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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第15話 試作の日々

 一度料理の世界に入り込んでしまった咲の瞳には、他のものは何一つ映らない。

 思考はすべて目の前の料理のためにあり、その動きは何物にも邪魔されない。

 まるで、世界に彼女と彼女の作る料理しかないような、そんな錯覚にとらわれる。

(……本当にすごい集中力だな)

 ディナータイムまでの空き時間、厨房にこもる咲を見ながら、アーキーは思った。他の面々は皆各々に外に出ていて、フルン・ダークにいるのは二人だけだった。

 厨房の出入り口の柱にもたれかかり、アーキーはただじっと咲を見つめる。

 咲はそんなアーキーの視線にも気づかず、ただ黙々と料理をしている。時折手帳を見、少し考えこんだかと思えば食材を手に取り、思うままに調理をし、首をかしげる。答えのない問いに向かい合うような時間だったが、咲は集中を切らさない。

 その横顔に、懐かしい思い出がちらつく。

 早朝、誰よりも早く厨房にやって来て仕込みをし、料理を作っていた先代料理長。その人も集中するとその思考に余分なものは何物も映さなかった。

 アーキーは咲の真剣な表情の向こうに、先代料理長の姿を見たような気がしていた。

 それと同時に、先代料理長とはほんの少し違うようにも思えていた。全くの別人なのだから似ている方が不思議なのだが、とも思いながら、先代料理長の姿を思い出す。

 あの人の表情には、少しだけ、寂寥感(せきりょうかん)があった。

 それは誰に話すつもりもないようで、普段は悟らせることもなく、誰にも理解しえないであろうもので、実際、彼が儚くなるまで、その正体を聞いたものはいない。

 咲には、そのような寂しさというものを感じさせる要素が一つもないのだ。

(それにしても、昼食も取らないで大丈夫なのか? ここ最近、そんな調子だが……)

 アーキーが思案を巡らせていたら、不意に咲がこちらを向いた。二人そろってびくっとする。

「びっ……くりしたぁ。アーキーさん、いつからそこに?」

「ずいぶん前からいたぞ」

「あー、すみません、気づかなくて」

 咲は眉を下げて笑い頬をかく。アーキーは困ったように笑いながら嘆息し、厨房に入る。

「いや、こちらこそ邪魔をしてすまない」

「とんでもないです。何か御用でしたか?」

「そういうわけではないのだが……根を詰めすぎてはいないか?」

 心配そうなアーキーとは対照的に、咲はきょとんとした後、あっけらかんと笑ってみせる。それは無理をしているようにも見えず、アーキーは呆気にとられた。

「いえ、私、楽しいんです。まあ、うまくいかなくて苦しいときもありますけど……そこは、皆さんとお話しできますし」

 それを聞いてアーキーは、少し表情を引き締めて咲を見て言った。

「でも、無理はするなよ。たとえ君の気持ちが大丈夫だったとしても、体がそうとは限らない」

 今度は咲が驚く番だった。咲は驚いた表情を見せたあと、子どものように笑ってみせた。

「はは、まさかこっちでも言われるとはなあ」

「え?」

 咲は先ほどまで作っていた料理に視線を向けながら続ける。

「元の世界でも、言われていたんです。たとえ心が大丈夫でも体はそうとは限らない。あなたはいつも無理をする、と」

 咲が元の世界でのことを話すことはあまりない。アーキーは咲に座るよう促し、自分も近くの丸椅子を引き寄せて座った。

「私、物心ついた時から両親の記憶がないんです。母方の祖母に引き取られて、暮らしていました。祖父はもう、いませんでした」

 咲は特別悲しむでもなく、ただ淡々と続ける。

「色々なことがあったけど、小さい頃から料理が好きで、祖母から色々教わっていて……とても楽しかったんです。料理をしているときだけは、何もかもを忘れられた。だから、料理ができるというのは、私にとって何よりも幸せなことなんです。祖母が亡くなって、苦しかった時も、料理をしていたら自然と心が慰められたんです」

