[Data31:「温いタピオカ」]
※こちらは、まひる一行が《箱庭》に向かう旅路での一場面になります。
雲の切れ間から陽の光が漏れ、電神の足音だけが、ゆっくりと地面を揺らしていた。
私はコクピットの片隅で、その揺れを背中に感じながら、ただ外を眺めていた。
「ふいーーーッ! やっぱこの子疲れるー!」
「お疲れさまウィンド、はいお水!」
例の《勇者力》でまひるさんが後部座席の風子さんにグラスを渡す。
それを一気に飲み干し、中年男性のような声を上げる風子さん。場は自然と和み、笑い声が上がる。
このような温かい光景を見るようになって、まだ一日と経っていない。
それなのに――私は、その輪の中に立つ自分の姿を、どこか想像できずにいた。
これが――家族、なのだろうか。
私は一度、それを壊した。
最近、風子さんの笑顔を見るたび、私の心は痛みより、軽くなるような気がしている。
だが、私はこの団欒に居てよいのだろうか――
「ほら。お前も飲むだろ? 相川さんからだ」
私がコクピットの片隅で一人物想いに耽っていると、風待がまひるさん伝いに飲み物を差し入れてくれた。
私はまひるさんをチラと見ると、いつもの笑顔で「少し休憩しよ?」と、軽い頷きが返ってきた。
私も軽く会釈をし「ありがとう御座います」と戴くことにする。
「次の移動はまたお前に頼むことになるが、調子は悪くないか?」
風待が珍しく殊勝なことを訊いてくる。
「問題ありません」
私はいつもと変わらず、手短に彼とのやり取りを済ませる。
「なあ、お前――」
「風待」
私は彼の言葉を止め、外に目配せしてコクピットから出ろと合図を送る。
どうやら、この日の私は少々虫の居所が悪かったらしい……
ダイタニアから降り、その足下の木陰でまひるさんから頂いた飲み物にストローを挿す。
「なんだよ。外になんか用か?」
「外で飲むのも乙かなと思いまして……」
私は“あなたも飲みなさい”と彼の手に持った飲み物を見ながら顎で合図を送る。
彼はよく分からないと言った顔で、促されるままにストローを挿した。
ストローを一口吸うと、甘みとほろ苦さが拡がり、弾力のある感触が口の中で踊った。
「んッ!?」
「お! こりゃ懐かしいな。タピオカかあ」
風待はどうやらこの飲み物が何なのか知っているようだ。生意気です。
口の中で弾むその感触と甘さを、私はゆっくりと味わった。
「知っているのですか、風待?」
「日本人なら誰でも知ってると思うぞ? ちょっと前に流行った飲み物でタピオカミルクティーってんだ。へぇ~、相川さん、こんなものまで出せるんだなあ」
「タピオカ……」
何だか少し可愛らしい響きです。
それにしても、実に美味しい……
「まあ飲みながら話すとして、どうした? 話があったんだろ?」
風待が電神の脚に背を預けながら訊いてくる。私はしっかりとタピオカの容器を両手で持ちながら答えた。
「あなた、いつも私のこと“お前”って呼びますよね。それ、やめてもらえませんか?」
「!?」
風待は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をして黙った。
「私には“シルフィ”という名前があります。あなたに名前で呼ばれないのは――」
認知されていないようで厭です――
「――舐められてるようで気分良くありません」
私は何故か言葉を最後まで言い切る前に、彼から視線を逸らしてしまった。
彼は少し難しい顔をしたあと、腕を組んで空を見上げて、また下を向いて考え込んだあと、ようやく私を見た。
「あー……。そうだな。悪かった。どうやら引きずってたのは俺の方だ、スマン」
何だかんだ言いながらも、彼は私に向けまっすぐ頭を下げた。
普段からこう素直ならもう少し目を掛けてあげてもいいのですが……
「分かればいいのです。以後、気をつけてください」
風待と私は無言でストローに口をつけ、私は空を見上げた。
肌にあたる陽射しが温かい。いつの間にか雲は消え、澄み渡る青空が私やダイタニアを包み込んでいた。
「お前は――いや、シルフィは、俺にとって最初“敵”だっただろ?」
風待が唐突に喋りだした。
私は綺麗な青空を眺めたまま、視線を戻さず彼に言う。
「最初は、そうでしたね」
「そのせいもあって、どうしてもおま――シルフィには構えちまうところがあったのは事実だ」
「ええ。そうでしょうね。もし私があなたの立場なら、そうしたでしょう」
「なんだよ、人のこと言えねーじゃん!?」
「ふふ。そうかも知れません」
タピオカのほろ苦さより甘さが勝るこの味は、今の私には、少しだけ危険な気がした。
「なあシルフィ? お前は陽子さんの記憶、どれくらい残ってるんだ?」
彼の声が一段低くなった。
恐らく、これは彼が私に一番訊きたいこと――
「……彼女のすべては知りません。ただ、感情だけが、朧気に残っています」
「お前は、“陽子さん”じゃなく、“シルフィ”でいいんだよな?」
彼の言わんとしてることが伝わり、胸が痛む。この胸の痛みは、彼女のもの?
「……ええ。私はシルフィとして、一個人の感情があります。ですから、彼女と切り離して考えてもらって構いません」
そう自分で言語化しても、何故か胸の奥がすっきりしない……
私のこの感情は、どこから来ているのか――
それが自分のものか、彼女の残滓なのか。私はまだ、分からない。
「あなたは――」
「危ないッ!」
突風だった。
まるで、胸の奥に溜め込んでいたものが、行き場を失って溢れ出したかのような――制御できない風。
私の風の精霊が――けれど、それは私が知る“風”とは違う。これは、精霊の暴走ではない。
私の中の“何か”が、外に滲んだだけだ。
私は強風に体が宙に持ち上げられそうになったが、何故かそうならなかった。
風が過ぎるのを待ってから、ゆっくり顔を上げると、私の顔の前に彼の顔があった。
長い睫毛を思わず目で追ってしまう。
「大丈夫か、シルフィ?」
「……え、ええ……」
彼は私を電神の脚側に着け、自身は私に覆いかぶさるような距離でその腕を電神に伸ばし、ぶつからないギリギリの距離で、私の盾になってくれていた。
「あー……。容器飛んでっちまった……。素粒子で創った容器って土に還るんかなあー?」
そんなことを言いながら、容器を探すような足取りでダイタニアの足下を離れて行く。
「おいシルフィ! そろそろ出るぞ。それ飲んだら来いよ?」
彼とまだそれ程話し込んでいないのに、彼の声はいつもより少し柔らかく聞こえた。
私は両手に持ったタピオカを胸の前に近づけ、遠のく彼を見つめながらストローを吸う。
陽射しに照らされ過ぎたのだろう。そのタピオカは先程より温くなっていた。
その甘さだけは、変わらないままで――




