[Data30:第六十八.五話「勇者印のプリン」]
※こちらは本編第六十八〜六十九話中にあった一場面になります。
――この宇宙に瞬く星々は、地球のものとは違う。私にとってはもっとも見慣れた星空。
なのに、どうしてこうも地球の星座を思い浮かべてしまうのだろう。
今この星空に北斗七星が見当たらないことに不安を覚え、北極星が見つからないことに心を痛めている。
それらは全て、彼女――浅岡陽子さんの記憶からくるものなのだろうか……
私とは、いったい……
“就寝”という概念が今まで無かった私は寝付けず、早々に風子さんが作ってくれたドームテントから二人を起こさないように出てきて、湖畔の倒木に腰を掛けひとり夜の風に当たっていた。
風の精霊と契約したからか、今日はやけに肌に触れる夜風がくすぐったく感じられる。
目を瞑れば、湖畔から聴こえてくるさざ波の音が心地よく響いてきた。
その音に合わせるように、自分の心臓の鼓動も“とくん……とくん……”とゆっくり時を刻んでいる。この音を聴いていると何故か落ち着く。
今まで気にしたこともなかった、心音。それが今の私には在る。
データの存在だった私に、確かに在るのだ。
この音が聞こえなくなれば生命活動は終わる。
主電源を落とせば機能は停止する。
この前までは同じことだと思っていたのに、今はそのような恐ろしい考えには到らない。
この数日間の出会いと、別れが、私に身をもって生命の尊さを教えてくれた。
私はかつて、風子さんの命を奪った。そして彼女の愛する家族たちも……
私は今日、再顕現する風子さんをこの目で見た時、喜べなかった。何よりまず、自分が赦せなくなってしまった。
本来なら尊いはずの命が戻ったのだ、喜んで然るべきだろう。だのに私の感情は自分の贖罪を優先しようとした。
詰まるところ、私は何一つあの頃から変われていないのかも知れない。
でも、また風子さんが戻られ、まひるさんの心からの笑顔と涙が見られた時、心の底からよかったと思えたのも紛れもない事実だ。
結局、私の考えはまた振り出しに戻る。
私はいったい、何者なのか、と。
更けていく夜の中、私の心だけが爛々と冴えて、未だ寝付けそうにはなかった。
翌朝、まひるさんがかの《勇者力》――相変わらずおかしなネーミングだが、それは黙っておこう――で朝食を出してくれると言う。
トーストにサラダにコーヒー。以前風待の家で戴いたような内容だ。でもあの時には“プリン”があったのを記憶している。
「シルフィ、コーヒーはブラックでいい?」
まひるさんが朝陽のような笑顔で訊いてくる。
ブラック、コーヒー? 確か、黒くて苦い、けど味わい深い飲み物だった。できたら私はもう少しまろやかな方が好みかも知れない。
「構いません。お任せします」
「お任せぇ?」
しまった。気を使わせまいと言った“お任せ”が彼女の気に障ったようだ。ああ見えて彼女は実にお節介なのだから。
「シルフィはまだ色々なもの、試してないよね? じゃあさ、今朝はカフェオレにしてみない? コーヒーにミルクを入れたやつなんだけど」
ほら、やはり彼女に気を遣わせてしまった。以後気を付けなさい。
「では、それを戴きます」
「はい!」
彼女は瞬時にカップに湯気を立てた“カフェオレ”を私に渡してきた。私は一礼して気を付けてそれを受け取る。
良い香りがする。牛乳のおかげか香りまで幾分円味を帯びている気がする。心の中身がスーと落ちていくような安心感がある。
「他に食べたいものは? ウィンドはパンケーキ食べてるけど、シルフィも甘いもの好きだよね?」
まひるさんが魅惑的な提案をしてきてくださる。“パンケーキ”とやらを食べている風子さんを横目に見ると目が合い、バチンと可愛らしいウィンクとサムズアップが返ってきた。
私がまひるさん――他人に何かを乞うなんて、あっていいのだろうか?
食事も摂れずにデータ化されてしまったダイタニアの民たちを見てきたばかりだというのに……
「勇者印のお料理、まひるちゃんが作ってくれるのと同じ味でとっても美味しいよ! シルフィさんも何か頼んだら?」
そんな私の背中に風子さんの溌剌とした声が掛かる。前のまひるさんも満面の笑みで私が言うのを待ってくれているかのようだ。
「では、あの……」
「うん!」
「ぷ……プリンを……」
「よし来た! カラメルソースは多め?」
「……たっぷり、お願いします」
「はい! できたよ、名付けて《勇者プリン》っ!」
目の前に差し出された容器には、黄金色の可愛らしい山脈から流れ落ちたカラメルの滝が底に煌めく湖を作っていた。
「……美しい……」
私は暫しその麗山に見惚れてしまう。震える手でまひるさんからそっと受け取ると「ほぅ……」とひとつ、ため息が漏れた。
「おお! 美味そうだな! シルフィ、一口もらえないか!?」
「絶対にイヤです」
馬鹿ですか風待!? どうしてこのプリンをあなたに分け与えることが出来ましょう? これは、私の――
「あはは。風待さんにも出してあげますよ、ほら!」
みんなの笑い声が絶えない食卓。心が、柔らかい。
サラ、済みません。あなたが以前言っていたこと、今更ながらに……
「食事は、家族みんなで……」
私が無意識に呟いた言葉に合わせてまひるさんがいつもの号令をかける。
「うん! いただきまーす!」
「戴きます……!」
そっと口にしたプリンは、ほろ苦く、喉の奥が熱くなるほど甘露だった。




