[Data18:進一と陽子【十】]
あの日以来、俺はずっと仮想空間の研究に没頭していた。最近では大学の講義もそっちのけで、食事と僅かな睡眠時間以外は全て研究に当てられている。
「陽子さん……」
俺は誰もいない研究室でスマホの中の陽子さんの写真に話し掛ける。写真の中の彼女はいつも笑顔を俺に向けてくれていた。
「必ず、また君に会いに行く……!」
俺はそう言って仮想空間の構築を急いだ。あの日以来、何度となくSANYに接続しては試行錯誤を繰り返していたのだ。
あの日、俺が初めてSANYの起動した仮想空間に入った日、そこで発見した白い神殿…
もう一度辿り着けたらあの時の疑問は確証に変わるのではないか?
俺は確かにあそこで女性の声を聞いた。
『ああ……来てくれたのね…………』
あの声は、今思い返すと陽子さんの声に似ていなかったか?
最初にSANYの起動実験にプレイヤーとしてログインした陽子さんの情報をSANYが学習してしまっていたとしたら?
あの仮想空間の中に陽子さんの足跡が、残留思念の様なものが残っているのではないか?
前に皆で検証した際に、その様な声は録音されておらず、俺がただ一人黙っていただけだったという。女性の声に関しては未確認事項として未処理のタスクとして仕舞われたままだった。
「仮想空間でも電脳世界でも何でもいい!俺は、もう一度君に会って…!」
俺はその日の研究の進捗状況を報告しに浅岡教授の元を訪れていた。
「教授……SANYの処理速度についてですが、あれからまた少しテストを行いまして、大分改善されました。後は実験データを取りたいのですが……」
俺がそう言うと教授はじっと俺の目を見つめると、静かに頷きながら言った。
「わかった。では明日にでもテストを行うように手配しておこう。人員は前回と同じく電算部と近代科学部からでいいか?」
「はい、ありがとうございます!」
俺は教授に深く一礼し、研究室に戻ろうとしたところで教授に声を掛けられた。
「迫田君。最近仮想空間でのSANYの起動実験を頻繁にしているが、くれぐれも体には気を付けてくれ。休養もしっかり取るんだぞ?」
教授は心配そうに俺にそう言ってくれた。
「ありがとうございます!でも、今は大丈夫です!」
俺は笑顔で教授に答え、研究室へと戻った。
俺の研究は着実に進んでいる……
きっと近い内に良い結果が出せる筈だ……!
そんな希望を胸に抱きながら俺は帰宅しようとしていた。
「ザコタ!」
校門を出たところで急に名前を呼ばれ、声のした方へ振り向くとドク先輩がいた。少し険しい顔でこちらを見ている。
「ドク先輩……」
俺が小さく会釈すると、先輩は俺に歩み寄ってきた。
「痩せたな……お前、最近無理しすぎじゃないか?お前のその研究が俺たちの悲願であることはわかるが、それでお前が倒れたら元も子もないだろう?」
ドク先輩はそう言うと俺の頭をポンと叩いた。
「俺は大丈夫です!今は倒れるなんて微塵も考えていません!今頑張らないと……でないと……!」
俺はそこまで言って言葉に詰まってしまう。
そんな俺を見てドク先輩は小さく頷きながら言ってくれた。
「……そうか、そうだな……わかった、お前がそう言うならもう止めはしない。だがな、無茶するお前をただ黙って見ている訳にも行かん。俺はもう少しで卒業だが、それまで必要なら力になってやる」
ドク先輩は俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「ありがとうございます!」
俺はそんなドク先輩に頭を下げた。そして、そのまま帰路につく。
先輩たちは本当に良い人たちだ……この恩は、必ず研究で返そう……そう心に誓って。
そんな迫田の後ろ姿を見ながらドクは呟いた。
「…俺もいるから安心しろ、浅岡…」
翌日も俺は仮想空間の研究を続けた。データの取り方にもだいぶ慣れてきたところで休憩を取っていると、ドク先輩が研究室にやって来た。
「ザコタ、昨日も言ったが、俺が手を貸す。今日は何をやる?」
ドク先輩はそう俺に訊いてくる。
