[Data15:進一と陽子【七】]
まだ暑さが残る、秋――
俺は手に持ったライセンスを高々と陽子さんの眼の前に掲げて得意げに仰け反った。
「取って来ました!陽子さん!」
陽子さんは一瞬驚いた顔をした後、満面の笑みで言った。
「やったね!進一くん!おめでとう!」
そう、俺はこの夏休みの間、短期合宿で自動車の運転免許を取りに行っていたのだ。一年の時は大学の一般教養の単位も多く、そこまで夏休みを使えなかったが、単位が少し減る今年こそは取ろうと思って準備をしていたのである。
「これで陽子さんを助手席に乗せてドライブできる!」
俺がそう言うと彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「うん!嬉しいな」
この笑顔を見るのも実に三週間振りだった。
俺は車の免許の他に、前から乗りたいと思っていたバイクの免許も同時に取ってきていた。そうすると合宿であっても最短三週間くらい掛かってしまうわけだが、陽子さんに相談すると
「取れる時に取っちゃった方がいいよ。私なんて車だけでも半年くらい掛かったんだから!」
と快く送り出してくれたのだ。
そして今日は久しぶりのデート。今回は俺が映画館デートを提案し、二人が観たかったSFアクション映画を観た後、駅前の喫茶店で軽めのランチを摂り、寛いでいた。
「今日の映画、当たりだったね!」
「うん!めちゃくちゃ面白かった!」
「私、主人公がバイクに乗って敵を追い掛けるシーンが印象的だったなぁ」
「確かにカッコ良かった!背景美術に特撮とCG混ぜて、カメラアングルも洗練されてて俺もあの場面は痺れたよ」
そんな感じで映画の感想を言い合いながらコーヒーを啜っていると、不意に陽子さんが
「その内、SANYの中でも乗り物とか乗れるようになるのかなぁ…」
と呟いた。その一言に俺は思案する。
(仮想空間内の乗り物か…物質を仮想構築出来るSANYなら、どんな乗り物も設定次第で実現可能なんじゃないのか?)
そう考えていた俺に陽子さんが
「ふふっ。進一くん、またSANYのこと考えてる?」
と笑いながら訊いてきた。
「あ、ああッ!?久々に会うってのに、ごめん!また研究のこと考えてた!」
俺が焦って謝ると彼女はまたクスクスと笑って言った。
「ううん、大丈夫。そんな進一くんも好きだから」
「あ、ありがとう……」
俺は照れながらそう返した。そして少し考えてから言う。
「そうだな…今は眼の前の可愛いサニーに集中するよ!」
俺はそう言って陽子さんに笑顔を向ける。
「もう、進一くんたら……」
彼女は恥ずかしそうに笑った。
(それにしても……)
俺は改めて彼女の姿をじっくりと眺める。今日の陽子さんの服装はベージュのワンピースにカーキ色のジャケットを羽織った秋色コーデだった。モデルのように手足が長く抜群のプロポーションを誇る彼女にとても似合っていると思う。今更だが、言うしかあるまい。
「あの、今日の服装もよく似合ってて素敵です。秋色っていうか、落ち着いた陽子さんに、その、似合ってます」
俺は相変わらず人を褒めるというのが苦手なようだ。自分の彼女くらい、出来たら褒めちぎってあげたいのに…
「ふふっ。ありがとう。この前千登世さんとお買い物行った時気に入って買っちゃったんだ」
陽子さんは笑顔で応えてくれた。
