第11話 希望
「……う~ん」
間もなくしてやってきたソアが、じっくりと料理を眺める。その表情は真剣で、視線は鋭い光をたたえていた。
「そうだねえ」
ソアは一つ息をつき、アーキーの方を向くと頷いた。
「間違いないね」
「やはりそうか」
二人の頭の中では、様々な思考が忙しなく巡っていた。動揺と興奮、そして困惑。色々な思いが交錯して、はたから見れば平静そのものに見えた。
咲はその様子をただ眺めている他なかった。
はじめこそ、勝手に食材を使ったのがまずかったとか、こちらの世界ではタブーになるようなことをしてしまったのかとか考えていたが、どうにもそういうことではないというのが今では分かる。
アーキーとソアは咲に視線を向けた。咲は思わず身を硬直させ、唇をぎゅっと結んだ。
口を開いたのはアーキーだった。
「サキ、これはな。うちのディナーで出される前菜と、まったく同じなんだ」
「……えっ?」
アーキーは胸ポケットから古びた紙きれを取り出した。あのメモである。アーキーは咲にそれを差し出す。
「これを」
咲は戸惑いつつもメモを受け取った。油断するとぽろぽろと崩れ落ちそうなそのメモはきれいに折りたたまれている。咲はすっかり冷え切った指先でそっとそれを開いた。
そこには、前菜から順にコース料理の一覧が書いてあった。料理名の横にはざっくりとしたスケッチも描いてある。
「前菜【海鮮のコンソメジュレ】……」
咲は自身が作った料理に視線を向け、再びメモに目を落とす。確かに、そっくりそのままである。
徐々に動き始めた街の音が、厨房に響く。アーキーはソアと視線を合わせて頷くと、先を見据えて言った。
「……詳しい話は、またあとで」
その言葉に咲は、頷くしかなかった。
相変わらず静かなディナータイム。今日も今日とて客が来る予定も気配ないため、アーキーとソア、咲は向かい合って客席の片隅に座っていた。ある程度の顛末を聞いている給仕の面々もそばにいる。
沈黙の中、初めに口を開いたのはアーキーだった。
「以前、夢を見たと言っていたな」
「はい」
今でも鮮明に残るあの夢の景色を咲は脳裏に思い浮かべる。厳しくも優し気な、老齢の料理人の男。
アーキーはあるものを差し出した。それは古かったが、今朝見たメモよりは新しい紙片――もとい、写真であった。これは、店の前だろうか。たくさんの料理人と給仕が整列をして写っている。皆一様に穏やかな表情をしていて、その一枚だけで、ここがどれだけ居心地の良い場所かが分かるようだ。
「夢の中の男とは、この人ではなかったか」
アーキーが示したのはそのうちの一人、中央に座る男だった。
年を経たことで刻まれた険しさと、彼本来が持つ優しさが滲み出す、不器用な笑みを浮かべる男は、確かに咲の夢に現れた料理人その人であった。
「……はい」
「この人は、フルン・ダークの創業者であり、初代料理長のタケシさんだ。ディナーコースを考え出した人でもある」
「この人が……」
「そしてサキ、君は、その料理を再現したんだ。見た目だけじゃない、味も、製法も。俺たちが何度試しても、どうやってもできなかったことをやってみせたんだ」
咲は写真に落としていた視線を上げる。アーキーを始め、その他の面々は咲を見つめていた。その視線に強い意志を感じ、咲は背筋を伸ばす。
アーキーは祈るような声で言った。
「これは、俺たちの最後の希望だと思った」
「希望……?」
「この場所にもう一度、あの頃の活気を取り戻す」
瞬間、静かなはずの客席が熱を帯びた気がした。人々の楽し気な笑い声、軽快な音楽、いい香りが漂い、給仕も料理人もせわしなく行きかう――
「そこでだ、サキ」
アーキーの真剣なまなざしに、咲は我に返る。
「はい」
「どうか、力を貸してくれないか」
アーキーの声は少しだけ震えていた。抑えきれない高揚が、その言葉には滲んでいた。
「突然別世界に飛ばされてきて不安だっただろうし、この店はたまたま行き着いた場所だろう。君にとっては災難以外の何物でもない。でも、俺たちにとっては……フルン・ダークにとっては、思いもよらない希望が舞い込んできたようなものなんだ」
アーキーだけではない。ソアも、リツも、タキ、シイナ、ルシアも、期待と決意を宿した視線を咲に向ける。
「俺たちには、君が必要なんだ」
一瞬、息が止まる。心臓が震える。自分は今、大きな変化の最中にいるのだという漠然とした感覚に、咲は緊張と高揚を覚えた。不安がないといえば嘘になる。されどそれは心地よくもあり、咲は自然と笑っていた。
「――はい」
咲は頷き、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私にできることがあるのでしたら、喜んで」
その答えに、皆もほっとしたように笑い、安堵の息をもらした。
「ありがとう、サキ」
アーキーの言葉に、咲は小さく頷いてみせた。
「もしかしたら、料理長がサキさんを導いたのかもねぇ」
そうつぶやいたのはタキだった。問いかけるような視線を咲がむけると、タキは微笑んで、懐かしむように言った。
「料理長もね、転移者だったのよ」
「えっ……?」
咲は再び、写真に目を向ける。確かに顔立ちは、こちらの世界の人々とは違う。思えば名前もどちらかといえば元の世界で聞きなじみのあるものだ。驚きが徐々に、納得に変わっていく。
「そうだな、それもあり得る」
と、リツも笑う。
「サキさんがこの世界に来たことも、フルン・ダークにたどり着いたことも……偶然ではないのかもしれないね」
ソアが言うと、シイナもルシアも頷いた。
緩やかに普段の空気に戻る中、咲はふと自分の手のひらに視線を落とす。
アーキーはそんな咲を静かに見つめていた。