俺は少し考えてから答えた。
「今日は近代科学部と電算部から人を借りてのSANYを起動してのログイン実験です。『天照』の使用許可も教授経由で貰ってます」
「そうか……大胆科学愛想会も今やお前一人か。そりゃ他所の部に助っ人を頼まないと実験一つやるにも難しいわな…」
ドク先輩は少し寂しそうに言うと、俺の頭に手を置いて言った。
「いいか?無理はするなよ?お前に何かあったら浅岡に顔向け出来ないんだからな。肝に銘じておけ」
そう言って微笑む。
「ドク先輩……!」
俺が先輩の名を呼ぶと、彼は振り返って言った。
「何だ?」
「……ありがとう!」
「ふん。“ドック”だ」
ああ、やっぱりこの人は優しい人だ……俺は彼の目を見て心からそう思った。だからこそ、この人には伝えなければなるまい……
「先輩、俺の研究は……」
俺は仮想空間の構築とSANYの起動実験について今俺が目指してる研究の方向性を彼に説明した。
ドク先輩の目には驚きの色が宿っていた。
「お前……まさか、そんな研究をしていたのか?」
「はい。俺にしか出来ないことだって思ってます!俺は、あの世界の中の陽子さんを探したい!」
「……………」
ドク先輩は無言だった。
「先輩、俺は必ず成し遂げて見せます!だから……」
俺がそこまで言ったところで先輩は俺の両肩を掴み、口を開いた。
「それが俺やお前の、お前たちの目指した実験だったか!?実験を…現実と夢を履き違えるなッ!」
ドク先輩は今まで見たことがないくらい怒っていた。
「いいか!?仮想空間はあくまで仮想だ!そこに死んだ人間の魂なんて宿る筈がない!仮初の世界だ!それはお前だって重々解ってるだろう!?」
ドク先輩の言葉は俺の心を激しく揺さぶった。
わかっている。そんなことは俺が一番よくわかっている……ッ!! でも、それでも俺はあの世界にもう一度行きたいんだ!彼女の笑顔をもう一度この目で見たい……ッ!!きっとそれが出来るとしたら、それは俺しかいないんだ!
「今のお前を見たら浅岡は何て言うかな……」
先輩は最後に小さく呟くと、俺の肩から手を離した。
「先輩……」
「すまんな、ザコタ……ちょっと強く言い過ぎたかもしれん。でもな、俺もあの世界の構築を行ってきたんだ。だからこそ解るのさ……あそこは夢の世界だって」
ドク先輩は少し寂しそうにそう言うと、俺の頭に手を置いて言った。
「だから、今日の実験、俺にプレイヤーをやらせろ!」
ドク先輩は力強くそう言った。
「先輩……」
俺はドク先輩の優しさに胸が熱くなり、彼の目をじっと見つめる。
「俺たちが見たかった世界、もう一度思い出させてやる」
そしてドク先輩は今回のSANY起動実験をやり遂げた。白い神殿どころか新しい発見もなく実験は無事に終了した。
先輩がヘッドギアを外し、他部員からメディカルチェックを受けている。俺は近付いて彼に声を掛けた。
「先輩、お疲れ様です」
俺がそう訊くとドク先輩は笑って答えてくれた。
「はは、どうだ、無事に戻って来たぜ。傍から見ててどうだったよザコタ!?」
「ええ、特に新しい発見はなかったですが、何事もなくて良かったです」
俺が少し笑いながらそう言うと、ドク先輩は尚も笑った。
「ふふ!そうか。お前にはそう見えたか……ザコタ!これでいいんだよ!何事もなく安全無事に実験を終了させる。俺たち大胆科学愛想会は常に部員の安全を第一に考えていたろ?」
あの冷静なドク先輩が、ここまではっきり感情を表に出すのは珍しかった。
「お前、よく言ってたよな?自分の技術で誰かを助けたい、誰も悲しまない世界にしたいって。だったら、これはこれで一つのお前の望んだ世界なんじゃないか?」
「先輩……」
俺はドク先輩が言わんとしていることがよく理解出来た。
この人が自分がプレイヤーになってまで、今日起動実験を強行したのは、俺にもう一度あの頃を思い出してもらいたかったからなのだ。
仮想空間の世界であっても、それは彼女も望んでいた世界だったということを俺に見せたかったのだろう……
「だから、お前は安心していい。お前が目指した世界は、俺たちで必ず実現させてやろうじゃないか!」
