[Data27:第二十四.五話「星の記憶」]
※こちらは本編第二十四話中にあった、まひると四精霊たちの一場面になります。
(…まひる? いや、まひるさん……まひるさん……)
「自分、いや、私は…“まひるさん”、で」
以前よりまひる本人から何度か呼び方について「呼び捨てでいい」と言われてきたアースたちであったが、その度に仕える者故に一歩下がった呼び方をしてきていた。
だが、まひるの母親からも同じことを言われ遂に呼び方を変えねばならない時がきた。
アースは自分の仕える主人に対し、流石に呼び捨ては出来ないと思い“まひるさん”と呼ばせてもらいたいと言ってしまった。
周りを見れば“まひるちゃん”呼びが二人になり、マリンに関しては割りと早い内に呼び捨てをしている。自分だけがまひるのことを“さん付け”で呼んでいる現状をアースは自分の矜持に賭けて誇りに感じていた。
(私は、まひるさんによってこの世に顕現出来た精霊であり、主人を護る盾。ただそれだけの存在だ。だから、これでいい…)
まひるからは何度も友達感覚で接してくれている。その度に主従の一線を引いて受け答えてしまい、まひるの笑顔を一瞬曇らせてしまっていることをアースは自覚していた。
(自分は、どこまで行ってもダイタニアの精霊でまひるさんの所有物なのだ。ヒトの形にある限り、まひるさんを護る騎士として振る舞うべきなのだ…)
まひると同じ様に自分も気さくに友として接することが出来たらどんなに楽しいだろう。嬉しいだろう。だが、それでは駄目なのだとアースは自戒の気持ちを心の片隅に押し留める。
自分はダイタニアの精霊で、この身を彼女に捧げた存在なのだ。ヒトの形をしているだけのモノに、そんな感情を抱く資格は無いのだ。
だからアースは折角まひるからもらった地球での名前を滅多に使わない。もはや姉妹同様の存在である三人のことを呼ぶときも未だにダイタニアでの呼び方を使う。ただ、まひるの前でだけはその名で呼び合うことで僅かでもまひるの気持ちが軽くなるのなら使おうと決めている。それが、まひるの騎士としてアースが最大限譲歩できるラインだった。
(球子……素敵な名だ。風子やほむらのように素直に使えたなら楽だろうな……自分でも難儀な性分だと解っている)
だからアースはまひるから授かったこの二つの名に誇りを持っている。自分が確かにここにいるという魂の証なのだ。何者にも脅かされない自分が自分だと言える指標なのだ。
「……………」
「うん。まだ少し堅いけど、改めてよろしくね、球子」
まひるが手を差し出すと、アースはその手を両手でぎゅっと握りしめた。
「はい! まひるさん!」
(…私は、恐らくまたまひるさんを満足させる返答はできなかっただろう…自分の不甲斐なさは騎士としての任務を遂行することで返上させて頂こう…)
アースは心の中でまた自責の念に駆られていた。
「ッ! 美味しい!」
まひるの実家に来て最初の夜。夕食に出された刺し身を一口食べたアースは思わずその感想を口に出さずにはいられなかった。
「美味しいです! 生の魚なのに、甘みと旨味が豊かで、噛みしめるたびに口の中に幸せが広がります!」
アースは左手をご飯茶碗に持ち替え、続けて白米をその口に放り込む。
「ご飯が、進みます!」
美味しそうに、そして嬉しそうに食べるアースに誰もが顔をほころばせた。
「ふふ、それはよかったわ。球子ちゃんのお口に合って何よりよ」
まひるの母親、暁子が笑顔で返す。
「確かに、お父さんが獲ってくる魚、美味しいよね! でも、それより…」
まひるは笑いを堪えながらアースを見て続ける。
「球子食レポ上手すぎ! あははっ! こっちまで幸せになる!」
「そんなにですか? 自分、普通に食べていただけなんですが」
「球ちゃんって食べること大好きだもんね!」
「ああ。いつの間にか食いしん坊キャラになってたよな…」
「なっ! ほむらまで!? いつ私が食いしん坊だったと言うの!」
「いや、普段から割りと食べてるよ、球子姉さんは…僕の三倍くらいは食べてる」
「そ、それは、万理が少食なのではッ!?」
アースは皆から不本意な意見を投げ付けられ珍しくあたふたした。
「まあまあ。美味しそうに食べてくれるのは作り手からしたらこの上なく嬉しいことなんだから、たくさん食べてね」
まひるがアースに優しく諭すと、アースはその言葉に感謝しながら頭を下げた。
「はい! まひるさんのお母様の作るお料理、とても美味しいです!」
「あら? 嬉しいわ。ありがとう」
暁子が満面の笑みでおっとりと返した。
――自分たちはエネルギーを経口摂取せずとも存在出来ますので――
アースはそう言った過去の自分に教えてあげたいと思った。
料理から得られるものはエネルギーだけではない。美味しいと感じれば心が豊かになれる。食物たちに感謝する心を持つようになれる。作ってくれた人の真心に触れ優しい心持ちになれる。こんなにも素晴らしいものが得られるのだ、と。
アースは箸の動きを緩めることなく朧気に考えていた。
(料理……どんなに美味しい料理でも、誰かに食べて貰わねばその真価を成さない。その誰かを想って作るから、だから美味しくなる。私は地球で、そんな当たり前の理をヒトの身で初めて知った……)
「球子? どうしたの? ボーっとして」
「いえ、少し考え事をしていました」
「もー。食事の時は余計なこと考えず、ちゃんと味わって食べてね」
「はい。まひるさん」
(この料理は、私の名前にも言えること…折角つけてもらってもそれを使わなければ意味が無い。想い、願い、相手に伝える…私の本当の願いは……)
アースは心の奥でまひるとの友情を夢想する。それは主従に囚われない友達同士として触れ合いたいという彼女の固く閉じ込めた本心。
――あなたの名前は『アース』!――
アースがダイタニアで最初に貰った贈り物は、彼女の名だった。
「ごちそうさまでした!」
アースは手を合わせて食後の挨拶を済ませる。そして食器を片付けると暁子に改めて礼を告げた。
「ごちそうさまでした」
「はい、おそまつさま」
「とても美味しかったです」
アースの素直な賛辞に暁子の顔がほころぶ。その様子を他の面々が微笑ましく眺めていた。まひるもアースを優しい目で見つめながら口を開く。
「球子って、食べることに関してはいつも全力だよね」
「はい。それが自分の存在の証明ですから」
「えっ?」
「あ、いえ! な、なんでもありません!」
(何を言っているんだ私は…!?)
アースは顔を真っ赤にしながら慌てて取り繕う。その様子を見かねた暁子はクスっと笑うとこう続けた。
「球子ちゃんにとって食べることは生きることなのね。なら、ちゃんと美味しく食べてもらえるように私たちも頑張らないとね」
「そ、そんな……自分は……」
「ふふ。わかった球子! これからももっともっと美味しいもの作るから、いっぱい食べてよね?」
まひるがウィンクをしながらアースに笑いかける。
「は、はい! 是非とも!」
アースは喜びと期待が入り混じった表情でそう答えたのだった。
アースは今は想像しない。
まひるとの未来を。
ただ明るいまひるだけの未来があればいい。
アースは今は願わない。
まひるとの友情を。
ただ眩しいまひるの笑顔が続けばそれでいい。
これは、とても不器用で真面目な騎士の、他人から見たら馬鹿馬鹿しいと笑われそうな己だけの矜持だった。