「進一くん、慣れないこと言う時、偶に敬語に戻っちゃうの、かわいい!」
「す、すいません…!」
俺は頭を搔きながら答えた。すると陽子さんは俺に近付いてきて上目遣いに俺を見ながら言った。
「ほーら、敬語に戻ってる」
「あ!えっと……」
俺が口籠っていると彼女が俺の唇に人差し指を当てたので、思わず口を噤んでしまう。そんな俺を見て彼女は悪戯っぽく笑った。
「ふふっ。進一くんのそういうとこ、好きだよ」
俺は照れて、少し冷めてきたコーヒーに口を付けた。すると陽子さんは思い出したように訊いてきた。
「ところで、進一くん?」
「ん?何?」
俺がコーヒーを啜りながら訊き返すと陽子さんが少し不安げな顔で言った。
「免許合宿で可愛い女の子に浮気しなかった?」
「ぶッ!」
俺は思わずコーヒーを噴き出してしまった。何とか正面の陽子さんには掛けずに済んだ。
「ゲホッ!ゲホッ!」
「だ、大丈夫!?」
慌てて陽子さんがおしぼりで俺の服に付いたコーヒーを拭いてくれた。そんな格好悪いことをしている自分に情けなくなりつつも、俺は何とか体勢を立て直して言った。
「あ、ありがとう……でも何言ってるんだよ!?免許取ってきただけなのに!」
「進一くんはキレイなお顔してるので、黙ってても女の子が寄ってきてしまうのです。三週間も会えないで、私はずっと心配だったのです…」
陽子さんはそう言いながら頬を膨らませた。
「いつもメッセージのやり取りしてたじゃんか!?」
「それは、そうなんだけど……で、向こうで女の子に言い寄られたりしなかったの?」
「言い寄るもなにも、教習所ではそれどころじゃなかったし、他の教習生とも殆ど交流がなかったから大丈夫だよ!もし何か言われても、俺には素敵な彼女がいるんで!って断るよ!」
俺がそう言うと陽子さんは少しホッとした表情を浮かべて言った。
「ふふっ。冗談だよっ!免許合宿お疲れ様でした。進一くん」
そんな悪戯っぽい笑顔の彼女に俺はドキッとさせられたのだった。
その後も俺たちは街を散策し、駅で解散することになった。次回のデートは陽子さんの希望で“温活”をすることに決まった。
陽子さんを見送り、俺は直ぐ様スマホをいじりだす。
(オンカツ?オンカツって何だ!?)
俺は陽子さんの言っていた“温活”という言葉を、ネットで検索した。するとその答えはすぐに出てきた。
「温めて身体を元気にするってことか」
俺は早速温活について調べることにした。どうやら身体を温めることによって免疫力が上がり、健康的な身体を保つことが出来るらしい。
(特に女性は冷え性や低体温で悩んでいる人も多いみたいだし……)
俺は陽子さんのことを思い返しながらスマホを操作した。
(スパとか、ガンバンなんちゃらって言ってたよな…)
俺はスマホの画面をスワイプして、検索ワードに温活と入力した。するとすぐに関連記事がヒットする。
(なになに……?)
俺が読んでいた記事は、温泉に行く前に身体を温めるためにスパに行ったり、岩盤浴をしたりする方法について書かれたものだった。どうやら“温活”というのは身体を温めるという意味らしい。
兄貴しか兄弟がいない俺には未知の分野だった。俺はその記事を参考に、次に温活が出来る場所を調べていく。
そして俺は一つの結論に行き着いた。
(そうだ……温泉に行こう!)
