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中 第三十二幕 大著

 いくつも書架が並び、一見ガラクタにも見えるが、見る者が見れば歴史的な発明などの貴重な資料が無造作に散らばった部屋で少女は整列している本の背表紙に記された著書名と睨み合っていた。


 光源が無いのにも関わらずなぜかそこは明るく、あるべき少女の影法師も見当たらない。


 不思議な空間だ。


 唐突に宙で炎が燃え上がり、その中からここのあるじたる老人が姿をあらわす


「……よう爺さん、邪魔してるぜ」


 帰ってくるなりかけられた言葉に老人は顔をしかめた。


 声をかけてきたのは無論書架に向き合っている少女だ、服など身なりはみすぼらしいが美しい顔立ちに浮かぶ表情は彼女の活発さを感じさせる。


 少女は勝手に本棚を物色していた。


「久々にレインフォルトに呼び出されてコキ使われたと思ったら、今度はお前かレイチェル……が領域に勝手に立ち入る命知らずはお前くらいなものだ……もう少しわれに敬意というものを示さんかい」


 言葉の後半は少し口調を砕けさせて老人は突然顕れた揺り椅子に腰掛ける。


「ははっ、悪りぃけど育ちが悪りぃからそういうの無理だわ」


 レイチェルは軽く笑ってどこからか机と椅子を出して一冊の本を開き読み始める。


「お前は不思議な奴だ……育ちが悪い者ならそのような本を読まぬぞ」


 老人は少女の読んでいる見慣れた本を見つつそう口にした。


 少女の読んでいる本は"アルマジェスト"…… いわゆる天文学書だ。


 意訳すると"最大の書"という題目タイトルを冠し1000年以上の長きに渡って人の世を風靡ふうびした13巻にも渡る文字通りの大著たいちょだ……それ故に永きを存在してきた老人は一応と言った感じで自らの知識庫に所蔵している。


 レイチェルはこの本をいたく気に入っているようだった。


「こうなってからいくらでも時間はあるし、アイツから読み書きは教わったからな……まぁ、育ちが悪りぃのは事実だぜ……しかし、やっぱり星ってのはいいよな……」


 少女はページに描かれた絵を指でなぞる。


 ここに顕現された書物は読み書きさえ出来ればどのような文字で記されていても自動的に読み手の知識内の文字へと翻訳され伝わるようできている。

 しかし、読めても内容が理解出来るかは本人の裁量にかかっている。

 この娘が聡明なのは疑いようの無い事実だ。


「……その知識はもう古い……違う書物を読んではどうだ?」


「関係ねぇよ、アタシはこの本が好き……それだけさ」


 少女は老人に眩しい笑顔を向ける。


「お前を見ていると血筋と権威と敵を倒すことだけに囚われていた我がどれだけ愚かであったか思い知らされるな……」


 老人は呟いて目を瞑り揺り椅子に深く背を預ける。


「なんだそりゃ?」


「分からずとも善い……愚かな老人の戯言たわごとだ……久々に大きな魔術を使って疲れた……少し眠らせてもらおう、本は元の場所に戻すのだぞ……」


「へぇ……爺さんがそこまで言う魔術を使ったってことはアイツは追い詰められてたんだな……ってことは相手は……」


 レイチェルは言葉を途切れさせる。


 老人は既に眠りの中にいた。


「あっという間に寝ちまった……ガキかよ……」


 レイチェルは呟いて眠りについた老人に苦笑するがすぐ表情を消し


「……十中八、九相手はミシュパート……アタシの仇はアタシがりたかったけど……ま、いっか……」


 そう独白を締めくくり表情を戻してまた本に目を這わせる。


 眠る老人と読書を続ける少女だけの時間はその後暫く静寂と共に緩やかに流れていった。

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