格好良くねぇな
戦場から次の戦場に行くだけの生活を何年もしていると、普通の家庭や街の暮らしというのがよくわからなくなってくる。
古参の軍団員はみんなそうだ。
だから、大きな戦が一区切りついたところで、突然、祖国に凱旋すると言われても、最初はピンとこなかった。
それでも帰れば、国には親も親類も居て、子供の頃から馴染みだった店もそのままで、なるほど故郷というのは良いものだと思えた。
華やかな凱旋式のパレードを終え、久しく会っていなかった妻や親兄弟との再会を喜ぶ兵士たちは、各々土産を手に親しいもののところへ帰って行った。
軍人の給与は除隊するまで受け取らず貯めておくのが一般的だが、こういう機会に小出しに受け取ることもできる。そうでなくても戦勝祝いの特別報奨は受け取るから、凱旋した兵士は皆懐が暖かくて金払いが良い。
どこの家でも店でも今日は祝いで、にぎやかだろう。
特別報奨を配り終わった俺は、我が英雄殿の様子を見に行った。
彼は流民出身の孤児だ。出迎えてくれる親族はいない。
今の地位につくために便宜上、上官の娘と結婚したそうだが、結婚式すら挙げてもらえず、ひと目も会ったことがないらしい。
酷い話だ。
原作ではどうだったか覚えていないが、ヒーローに妻や女がいたという記憶はない。
彼は孤高の英雄だった。
だからといって、こういうときにボッチなのが平気ってわけでもないだろう。俺ならイヤだ。
アイツが暇そうならいつもみたいに無理やり誘って一緒に飲もう。うちに呼んでもいい。
案の定、彼は部屋で一人、報告書を読んでいた。
聞けば彼の妻は凱旋の式典にも出席しておらず、それどころか自領に引っ込んだまま、長い戦から帰還した夫を迎えにこの都にすら出て来ていないそうだった。
「一体、何様のつもりだ!戦場から帰った夫を出迎えるのは妻の務めではないか!」
少なくともこの世界の常識ではそうだ。
なのにお優しい英雄殿は、事情があるようだから致し方あるまいと、俺をなだめた。
腹立たしい。お前も怒ればいいのだ。そんな風に平気な顔をしようとして失敗するぐらいなら、腹を立てればいい。相手が上官の娘で遠慮があるというのなら俺がかわりに罵ってやる。
だが、俺がどれだけ憤慨しても奴は苦笑するだけだった。
「夫と言ってもまともに会ったこともない間柄だからな」
よく思われていなくて当たり前だと、彼は静かに言った。
小耳に挟んだ噂では、彼の妻は彼が賜った莫大な報奨金を、好き勝手に浪費するような、とんだ悪妻らしい。会ったとか会わないとかいう以前に、コイツを金袋としてしか見ていない性根の腐った女なのだろう。
それでも「噂は噂でしかない」と取り合わないこの男から、冷淡さしか感じなかったら、俺はここまで苛立ちは感じなかったに違いない。
人恋しくて寂しくて、それでも諦めたようなそんな顔を、なぜ主役のお前がせねばならんのだ。
何もかも秀でた英雄として讃えられながらも、そのただ一人の家族である妻からさえ、愛情と温もりを得られないこの男が哀れだった。
「チッ。お前ほどの英雄ならば、どんな相手でも望み次第だろうに」
……そう。たとえば彼女のような絶世の美姫だって。
ああ、そうとも。
すっかり朧気になった前世の記憶の中でも、そのことは覚えている。
彼女は一目惚れした相手には真摯だった。
背伸びして、意地を張って、すぐに剥がれる虚勢と邪魔くさいプライドでみっともない様を晒しながら、真っ直ぐにアタックしていて可愛かった。
もし彼が拒絶していなければ、きっと美男美女の似合いのカップルになっていただろう。
「くそっ」
彼を誘いそこねた俺は、ひと気のない廊下で、一人、石壁に拳を打ち付けた。
気分が悪かった。
自分が何にムカついているのかよくわからないまま、俺は祝賀の宴会で浴びるほど酒を飲み、絡んできた男達と雑な喧嘩をして、絡みついてきた女達と適当に遊んでウサを晴らした。
結局、英雄殿は自領に帰った。
いいことだ。
なんでも、自領に面した隣国の動向がきな臭いという話があって、補助兵の一部を防衛に出していたらしい。そういうところは本当にソツがない。
小ぜり合いがあったが問題なく制したというから、それなら停戦協定を理由に一度帰れと叱ったら、奴め、こっちで本隊の管理の仕事があると渋った。
世間に何はばかることなく会える正妻がいるのに、会いに行かないなんて、そんなバカな話があるか。
こっちのことは任せろと言って追い出した。
本隊をあずかって都に残った俺は、なんとなく偉く見えたらしい。実家にいると、親や親類が縁談や転属の話を、ひっきりなしに持ちかけてきて煩わしかった。
悪いな。俺は将来、立派な裏切り者になって散る予定なんだよ。嫁なんて泣かせるだけだ。
説明できない理由を呑み込んで「うちの団には、俺が面倒を見てやらないといけない奴がいっぱいいるからな」とうそぶく。相手が呆れるのを承知で「本音を言うと、まだまだ気楽な身でいたいんだ」と逃げる。
“俺らしい理由”がいくつも用意できるので、言い訳には困らない。
それでも、我が英雄殿に新たな遠征命令が出されると、家族や親類は、俺に転属して都に残るよう懇願した。軍を辞めて家業を手伝えなどとも言われたが、それこそ無茶だ。こんな世界で医者なんぞできるもんか。
最後は「俺はアイツと一緒に戦いたいんだ」の一点張りでおしきった。
「結婚はこの遠征から帰ったら考えるよ」
俺は年老いた母を抱きしめた。
俺が西方諸国に遠征に出ていたこの5年ほどで一気に老けた母の肩は薄くて、なんだか切なかった。
「なあに、心配するなって。すぐに帰ってこれるさ」
そうはならないことを知っている気休めを言って、家を出る。
親不孝な裏切り者。
……なんてこった。
フィクションじゃない悪役転生は全然格好良くないじゃないか。
それでもきっとこの世界は、俺がこうすることを望んでいる。
そう信じて、俺は顔をしかめたまま軍に戻った。