先輩はそう言うとメディカルチェックを受けている部員へ礼を言い、立ち上がり俺に手を差し伸べて来た。
「付き合うぜ。俺たちの夢を、形にしてやろう」
ドク先輩の手を取り、力強く頷いた。
「はい!」
俺は改めて心に誓った。必ずあの世界を実現してみせると。
それからの俺たちの研究は急ピッチで進められた。何度も失敗を重ね、その度に新たなデータが蓄積されていく。仮想実験の結果を基に、よりリアルに、より現実的なVR空間を構築することに成功した。
「明日、卒業式ですね?」
俺は隣で作業していたドク先輩に話しかけた。
「ああ、そうだな。お前とここで研究を始めてからもうそんなに経つか……最初はこんなつもりじゃなかったんだがな」
ドク先輩は少し寂しそうに言う。
「いえ、俺は先輩とこうしてまた研究出来て楽しかったです!」
俺がそう言うと先輩は照れ臭そうに頭を掻いた。
「おいおい、らしくねえこと言うなよ」
先輩は苦笑していた。
「先輩、今まで本当にお世話になりました!」
俺は先輩に深く頭を下げた。
「よせよ……そう言えばコニシキたちも、明後日から直ぐ卒業旅行って言ってたな」
ドク先輩は照れ隠しのためか、話題を変えてきた。
「コニシキ、たち?」
俺はその言葉に違和感を覚えた。
「ああ、コニシキとミッチー」
ドク先輩は作業する手を休めずに言う。
「え?二人で?」
疑問に感じた俺は、ドク先輩の言葉に敏感に反応してしまった。
「あの二人ももう割りと長いからな。独り身にゃ酷な部活場だったぜ。ま、俺には二次元の嫁がいるからいいんだけどな」
ドク先輩は冗談めかして言う。
「え!?ちょっと待って、コニシキとミッチー先輩、付き合ってたの?」
俺が驚いてそう言うと、ドク先輩は作業する手を止め、こちらに向き直り答えた。
「なんだお前、知らなかったのかぁ?あの二人はお前が入る前から付き合ってたぞ?」
知らなかった……全く気が付かなかった。二人はいつも良いノリしていたけど、まさか付き合っているとは思ってもみなかった。
「お前なぁ、もう少し視野を広く持てよ。この世界はお前を中心に回ってねーんだぞ?その辺分からねーところがザコっぽいんだよな」
ドク先輩は呆れた様子で俺を見ていた。
「何にせよ、あの二人もお前に感謝してたぜ?浅岡のことがあって、今みんな、ちょっと本調子じゃないけどよ…」
俺はドク先輩の言葉をじっと聞いていた。
「あとな、お前の人生はお前が主人公だ。例えどんなザコでもモブでもな。お前はお前の人生で最強のザコになればいい」
ドク先輩のその言葉が、俺の心に深く染み渡る。
「先輩……ありがとうございます!」
俺は思わず涙ぐむ。そして、先輩は俺の頭をポンと叩いて言った。
「俺たちはまだ若い。大切な仲間を、恋人を失った心の傷が癒えるのにはまだまだ時間が必要だ。だからこそ、前を向かなきゃな。あいつのためにも!」
気付くとドク先輩の目にも涙が浮かんでいた。
「はい!」
俺は力強く返事をする。
そうだ、俺たちはこれからも生きて行くんだ。この悲しみを乗り越えて、もっと強くならなければ。
「さて、明日は俺たち先輩が主役だ。しけた面してたら張っ倒すぜ?」
ドク先輩の言葉に俺は笑顔で答える。
「ははっ!はい!」
いよいよ今日は卒業式……先輩たちの新たな門出だ。
“浅岡陽子”さんとのそれぞれの別れから早くも二ヶ月が経過しようとしていた。
俺は未だに彼女を想い続けている……彼女はもうこの世に居ない。その現実を受け入れなければならないのも解ってはいたが、人間の脳と言うやつは中々に強情なものだ。俺の脳は未だその現実を受け入れるのを渋っているようだ。
卒業証書を受け取り、先輩たち三人が俺の方に歩いてくるのが見えた。
俺はそっと目を閉じる。
何事も平穏無事なら、君もこの場に居て、いつもの笑顔で先輩たちを祝福したのだろう。
君はいつも笑顔だったね。
本当は辛くて、苦しくて、怖くて堪らなかったろうに…
俺を愛してくれて、ありがとう。
沢山の笑顔と、愛と、勇気を、ありがとう!
