中 第六十三幕 狂気
私は周囲が次第に宵闇に浸されていく中、一人診療所として間借りしている部屋で刻々と変わっていく外の様子をただ椅子に座って眺めていた。
今日はアリアが少し体調を崩しエレノアと診療をしたが、いつも程には患者も来ず、平和な一日だった。
そうは言っても普通の地方の町医者などから見れば戦場のような忙しさだったのだろうが……普通がわからない私にとっては考えても仕方がない事だ。
エレノアからはよく体が持つものだと半分呆れられているようだった。
聖騎士団で積んだ鍛錬も少しは役に立っているのかもしれない。
私はふと数日前から見ている、もうお馴染みとなってきている謎の夢を思い出す。
薬師らしき老婆フロレンスに対して非道なことをして殺害した異端審問官を名乗った青年……
あの青年が名乗った通りなら彼があの老人……ミシュパート=アスカロンのかつての姿なのだろう……
天使を思わせる美しい容姿の断罪者が下した審判はあまりに残酷で容赦がなかった。
あれから私はここ数日立て続けにシェリーの夢を見ていた。
夢の中で現れた若き日のミシュパート(?)はフロレンスの事件後、執拗にシェリー達の行方を嗅ぎ回って追い回し、ファラクやレイナード、時にはシェリー自信が救った患者や関わった人々を異端者に貶め片端から連行していった。
ミシュパートの狂気とも言えるほどの凄まじい執着……いや、執念か……によってシェリー達は確実に追い詰められつつあった。
自身の体験のようにそれを経験した私は狂った正義は何よりも恐ろしいことを痛感せざるを得なかった。
シェリーの視点から見た教会の異端者狩りはただ只管に横暴で正義は無く、彼らを助けようとする者もいなかった。
救っても救えず、そして自身達も救われない……そんな無力感がシェリーの中には渦巻いていた。
私は暗澹とした気分で俯く。
「どうしたクレア? らしくないな」
部屋に入るなり声をかけてきたのは元聖騎士団長カルロス=マクシミリアン、元私の上司だ。
私は頭を巡らせて彼を視界に収め
「……私が信じたアリエラの教えの正義というのは……この世になかったのかな……」
カルロスは私の傍にある椅子に腰掛け天井を見上げる
「何があったのかは知らないが、正義というのはその多くが勝者の理屈だ……それゆえに勝者……または強者の都合で決まるものだ……」
カルロスは俯いて軽く息を吐き
「悲しいことに歴史はそう言った誰かの都合で生み出された嘘で塗り固められている……アルフレッドの死後、俺はそれを改めて思い知らされたよ……」
カルロスは言葉を切って少しの間天井を見上げてゆっくりと私に視線を戻して口を開く
「……奴は咎人ではあったが、死後に教会から生前の業以上のものを押し付けられ背負わされた……今聖都では奴を"悪魔の使徒"やら"異端者の王"などと呼んでいるらしい……自分達がアルフレッドの作り上げた奴隷市場のシステムに依存していたことは棚上げでな……」
カルロスの苦味の走った笑みを浮かべる
アルフレッド=レミアル=ヴァロワレアン……彼もまた狂気に衝き動かされた人物だった……
「ヴァロワレアン卿は……なぜ狂ってしまったの?」
私の問いにカルロスは目を瞑り複雑な表情を浮かべる
「……お前も聞いただろう、奴が性別を失うことになった暗殺未遂事件……それの首謀者はアルフレッドの実の両親だ」
衝撃的なカルロスの言葉に私は目を見開く。
「それ以前にもアルフレッドには両親や親戚筋から何度も刺客が送られていた……帝位にすら手の届き得るヴァロワレアン公爵家次期当主を巡る血腥い骨肉の争いの渦中に奴はその身を置き続けざるを得なかった……そこには同情を禁じ得ない……」
カルロスの言葉が私の脳裏にヴァロワレアンのかつての言葉が蘇る。
『……僕がどんな道筋を生きてきたのか……そして今の立場を手に入れるのにどれだけの犠牲を払ってきたのか……君にはわからないだろう……』
私は目を瞑り思いを馳せる……しかしその壮絶すぎる生い立ちに同情はできるが、だからといってその猟奇的な行動を認めることは出来なかった。
ヴァロワレアンのしたことはやはり赦されるべきでは無いのだと思う。
「ヴァロワレアン卿やミシュパートのような狂気に堕ちた人は救えると思う……?」
私の言葉にカルロスは一つ息を吐き
「難しいだろうな……狂気とは正気では計り知れないからこそ狂気足り得る……正体のわからない病気は治せないだろう……俺は子供の頃からアルフレッドを見知ってはいたつもりだが、死して尚未だに奴は俺の中で底知れない存在だ……」
カルロスの言葉に私は目を細める
「……心は繊細でかつ複雑怪奇であまりにも脆い……そして俺達は同じ人間でありながら考えていることはそれぞれあまりにも違い、いつも顔を合わせる家族や隣人すらもその心は未知の存在と言って差し支えない……何よりも個々人によってそれぞれ救いの形は違う……そう簡単な話ではない」
続いたカルロスの言葉に私は俯く
「それでも……それでも私はそれに向き合わなければならないのだと思う……だからヴァロワレアン卿について教えて欲しいの」
私の言葉にカルロスは瞑目し
「……アルフレッドは間違いなく優れていた……何をやっても俺のような凡夫より上手く出来たし、考え方も合理的で理知的だった……」
カルロスは言葉を切り眼鏡の奥の目を細める
「だが、奴は聡すぎた……それ故にボンクラだった奴の両親はアルフレッドを理解できなかった……アルフレッドもまた俗物の思考を理解しようともしなかった……そのすれ違いが奴の……そして奴の両親にとっても悲劇の始まりだった……」




