中 第二十八幕 懐柔
(鋼の経典……異端審問官……)
考え得る最悪の邂逅に私は心の中で舌打ちをした。
ミシュパートの前に私達を守るように立ったのはエレノアだった。
その両の手にはいつの間にかそれぞれに大ぶりで古びてはいるが良く手入れされている短剣が握られている。
「ほう、見覚えのある短剣だ……かつてレインフォルトと共にいた者達の内の一人であった薄汚い男が私に突きつけてきたものに良く似ている……」
ミシュパートは懐かしそうに目を細め蓄えている白い髭を撫でる。
「ミシュパート様と仰いましたね……父から貴方の話は聞いています……『俺の知る限り最低最悪のクソ野郎』……とね」
「ほっほっ、それは辛辣なことですな……貴女の父上とも近い内に告解室で話をしたいものだ……ゆっくりとね」
エレノアの口から出るには似つかわしくないキツめの皮肉を笑って軽くいなしたミシュパートの眼に鋭い光が宿る。
このミシュパートという老人は言葉遣いや所作は一見穏やかで丁寧だがその中に隠しきれない剣呑さを感じる。
先程彼がアリアに向けた凶暴な嘲笑こそが彼の本質なのだろうと違和感なく思える程だ。
私はカルロスから護身用にと貰っていた剣の柄に手をかける。
小振りだが軽く携帯に便利で扱いやすいため気に入っている。
『あなた自身は出来るだけ戦闘を避けてください……手術は繊細な手の感覚とコントロールを必要とします、剣戟で手を痛めるような事になっては目も当てられませんよ』
『……善処するわ……』
私は釘を刺してくるレインフォルトに心の中で答えミシュパートを見据え口を開く。
「……ミシュパート=アスカロン殿……噂に聞く鋼の経典に籍を置くあなたに尋ねたいことがあるわ」
私の言葉にミシュパートは興味深げに目を細める。
「聞きましょう」
静かな声音が返ってくる。
「……まず、なぜ貴方はこのような形で私達の前に現れたのですか?」
ミシュパートに私は問いを投げかける。
「……先日、教皇猊下からの勅書を賜りましてね……クレア=ブランフォード殿、貴女が異端者レインフォルトアーデルハイムの依代となっていると勅書を持参した使者より伺いました……私に課された使命は貴女及びレインフォルトを教皇猊下の使者に引き渡すことです」
「ならばこのような剣を持った兵で囲むようなことをせず、私に勅書を見せ連行すればよかったのでは?」
私の返しにミシュパートは苦笑を浮かべ
「お嬢さんはレインフォルト=アーデルハイムという存在をわかっておられないようですな……かつて私と彼は幾度も相見え、その都度戦ってきました……貴女がレインフォルトをどのように見ているかはわかりませんが、私にとって彼は強大かつ危険な敵であり油断できない存在だ……故に万全を期すためにあなた方の観察に数日を費やしました……」
ミシュパートの答えに私はそう簡単に逃げることが出来そうにもないことを悟る。
これまでの言葉からミシュパートのレインフォルトへの危険な執念というべき感情が流れ込んできている。
そして何より教皇勅書に記された命はアリエラ教徒にとって絶対といえる、狂信者の集まりと密かに称される鋼の経典の一員なら尚更だろう。
「……私が大人しく従えばここにいる私以外の人には手荒な真似をしないと貴方が聖アリエラの名の下に誓うなら従いましょう」
私の言葉にアリアがギュッと私の服の袖を掴んでくる。
視線を落とすと不安のこもった眼差しで彼女は私の顔を見上げてきている。
私は微笑みかけ大丈夫と囁いて彼女をそっと抱き寄せミシュパートにまた視線を戻す。
「……残念ながらお嬢さんとのやりとりだけでは難しい話しですな……」
ミシュパートは顔を顰め難色を示す。
「……そろそろレインフォルトと会わせていただきたいところですな……久々に言葉を交わしたいというのもありますし、先程の言葉をレインフォルトの方から聞かせていただけますかな……精神体に転化した今、彼は口にした約束を破れないという制約を負っていると聞き及んでいます……裏切られるリスクの伴う交渉はしないのが私のやり方でしてな」
ミシュパートの言葉を聞きながら私はレインフォルトの反応を伺う。
レインフォルトからは何の反応も無い、いや無いというのは語弊がある。
ずっと彼が術の準備をしている気配が感じられる、そこからミシュパートとの交渉をレインフォルトはする気がないということを私は察していた。
私が今この会話をしているのは術が完成するまでの時間稼ぎだ。
「さて、彼を出せないのなら上流貴族の子女であり我が宿敵の依代ということで敬意を表して言葉を交わしましたが、これ以上は刻をかけても無意味というものでしょう……しかし、その前に……」
ミシュパートは咳払いをし
「そこに居る殿方は元聖騎士団団長のカルロス=マクシミリアン殿とお見受けしますが……違いますかな?」
ミシュパートの意外な人物への呼びかけに 私達は一斉に振り向きカルロスの背を見る。
無論だが彼の感情は背中からでは読み取れない。
「……だとしたらどうだと?」
カルロスは振り向かず構えた剣を降ろすこともなく抑揚の無い声音で聞き返す。
「使者より情報はいただいております、私は貴殿の今の立場を理解しているつもりだ……我々に協力していただけるならば異端者捕縛の功労者として教会へ貴殿の身柄の保護と、事が済んだ後に聖騎士団団長への復帰を教皇猊下に進言致しましょう……いかがです?」
「…………なるほど……悪くない提案だ……」
少しの沈黙を置いて背中越しに返されたカルロスの言葉に私は喉元に刃を突きつけられた心持ちになり青褪めた。




