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第五十八幕 天使

 私とレイナード、ファラクは老婆と共に薬草についた泥を落として洗ったり、薬研で乾燥させた植物の根をすり潰したりと薬を作る下拵したごしらえをしていた。


 どれも泥臭くキツイ作業だが、皆どこか楽しそうに作業をしている。


「……やれやれ、こんな日々がこれからも続いてくれればいいのだけどねぇ……」


 薬師の老婆はふと手を止めてしゃがれた声で呟いた。


 私達も手を止める


 バートやレイチェルはどうしているだろうか……


 私は思いを馳せる。


「……フロレンスさん……大丈夫ですよ……私達は誓って間違ったことはしていませんから……」


 ファラクが老婆に優しく声を掛ける。


 しかし、楽観視はできないというのが現状だ。


 私達の耳に凄腕の異端審問官がこの辺りに来ているという噂が流れてきていた。


 異端とされる人々が直面する現実は厳しさを増す一方だ。


 そうでなくてもこの国は戦線の拡大を更に推し進めていく中で多くの人々が重税と徴兵により苦しんでいた。


 徴兵により家族を失った人が妬みや嫉みから普通に暮らしている人を陥れて異端裁判に差し出す……そんな話が嫌でも耳に入ってくる。


 ここにも異端者である私達はもう居るべきではないのかもしれない。


 でなければフロレンスさんを巻き込んでしまうだろう。


 そんな時、庭の入り口の方から只事ではない音が聞こえ、全員が家から出てそちらに目を向けると、そこには壊れた門に寄りかかる傷だらけの見覚えのある少女がいた。


「……ミーナ!」


 私は彼女の名前を呼びながら駆け寄る。


 ファラクとレイナードも共に駆け寄り、全員で倒れかけている彼女の身体を支える。


「この傷……酷い……どうしたのミーナ!?」


 私の問いかけにミーナはどうにか顔を上げ


「……ここを……早く離れて……アイツらが……"鋼の経典"が……来る!」


 ミーナの言葉に私達は息を飲む。


「早くその子達を連れてお逃げなさい」


 フロレンスが優しく声をかけてくる。


「ですが……」


 ファラクが眉間に皺を寄せ、逡巡しゅんじゅんを見せる。


「私が誤魔化してみるわ……その間に裏手の森にお逃げなさい……私はこの足腰じゃあきっと逃げ切られないしねぇ……」


 ファラクの言葉を遮るようにフロレンスは言って少し苦味を含んだ笑みを浮かべる。


「……私にもしもの事があったらドラをついてる孫のトビーに……いや、よそうかね……気をつけてお行き……」


 尚も踏み留まろうとするファラクの肩に私は手を置き


「行きましょう……ここに私達が居たらおばあさんを本当に異端者にしてしまう…….」


「シェリー……」


 私の言葉に振り向いたファラクの顔は悲しみと苦悩に満ちていた。


 その目からは今にも涙が溢れ落ちそうだった。


 私達は荷物を急いでまとめてフロレンスの住処を後にする。


 気を失ったミーナをレイナードが抱える


 纏っているローブの上からではわかりにくいが、ここ数年で線の細かったレイナードは急激に逞しくなっていた。


 動けなくなった患者を診療所に運び込んだり薬研やげんで薬の原料を擦り潰すなどの力仕事は主に彼が担ってきたからだろう。


 私はローブの裾から覗く逞しい腕に少し見入ってしまう。


 慌てて雑念を振り払い裏口から出たところで訪問者の気配に気づいたファラクが近くの茂みに隠れるよう指示を出し、私達はそれに従う。


 生い茂る梢と葉の隙間から壊れた柵越しに対峙する二つの人影……


 私は目を凝らして二人を見る、レイナードと違って視力には自信がある。


 一つはフロレンスの背、そしてもう一つは……まるで天使のような青年だった。


 山高帽に詰襟の黒い服を纏い、まだあどけなさが残り透明感のある端正に整った顔立ち、透き通るような青い瞳に帽子の下から伸びる金の長髪……


 彼は穏やかな笑みを浮かべていた。


 距離はそれほど離れていない、下手に動けば見つかる可能性が高い。


「あらあら、どちら様でしょうかね……薬草がお入り用かしら?」


 フロレンスの言葉が聞こえてくる。


「不躾な訪問をお許しください……私はミシュパート=アスカロン……雌獅子の教えの徒にして鋼の経典に名を連ねさせていただいている者です」


 青年……ミシュパートはそう答えて笑みを深めた。

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