシアがやってくる。
「同郷の方だそうですけど……」
「あ~、分かった」
聞いたこともないようなアーキーの声に、咲はふと顔を上げる。普段の物腰柔らかで穏やかなアーキーではなく、リラックスしているような、ラフな感じのアーキーに、咲はきょとんとしてしまう。
アーキーは苦笑しながら客席に向かう。咲もこっそりついて行き、客席からは見えない従業員用の通路からアーキーを見る。会話がギリギリ聞こえるくらいの距離にいるアーキーは、テーブル席に座る男女の四人組グループと話をしていた。その表情は行儀の良さより素が出ているようで、他に客がいないせいか、口調も崩れていた。
「料理長してるんだって聞いたわ。さすがね」
「まあ、まだまだだけどな」
「小さい頃からずっと料理してたもんなあ」
「そうそう、皆が遊んでいるときもずっとな」
咲の知らないアーキーの話が出てくるたび、咲は言い知れぬ感情に戸惑った。いや、知らないことはあって当然だし何なら自分はこっちの世界初心者だし……と言い訳じみた思考がぐるぐると頭の中を回る。
「わ、びっくりした。サキさん、どうしたの?」
「いや……」
客席の片付けを終えて戻って来たシイナが咲と鉢合わせる。と、その時、アーキーが咲の存在に気付くが、他の四人が気付いていないので再び話に戻った。
「ねえ、覚えてる? 学生の時にね……」
アーキーは不意に、先日の咲の様子を思い出す。自分には分からない話をタクとしていた咲の楽しそうな姿。それを思うと、つい話が弾んでしまった。
「ああ、そんなこともあったなあ」
そんなアーキーを見て、咲は面白くなさそうな顔をする。そばにいたシイナはそんな咲を見て(あらら)と無表情のまま口に手を当てると、静かに厨房に向かった。
厨房に置かれた作成途中の網と開かれたままの手帳を見て、シイナもまた、「大変ねぇ」とつぶやいたのだった。
その日からまた、二人の関係がぎこちなくなる。
「今度は何ですか」
厨房に片付けに来たリツがアーキーに視線も向けないまま言う。アーキーは野菜の仕込みをしながら「何の話だ」と聞き返す。咲は今、三人娘と休憩に出ていた。
「サキさんとうまくいったんじゃなかったんですか」
「……まあ」
「だったらどうしてまたこんな、ぎくしゃくしてるんです」
淡々と聞いてくるリツに、アーキーはため息交じりに言った。
「ずいぶん楽しそうだったからな、騎士団のやつらと」
「ああ、嫉妬ですか」
アーキーが持て余していた感情をリツがあっという間にまとめてしまうと、アーキーは何も言い返せず、ソアはすべてを分かり切っているかのように笑った。
リツはここでやっとアーキーを振り返った。その表情はアーキーが思っている以上に真剣なものであった。
「このままでいいんですか」
リツの言葉に、アーキーは手を止めて頷いた。
「分かってるよ、それくらい」
一方その頃咲は、街で評判のカフェにて、三人娘たちの勢いにただ微笑を浮かべるしかなかった。
「なによ、料理長のあの態度!」
と、タキ。大きなパフェを着々と減らしつつ、怒りはマックスだ。
「いくら嫉妬してるからってあれはないわ~」
ルシアも上品に紅茶を飲みながら、呆れたように言う。
「サキさんの気持ちをちっとも考えてない!」
シイナは腕を組んでふんぞり返り、鼻息荒く言ってのけた。
先ほどから、当事者である咲よりも怒りを爆発させ、そのおかげで咲は冷静でいることができた。いや、冷静でいていいのだろうか、と不安になりつつも、咲は目の前の紅茶を飲むしかなかった。
咲はピーチフレーバーの炭酸入りの紅茶を飲みながら、一番落ち着いた様子でつぶやいた。
「まあ……そういうこともあるのかなあ」
「甘いわ!」
三人娘は勢いよく咲に言う。咲はびっくりして三人を凝視するほかなかった。
「サキさんはこのままでいいの⁉」
タキの言葉に、咲は視線を泳がせる。三人の真剣な瞳とそれぞれ視線が合い、咲の瞳は揺れた。そして、切なげに笑うと、カップの氷を揺らしながらつぶやいた。
「……分かってる」
その日の帰り道、咲とアーキの間には何ともいえない空気が流れる。怒っているわけでも、困っているわけでもない。夏の熱に浮かれているのでもない。
ただ、話がしたいのだ。しかしそれをするには二人はあまりにも落ち着きがなかった。
その沈黙を破ったのはアーキーだった。
「なあ、サキ。今度の休み、何か予定はあるか」
咲は努めて冷静に、でも冷たくは聞こえないように、早まる鼓動を落ち着かせながら答える。
「いえ、なにも」
それを聞いて、アーキーは意を決したように言った。
「デート、しないか」
咲はその単語にドキッとしつつも、アーキーの真剣な瞳を見て、真面目に頷いた。
「……はい、ぜひ」
トゥルプの街に虫の音はない。ただ穏やかに風が吹くばかりだ。咲は、そんな沈黙の広がる世界では、星のきらめく音さえ聞こえるような気がした