そこで俺は早速陽子さんをデートに誘うことにした。最近行けていなかったので久しぶりにゆっくりしたいという気持ちも大きかったが、温活は身体を温めることが大事だと書いてあったし、何より彼女を喜ばせたかったのだ。
俺がメッセージを送ると彼女からはすぐに返信が届いた。
【温泉行きたい!でもちょっと遠過ぎない?車でも片道2時間くらい掛かっちゃうかも……】
俺は彼女の指摘通り、その記事に載っていた温活が出来る施設をピックアップし、その中から一番近い温泉地を調べた。すると車で行けばそこまで時間も掛からないことが分かったので陽子さんに説明する。
【じゃあ当日は俺の運転で行こう!】
俺がそうメッセージを送ると陽子さんは少し驚いたような反応を見せたが、すぐに返事をくれた。
【分かった!楽しみにしてるね!】
俺はそんな陽子さんのメッセージに心を躍らせながら、学校で会っては当日の待ち合わせ場所や時間を打ち合わせた。
【じゃあ進一くん、明日ヨロシクお願いします!おやすみなさーい】
そんな陽子さんとのやり取りを終えて、スマホを閉じた後、俺は一人呟く。
「ついに明日か……運転もあるし、早めに寝よう」
俺は明日に備えて早めに就寝することにした。
いつもより早起きした土曜日の朝。
俺は修行で留守にしている兄貴の車を借りて出掛ける用意をする。何度か乗っているので今はもう運転も大分慣れたものだ。
「進一、くれぐれも人様を乗せるんだから安全運転でね!」
「分かってるよ母さん!行ってきます、」
心配する母さんを尻目に、俺は待ち合わせ場所へと車を走らせた。
「おはよう!進一くん!お迎えありがとう」
「おはよう陽子さん。どうぞ乗って」
(うわッ!?緊張するなぁ……)
助手席に座る陽子さんを横目で見ながら俺は内心ドキドキしていた。今まで何度か乗せているので慣れたつもりではいたが、今日は何か違う気がしたのだ。
(いつもと違う服だからかな?それとも髪型?……いや、全部か)
そんなことを考えていると俺の視線に気付いた陽子さんが不意に訊いてきた。
「どうしたの?進一くん?」
「やっぱり笑顔が最高に可愛いな……」
(いや、何でもないよ…)
「えッ!?」
「ん?あッ!!」
俺は思った事と口にした事が逆だったことに今更に気付いた。
助手席の陽子さんを見ると案の定顔が赤くなっている。
「いや!その……ゴメン!つい本音が」
俺は慌てて謝罪した。すると陽子さんは赤い顔のまま俺に悪戯っぽく言った。
「ふふっ、ありがとう進一くん!そんな風に言ってくれるのは嬉しいんだけど、いつもよりストレートだったからびっくりしちゃった」
そんな陽子さんの仕草にまたもドキッとさせられる。
(くそッ!今日は運転に集中しなきゃダメだっていうのに……!)
「じゃ、じゃあ行こうか!」
「うん!今日もヨロシクね!進一くんのお兄さん号!」
「何だそれ!?兄貴は信吾だから…シン号だな!」
「あはは!何それ!よろしくシン号さん!」
そんなやり取りの後俺たちは車に乗り出発した。
「ふふっ」
「ん?どうしたの陽子さん?」
「だって……私たちの会話って、なんか恋人同士というよりも完全に家族みたいじゃない?」
「確かに」
そんな陽子さんに俺は思わず笑ってしまった。すると彼女も俺に釣られて笑い出す。
「あははは、可笑しいねッ!」
そう言って笑う陽子さんの声が澄み渡る秋空のように心地良い。
「陽子さん、今日の服も似合ってるよ。素敵です」
俺は運転しながら素直な気持ちを伝える。すると彼女は少し照れ臭そうに言った。
「あ、ありがとう!進一くんもかっこいいよ!」
そんなことを言われて何だか気恥ずかしくなった俺たちはお互いに笑い合うと、程なくして目的の温泉施設に到着したのだった。
「へぇ~!意外と大きい建物なんだね?」
車を降りると開口一番、陽子さんは目の前の施設を見てそう言った。彼女の言葉通り、ここは俺が想像していたよりもかなり大きかった。
「温活好きの陽子さんは、もっと小さいところの方が良かった?」
俺は彼女に訊いてみた。すると彼女は首を横に振りながら応える。
「ううん!私大きいお風呂って好きだから大丈夫!」
「そう、よかったよ」
そんなことを話しながら歩いていると、前を歩いていた陽子さんが振り向いて言った。
「ねえ進一くん?ここ、岩盤浴も出来るみたいよ?」
「うん。そうみたい。俺、岩盤浴って初めてだから教えて欲しい」
「ふふっ。私流でいいなら!」
「むしろそれでお願いします!」
そんなやり取りをしながら俺たちは受付に辿り着いた。
「いらっしゃいませ!温活プランでございますね?」
俺たちが受付に行くと、若い女性のスタッフの方がそう声を掛けてきた。俺と陽子さんが頷くと、彼女は笑顔で言った。
「かしこまりました。ではこちらが岩盤浴用の室内着と――」
そう言って色々と説明をしてくれるが、陽子さんは心得ているようでにこやかに頷いて返している。
俺たちは館内着やらタオルやらが入ったバッグを渡され、それぞれ岩盤浴用の室内着に着替えた後、スタッフの方に教えられた地下へと向かった。
「わッ!すごい……広いね!」
階段を降りた先には複数の個室があり、各部屋の壁や天井は一面岩盤浴用の石が敷き詰められていた。
「じゃあ私の岩盤浴レッスン!始まり始まり〜!さあ進一くん!レッツゴーだよ!」
「おう!」
俺は陽子さんに手を引かれて中へと入った。すると途端に温かい空気が俺を包み込む。その温もりは俺の心をも包み込んでくれるようだ。
「おぉ~、あったかい!ていうか熱い!これが岩盤浴か…」
俺は思わずそう声に出しながら、近くにあった石に座ってみる。やはり熱いな!
