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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第26話 期待と不安

 花祭り本祭が近づいてくると、街中の雰囲気が一変する。

 そこら中で花が売られ、賑やかな音楽が鳴り響き、人びとの笑い声と幸せそうな笑顔であふれる。まさに今が祭りの真っただ中だといわんばかりの光景に、咲は思わずきょろきょろしてしまう。

「サキさん、こんにちは!」

 と、そこにルナが話しかけてくる。ルナも今日はおめかししていて、かごにはいっぱいの花があふれている。

「こんにちは。今日もお手伝い? 偉いね」

「えへへぇ、実は今日はね、料理長さんが来てくれたんだよ」

 あの日以来、ルナはフルン・ダークの周辺で花売りをするようになっていた。母親とともに来店することもあり、フルン・ダークの面々とはすっかり顔見知りだ。

「へえ、うちの料理長が?」

 冷静に聞きながら、咲は少し心臓が跳ねるのを感じた。ルナは楽しそうに続けた。

「あのね、ブーケを買っていってくれたんだよ。ピンク色のブーケだよ、私、頑張って作ったの」

 しかしそのルナの言葉に、咲の心は一気に静まり返る。一瞬、息が止まったような気がしたが、ルナはそれに気づかず話を進めた。

「とっても喜んでくれたのよ。大切な人に渡すのに、私の花を買ってくれるって、約束してくれてたから、一生懸命作ってたの」

「……そっかあ、それはよかったね」

「うん!」

 咲はルナが持つ花かごに視線を移すと、何気なく聞いた。

「今日は、オレンジ色の花はあるのかな?」

 するとルナは無邪気に笑って頷いた。

「あるよ。買いますか?」

「ええ、もちろん。一輪くださいな」

 咲はルナに硬貨を渡し、オレンジ色のトゥルプを受け取った。ルナは「ありがとうございます!」と元気よく言ってお辞儀をした。

「オレンジ色の花、一番乗りね!」

「えっ?」

「サキさんが最初なの、オレンジ色の花を買ってくれたのは。みんなピンクとか赤とか買っていくから」

「……そう」

 世界の喧騒が遠ざかる。まるで、一人取り残されたような気分だ。

 だめだ、がっかりするな。咲はにっこり笑うとルナに顔を向けた。

「一番乗りなんて、嬉しいな。また買いに来るからね」

「ありがとう! あ、おかあさんが呼んでる。またね!」

「ええ、またね」

 ルナは母親と合流すると、咲を振り返って手を振った。母親は会釈をし、ルナと連れ立って人波に紛れて行った。

 咲は花を持ったまま、賑やかな空気とは反対の方向に歩みを進める。今は、できるだけ花祭りとは無関係の場所にいたかった。

『好きな人の好きな色の花を渡すのよ』

『そうか、サキはオレンジ色が好きなんだな』

 あの日の会話が思い出され、咲は首を横に振った。

 街中が花にあふれる今、なかなかそんな場所はない。咲が最終的にたどり着いたのは、港町の市場だった。ここは花祭りの喧騒とはまた違った、活気ある雰囲気で満たされていた。

 穏やかな波の音に潮の香り。甘い花の香りは咲の持った花からしか香らず、咲はほんの少しだけ呼吸ができるような気がした。

「おや、お嬢さん。ずいぶん疲れているようだね」

 そこに声をかけてきたのは、市場の入り口にある店の女将のようだった。恰幅がよく、はつらつとした印象の女将は豪快に笑うと言った。

「街は花祭りでにぎわってるっていうのに、そんなときにわざわざこんなところに来るなんて」

「ええ……ちょっと」

 咲が困ったように笑うと、女将はじっと咲を見つめた。

「その様子じゃあ、疲れてるっていうより、悲しんでるって感じだね」

「あ……」

「分かるさ、腹が減ってる人と悲しんでる人はすぐにね……前にも、そんなことがあってねえ。お嬢さんはその人にどこか似ているよ」

 咲が首をかしげると、女将は昔を思い出すように遠くに視線をやって続けた。

「あれも、花祭りの時期だったねぇ。妙に浮かない顔の男がいてさ。街で料理人をしてるって言ってたが……」

「料理人……」

「ああ、だからここには仕入れに来たって言ってたよ。せっかくの花祭りなんだから好い人と回ったらどうだいって聞いたら、その人、あんたみたいに笑ってさ、言ったんだ」

『私の大切な人は、もう会えないところにいるんです』

「あたしゃ、いらんこと聞いちゃったよ、って思ってね。申し訳なくなって色々サービスしちまったもんだよ」

 おかげで、その人が何を持っていったかまで覚えてるよ、と女将は笑った。咲はその話に、感傷を忘れてしまっていた。

「あ、あの」

「ん? 何だい?」

「その人が買っていったものって、今ここにありますか?」

 咲が聞くと、女将は快く笑って頷いた。

「ああ、サービス分まで勢ぞろいさね。今、準備しようか」

「ありがとうございます」

 たぶん、女将が出会ったその人は、フルン・ダークの先代料理長だろう。確証はないが、咲は直感的にそう思った。


 大荷物を抱えて、咲は帰路に着く。その頃にはずいぶん気持ちも落ち着いていたが、やはり心のどこかにぽっかりと空虚なものがあるように思えて、咲はそれを吐き出すようにため息をついた。

「おや、サキさん。おひとりですか」

 そこに声をかけてきたのはルパードだった。今日は休日なのか、制服は着ていない。それでもきっちりとしたシャツとスラックスという格好であるあたり、彼らしい、と咲は思った。

「ええ、ちょっと買い出しに」

「料理の試作ですか。熱心ですね」

「好きですから」

 咲はルパードの手に何か握られているのを見つけ、「あら」と声を上げる。

「ブーケですか。どなたかに渡すので?」

 するとルパードは淡々と言った。

「ああ、はい。上司に、日ごろの礼として渡そうかと」

「え?」

 きょとんとする咲に、ルパードは見下すでも驚くでもなく、ただ報告を済ませるように言った。

「花祭りのブーケは、家族や職場の人など、お世話になった人に渡すのです」

「へ、へぇ、そうだったんだ……」

「確かに、愛の告白ばかりが取沙汰されますが、そればかりではないのですよ」

 咲は思わず、ルパードの持つブーケに視線をやった。黄緑色の花と白色の花が可憐なブーケだ。

「どうかなさいましたか?」

 ルパードの問いかけに、咲はハッと顔を上げると笑顔を張り付けた。

「あ、いえ。人ごみで疲れちゃったのかも――失礼します」

「はい、お気をつけて」

 ルパードは咲の危なっかしい後姿を見送る。すっかり見えなくなってから、ルパードはおもむろにつぶやいた。

「恋のキューピットも、我々諜報部隊の職務ですか」

 そのつぶやきの後、どこからかディランが現れる。ディランはルパードの問いには答えず、不敵に笑うのみである。

 ルパードはそんなディランにブーケを押しやった。ディランは何げなくそれを受け取り、二人はそろって、咲の立ち去った方を見つめていた。


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