第五十九幕 火蓋(ひぶた)
「不躾な訪問をお許しください……私はミシュパート=アスカロン……雌獅子の教えの徒にして鋼の経典に名を連ねさせていただいている者です」
青年……ミシュパートはそう答えて笑みを深めた。
「……教会の方が何のご用かしら?」
「ここに我々の探し人が立ち寄っていると愛すべき隣人から伺いまして……心当たりがありませんか?」
「……残念だけど思い当たらないわ……ごめんなさいね……」
ミシュパートの返した問いにフロレンスはシラを切る。
「……そうですか……お騒がせしてすみませんでした……では、この度は失礼いたしましょう……貴女にアリエラの御加護があらんことを」
ミシュパートは思いの外あっさりと引き下がり、踵を返し去っていく。
私は心の中で胸を撫で下ろし茂みから出ようとする。
「ダメだ、まだ動かない方がいい……」
しかし、私の肩に手を置いてそれをレイナードが制する。
私が二人に目を向けると、二人ともまだ緊張した面持ちを崩していなかった。
「……賢明な判断だ」
後ろの茂みから声が聞こえて全員がそちらを見ると、木々の隙間からゆっくりと一人の男が現れる。
「……ここは既にさっきの奴の仲間に包囲されてる……緊張と弛緩をコントロールして獲物を誘き出すのは狩りの基本だからな……」
「サイラスさん……なんで……」
レイナードが男の名を呼ぶとサイラスは少し笑みを浮かべ
「バートに頼まれたんだよ……この間は妹が世話になったしな…………それにこうなったのは実の所は俺に責任がある……しかし、厄介なことになっちまったな……」
答えてサイラスはまた表情を鋭くする。
「異端審問官……最近は憲兵よりデカい面してる奴らだが、それだけに奴らは教会という後ろ盾もあって自分達が攻撃されることはあまり考えてねぇ……所詮は"虎の威を借る狐"ってこった……そこが付け目だ……奴等の鼻を明かせるのは俺としても楽しみだしな……」
サイラスは鋭い眼光はそのままに口の片端を上げる。
その笑みは笑みでありながらまるで飢えた猛獣を前にしたかのような感覚を私に与えた。
茂みに潜み私達は息を殺し続ける。
「……いつまでここに……?」
私の口にした問いにサイラスは目を細め
「奴らが動くのを待つ……幸いここに俺達がいる事はバレてない……動くのはリスクが高すぎる……敵は訓練された武装集団だ、まともにやりあえば全滅だ」
声を顰めてサイラスはそう答えた。
この男は一見すると粗野に見えてその実冷徹なまでに冷静に状況を把握し最悪の事態を想定してそれを避けるよう動いている……そう感じた。
フロレンスは家の中に姿を消し、ただ静かに時間が過ぎていく。
日が傾き、日差しが紅く染まってきた頃、変化は突然訪れた。
家を囲む木々の間から男達が姿を現し、あっという間に家を取り囲んだ。
そして彼らは家の至る所に火をつけていく。
「何すんだいアンタ達っ!!」
フロレンスがドアを開けて慌てた様子で声を上げる。
次の瞬間、フロレンスの悲鳴が響き渡った。
男の一人が問答無用で抜き放った剣でフロレンスを斬りつけたのだ。
男はよろめくフロレンスに対し続け様に容赦無く蹴りを入れて乱暴に彼女を再び家の中へと叩き込む。
それと同時に遅れてあの青年……ミシュパートがゆっくりと姿を現す。
「……教えに背く罪深い異端者諸君に告ぐ……近くに居るんだろう?……今すぐに姿を見せて裁きを受けよ……そうすればお前達に関わったが為にこうなった哀れな老婆の命は助けてやろう……早くしないと失血死するか焼け死んでしまうぞ?」
声を張り上げ告げて血の色を思わせる夕日の中で端正な顔を歪めミシュパートは嗤う。
この時遠目に見たミシュパートの笑みに私の背筋を寒気が襲った。
憲兵やマフィアも横柄だが、ここまでのことはしない……異端審問官が手段を問わないとは聞いていたが、ここまでとは……
「……辛抱しろ……あの婆さんはもう助からん……ゆっくりと逃げるぞ、あれだけ派手に火が燃えてりゃ少々音を立てても気付かれん、ただ枝葉を揺らすなよ……」
サイラスの言葉は私の心に虚しく響いた。
助けにいくどころか私の心はもう折れていた。
ミシュパート……彼に捕らえられれば生きては帰れないだろう……そう思える程に禍々しく凶悪な笑みを天使を思わせる容姿の青年は浮かべていた。
私は恐怖に駆られながらも皆と共に慎重に移動を始める。
その際ファラクの横顔が目に入る……その頬には涙……そして、口元には下唇を強く噛み締めた為に流れた血が伝っていた。
レイナードも眉間に深い皺を寄せて苦悩を露わにしていた。
私達は理不尽に襲いくる悪意と暴力に対し失意の中ただ逃げる事しか出来なかった。
そしてこれが、ミシュパート=アスカロンとの長きに渡る戦いの火蓋が切られた出来事だった。