「そう。仰向けになって目を閉じてゆっくりと呼吸をするの…熱くなったら我慢せず出ようね」
そして陽子さんの横に仰向けになると、ゆっくりと目を閉じた。すると途端にじんわりと身体の芯から温まっていくような感覚に襲われる。その感覚を味わうように俺は目を瞑ってしばらくの間その心地良さを堪能する。
「進一くん?大丈夫?」
不意に陽子さんの声が聞こえたので目を開ける。すると俺の顔の直ぐ横に彼女の顔があった。
「初めてだから一回出て水分摂ろうか?」
「そうだね」
俺は素直に陽子さんの言葉に従うことにする。なんたって今日は陽子さんが先生だ。
俺たちは一旦岩盤浴の部屋から出て、予め陽子先生の言い付けの通り用意しておいた水筒で喉を潤す。
じわりと汗ばんだ体に冷えた麦茶が隅々まで行き渡るような感覚に陥る。
「っはあ……美味い……」
そんな独り言を漏らすと、横で陽子さんが笑った。
「ふふっ。進一くんいい飲みっぷりだね?私も負けないように頑張らないと!」
そう言って自分の水筒を両手で持ち、こくこくと喉を鳴らして飲む彼女の仕草に思わずドキッとする。
(そういや、俺、この服の下何も着けてこなかったけど、よかったんだよな?今更だが聞いたほうがいいのか?まてよ!?もし陽子さんも履いていないとしたら……)
そんなことを考えて俺は自分の邪な考えを振り払うように頭を振った。
(いや、ダメだ!変なことを考えるな!)
そんなことを考えていると陽子さんが不思議そうに訊いてきた。
「どうしたの?進一くん?」
「えッ!?何が!?」
俺は動揺しながら応える。すると陽子さんは俺の顔色を窺うようにして言った。
「今なんだか難しい顔してたから……」
「いや!全然大丈夫!何でもないよ」
(ダメだ……今日は陽子さんと楽しく過ごすんだから余計なことは考えないでおこう)
俺はそう心に誓い、改めて陽子さんと共に岩盤浴の部屋へ入っていった。
それから俺たちはしばらく無言でリラックスしていた。すると俺の横で仰向けになっていた陽子さんが口を開いた。
「ねえ進一くん?」
「ん?何?」
俺が聞き返すと彼女は天井を見つめながらゆっくりと言った。
「私ね?こうして進一くんと岩盤浴に来れて嬉しい」
「そう……だね。俺は初めて来たけど、陽子さんと一緒でなかったら、ここまで堪能出来てないと思う」
俺は横を向き、笑顔で彼女を見つめる。すると彼女は小さな声で呟いた。
「……ありがとうね」
そう言うと彼女も俺の方を見て目を瞑ったので、俺も無言で目を瞑り顔を近づけ、その唇に俺の唇をそっと重ねた。
「ん……」
彼女の吐息が唇を通して伝わってくる。俺も陽子さんも目を開けずにそのまま唇を合わせ続けた。
ただ、そんな状態は長く続かず、どちらからともなく唇を離すと俺たちは見つめ合い笑い合う。それからお互い何も言わずに岩盤浴を楽しんだのだった。そして――
(そろそろ出るか?)