「……そうか、幸せか」

「はい」

 心の底から幸せそうな笑みを向けられては、アーキーもこれ以上は何も言えない。

「まあ、俺としては少しくらい休んでもらわないと、心配なんだがな」

「……善処します」

「それ、絶対に休むつもりないだろう」

 呆れたような笑みを浮かべながらアーキーが言うと、咲は笑ってごまかした。

「それより、アーキーさん。これ、食べてみてください。試作してみたので」

 咲が作っていたのは、小さな俵形に成形された揚げ物のようだった。様々な食材を試したのだろう、数個ずついくつかの皿に盛られている。

「これはクロケットか?」

「はい、手帳に残されたメモ通りに一通り作ってみました。味ばっかりは、どうにも分かりませんので」

「ふむ」

 アーキーは試しに、一番基本に忠実に作ったというクロケットを食してみる。

 クロケットはホワイトソースと牛肉のクリームコロッケのようなものである。サクッとした衣にとろりととろけるホワイトソース、牛肉のうま味が滲み出し、味は十分すぎるほどである。

 しかし、ディナーで出されていたクロケットかといわれると、そうではなかった。

「何が違うんだろうな……」

「ソースですかね?」

「そうだなあ……マスタードソースが添えられていたのは覚えている。でも、そのソースのレシピは変わっていないんだ」

 あれこれと試作したクロケットを二人で試食していたら、その他の面々も戻って来た。

「あ、なんか二人だけでおいしそうなもの食べてる~」

 そう言ってタキが厨房に入ってくる。タキはクロケットの山を見、咲の方を向くと、「私も食べていい?」と可憐に笑って首をかしげる。

 こんなかわいらしいしぐさが嫌味にならないのはすごいなあ、と頭の片隅で思いながら、咲は「もちろん」と頷いた。

「いただきます」

「なぁに、タキ。さっきまで大きなパフェを食べてたじゃないの。まだ食べられるの?」

 呆れたように笑いながら厨房に入ってきたのはルシアだ。

「だってルシア、こんなにおいしそうなクロケットを前にして我慢ができる?」

「できるわけないじゃない」

「なになに、おいしそうな匂いがしてるんだけど」

 次いでシイナが戻って来て、間もなくしてリツとソアもやって来た。

「それじゃあ、皆、意見を聞かせてもらおうか」

 アーキーが言うと、皆一様に真剣な表情になる。

「おいしいけど、タケシさんがディナーで出してたものかと言われると……」

「ちょっと違うわね。ねえ、サキ、こっちは何を入れたの?」

「それは生ハムを合わせてみたの」

「ソア、こっちはどう思う?」

「マスタードソースをアレンジしているのか。ふむ……うーん、ソースというより、クロケットそのものの何かが違うんだろうな」

 静寂に包まれていたディナータイムは、一転、賑やかな時間となる。咲は皆の意見を逐一取り入れながら試作をする。

「当時と比べて、何が変わったのかが私には分からないからなあ」

 何気なくつぶやいた咲だったが、それに反応したのはリツだった。

「そっか、それだ」

「え?」

「そのメモが残されたときとはずいぶん、環境も物も変わっていると思うんだ。そこを見て見るのもいいかもしれない」

「ああ、そうね」

 シイナがルシアとタキに視線を巡らせる。給仕の面々は何かピンと来たのか、頷き合った。

「確か、倉庫に残っていたはずよ」

 ルシアの言葉に、アーキーとソアは倉庫の中に何があったかを思い出す。先に気付いたのはアーキーだった。

「そうだ、あったな」

 間もなくして、ソアもハッとする。

「あれを見ればいいのか!」

「あれ、って?」

 首をかしげる咲に、アーキーが言った。


「開業当初からの仕入れ台帳さ」


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