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フルン・ダークの料理人  作者: 藤里 侑
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第12話 帰路

 街の半分が眠りにつき、街灯に火が灯される。この世界の外套は魔法で灯されていて、大通りなどは暗くなれば自然に明かりが灯るようになっているところもあるが、大半が点灯夫によって灯されている。

 そんな中を咲とアーキーは帰路についていた。

 今日から咲の住まいは仮眠室ではなくなった。アーキーの住むマンションに空きがあったようで、その一室に住むことになったのだ。管理人と話がついてよかった、と胸をなでおろしたのはアーキーである。

 しかも咲の部屋は、アーキーの部屋の隣という。もとは違う階の住人が引っ越していったのだが、アーキーの隣の部屋の住人が、そちらに部屋を変更したのだという。

「まさかお隣さんになるとはな」

 アーキーが笑って言うと、咲もほほ笑んだ。

「私としては、安心です」

「そうか? ならいいが」

「ふふ」

 咲は足取り軽く、視線は空を見上げる。雲一つない空には星がきらめき、吹く風はほんの少し冷たく爽やかだ。

「ずいぶん楽しそうだな」

 アーキーの問いに咲は振り返る。月明かりを反射した瞳が美しくきらめいた。

「――私、ずっと夢を見ているような気分だったんです」

 アーキーは黙って続きを促す。

「ふわふわ宙に浮いているような、自分の居場所がどこか分からないような感じというか。係留してあるボートが、大海原に出てしまったような、そんな気分で」

「うん」

「でも、今日、アーキーさんに必要だと言ってもらえて、嬉しかった。みんなと同じものを見ることができて。私はここにいていいんだなって」

 へへ、と咲は照れ臭そうに笑った。「あの料理、作れてよかった」そう言う咲に、アーキーは心配と安堵の入り混じった瞳を向ける。そしてマンションにたどり着こうとしたとき、口を開く。

「別に、君があの料理を作れなかったとしても――」

 その時、目の前に馬車がやって来た。何事かと二人は身構えるが、どうやら誰かを連れてきた様子で、御者は二人の方には目もくれなかった。

 咲はアーキーを見上げる。

「アーキーさん、今何か言おうとしてませんでした?」

「ああ、いや……何でもないんだ」

 アーキーは微笑んでごまかす。

「おや? 君たち、今帰りかい?」

 馬車から降りたらしい人物が声をかけてくる。

 雪原を駆ける狼を思わせる灰色の長髪と鋭い瞳は、一度見れば忘れられない風貌だ。それでも近寄りがたさを感じさせない雰囲気は、持って生まれたものかそれともその笑みのおかげか。

「こんばんは、ディランさん。またお出かけですか」

 彼の名はディラン。このマンションの管理人だ。ディランはアーキーの問いに、へらっと笑って答える。

「気になるところがあると、すぐに行きたくなる性分でね」

 そしてディランはサキに視線を向ける。

「サキさん、だったね。すまないねえ、部屋を用意するのが遅くなってしまって」

「いえ、とんでもないです。ありがとうございます」

 入居の手続のために何度か会ったことがあるが、相変わらず年齢不詳だな、と咲は思いながら顔には笑みを張り付ける。

 ディランは爽やかな微笑を浮かべて言った。

「それじゃあ、私はこの辺で失礼するよ。またお店の方にも寄らせてもらうから」

「ええ、お待ちしています」

「お二人とも、よい夢を」

 ディランと別れた二人はエントランスに向かう。

 それなりに広いエントランスにはオートロックに似たシステムがあり、住民以外が入ってくるのは難しいような造りになっている。エレベーターに乗り込むと、アーキーは八階を押した。

「おいくつくらいなんでしょう」

「詳しいことは分からないが、先代の料理長とは仲が良かったという話だぞ」

「へえ……」

 住居フロアは手入れが行き届いていて、渡り廊下からは街を見下ろすことができる。そろそろこちらの世界にも慣れてきた、と思っていた咲だが、その風景を見るとやはり、不思議な心持になった。

 アーキーの部屋は角部屋で、玄関の扉には簡素な表札がかかっていた。

「あー、そうだ」

 アーキーは唐突につぶやくと、咲を振り返る。

「実は、先代の料理長が遺したものがもう一つあってな」

「そうなんですね」

「それを君にも見せたいんだが……明日は休日だしな」

 何やら歯切れの悪いアーキーを見て、咲は首をかしげる。アーキーはそんな咲を見て咳ばらいをすると言った。

「その、君さえよければ、明日、どうだ?」

「見せて下さるんですか? だったら、ぜひ」

 屈託なく笑う咲に、アーキーは気の抜けた笑みを浮かべる。

 二人は明日の約束を取り付けるとお互いの部屋の扉に向かった。

「それじゃあ、サキ。よい夢を。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 扉は重厚な木製のもので、閉めてしまえば外の音は全く気にならないほどである。

(さて、今日からはここで暮らすのか)

 咲は部屋を見渡した。

 広すぎず狭すぎない、一人暮らしにはもってこいの部屋である。寝室とリビングの二部屋にざっくり分かれていて、あとは水回りや収納スペースになっている。大きめの窓から見えるベランダは隣の部屋との仕切りがある。家具も備え付けで、生活を始めるには十分すぎるほどの環境であった。

 咲はさっそくリビングの窓を開ける。

 ふわりとそよいだ風は心地よい冷たさで、真っ白なカーテンを音もなく揺らす。眼下に広がるのはオレンジ色の明かりが灯る街、その中を走る真っ暗な運河、そこを船首にランタンをぶら下げたらしいゴンドラが滑っていく。

 咲は深呼吸をして、窓を閉めた。

 身支度と明日の用意を済ませ、咲は寝室に入る。薄暗い寝室にはふかふかのベッドと、品のいいランプが備え付けられたサイドテーブルがある。

 咲はベッドに横になり、天井を見上げる。

「目が覚めたら、元の世界に戻ってた……なんて」

 そんなことはないか、と独り言ち、咲は布団をかぶる。

『よい夢を。おやすみ』

 ふいにアーキーの声がよみがえり、咲はぎゅっと目を細める。

 それから咲が眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。


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