君を思い返すと笑顔でいる君しか思い浮かばないんだ。
なんて、なんて心強いんだろう!
俺は目を開け、一歩踏み出す。
「卒業おめでとうございます!先輩ッ!」
俺の胸元には、水色の狐のマスコットが春のそよ風に吹かれ、楽しそうに揺れていた。
――時は移り、現代。
「とまあ、陽子さんについてはそんな感じでさ、君と似て笑顔の似合う素敵な女性だったよ」
俺はミーティングルームでそよ君につい昔語りをしてしまっていた。
「ぐすッ…風待さぁん!よぅこ、さんって、とっても、素敵な方ですねぇッ、えッ、ふぐぅッ…」
そよ君が俺なんかの思い出話で泣いてくれている。俺はそよ君にハンカチを差し出した。
「ああ、陽子さんはね、俺にとってのヒーローなんだ。彼女がいたから俺は今こうして真っ当に生きていられるんだと思う」
俺の心は月日とともに移り変わりはしたが、この想いはいつまでも俺を生かすだろう。
「その、風待さんは今でも陽子さんを、好きなんですか?」
そよ君が涙を拭いながら俺に聞いてくる。
「…好きだったよ」
それだけ、俺はそよ君に告げた。
これ以上は君も人に聴かせたくはないだろう?
ただ、一つだけ言えることがあるとしたら――
「彼女のことを思い出すとね?いつも元気が出るんだよ」
俺は笑顔でそう言った。すると、そよ君は一瞬驚いた表情をした後で、満面の笑みを俺に見せこう言った。
「素敵です!私も、進一くんのそんな人になりたいです!」
彼女は強い女性だった。きっと今もどこかで笑っていることだろう。
そう信じているし、そう信じているからこそ前を向ける。
俺はただ感謝の気持ちだけを忘れずに日々生きていく。
それが俺にできる彼女への唯一の恩返しだと思うから――
「そんなでさ、そのドク先輩とSANYを使う方向性を決めた後は早かったよ。『天照』から必要なデータはバックアップしてあったから、スパコン無くても制作に支障なかったしね。大学中退してまで直ぐにソフト会社起ち上げたりしてさ。若かったなー!」
俺は気分が乗り、ついつい饒舌になってしまっていた。そよ君も瞳をキラキラさせながら聴いてくれるのでつい口が緩んでしまう。
「そうなんですかー。私は難しい話は分からないけど、それで出来たのが――」
「そう、『ダイタニア』さ!」
皆の青春と情熱から生まれたこの『ダイタニア』は俺の誇りだ。
だからこそ、世界をどうこうしようって考えを起こしたアイツを俺は止めなければならない。
「……そっか…私は、風待さんたちの情熱や、陽子さんの優しさから生まれてきたんですね……」
そよ君が少し俯きがちに呟いたが、俺を見上げたその顔には優しい笑みが浮かんでいた。
「ッ!」
俺はその顔を見て、彼女を思い起こさずにはいられなかった。
「私が、陽子さんの生まれ変わりだったら、風待さんを慰めてあげられたのかな?」
そよ君がそんなことを言った。
「ふふっ」
俺はそんな優しいそよ君の心遣いが嬉しくて笑ってしまった。
「ありがとう。気持ちだけで十分だよ。でももし、電脳世界でもう一度彼女に会えたなら……」
俺は少し遠くを見て、呟いた。
「あの時、言えなかった言葉を伝えたい…」
「風待さんんッ…!」
またそよ君がうるうるしだしたので、流石に長話が過ぎたと、俺は話題を軌道修正させた。
「さて、話が逸れたな。話を戻そう!」
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※本編第二十二話に続きます。