そんなことを思って不意に隣の陽子さんを見ると着物の襟口が大きく開き、胸元が露わになっていることに気が付いた。
(ちょッ!?ちょっと待ってくれ!)
俺は陽子さんの官能的な胸元から思わず視線を逸らす。しかし逸らした先にも彼女の腕や足、それに着物の裾からチラリと見え隠れするその綺麗な脚……
しっとりと汗ばんだ肌は薄暗いこの空間の中で一際淫靡な光を放っていた。
俺は陽子さんに悟られないように生唾を飲み込む。
(……やっぱり、履いてないのかな…?)
そんなことを思っていると、陽子さんの声がした。
「進一くん?」
俺は彼女の声で我に返った。
「ど、どうしたの?」
俺は慌てて訊き返すと彼女は笑顔で言った。
「そろそろ出よっか?時間的に丁度いい頃だし」
そんな陽子さんの言葉に俺は頷くと再び彼女と共に岩盤浴の部屋を出た。
水分を摂り、心身ともにリフレッシュした俺は陽子さんに訊ねた。
「次はどうしよっか?ここは寝転べるソファとか沢山あってゆっくり出来そうだね」
「そうだね。じゃあ今度は汗を流しに温泉に入りに行こう!」
「えッ!?一緒に入るの!?」
「へ……?……あ――!!そ、そういう意味じゃないよ!」
陽子さんは顔を真っ赤に染めながら慌てふためいている。俺はそんな彼女の姿に思わず笑ってしまった。すると彼女も恥ずかしそうに笑って言った。
「あはは、進一くんがそこまで言うなら家族風呂もあるけどね!」
「えッ!?家族風呂ッ!!?」
陽子さんが言った冗談に本気で食らいついてしまった俺…
「え…………?」
「あ…………!」
気まずい沈黙が二人の間に流れた。
俺は慌てて言葉を返す。
「あ!そ、そっか!家族風呂もあるんだね!なるほど!」
「う、うん……まあ、それは冗談だけど……」
「さっ!大浴場に行こっか!」
俺はそう言っていつもの笑顔に戻った陽子さんの手を引きながら温泉へと向かった。
「ふう……」
岩盤浴で掻いた汗を流し、大きな内風呂に浸かる。岩盤浴も良かったが、その後の風呂も格別だった。大きな浴場なので開放感も抜群だ。俺はそんな満足感に浸り、思わず溜息をついたのだった。
露天風呂も入り、一通り満喫して俺は湯船を上がった。恐らく陽子さんが出て来るまでまだ暫く掛かるだろう。
俺は彼女が出て来るまでの時間をどうやって潰そうか考えていると、ふとあることを思い出し、足早に大浴場を後にした。
(あった!ここだ!)
俺が向かった先はマッサージチェアが置いてある休憩コーナーだった。俺はそこのソファに座り、陽子さんを待つことにしたのだ。
「あ゛〜……気持ち良すぎるッ!」
そんな独り言を漏らしながら俺はマッサージチェアに身を任せる。
「……やばい、寝そうだ……」
そんなことを思っていると不意に声を掛けられた。
「進一くん、お待たせ!」
声がした方を見るとそこには館内着に身を包んだ陽子さんの姿があった。
当然だが可愛い。
「あ!もしかしてマッサージチェアに夢中になってたでしょ?」
そんな図星を突かれ、俺は照れ笑いを浮かべながら言う。
「あはは、ごめん。気持ち良くてつい」
「ふふっ。わかるよ?私もこのマッサージチェア大好きだもん!」
そう言いながら、陽子さんも俺の隣のマッサージチェアに腰を下ろす。
「ねえ進一くん?」
「ん?何?」
俺は陽子さんの顔を見ると彼女は俺の耳元に顔を寄せて囁いた。
「私と勝負しない?」
「……え?勝負ってどうやって?」
俺が訊き返すと、彼女は悪戯っぽく言った。
「マッサージチェアでどれだけ声を出さずに堪えられるか!」
陽子さんは館内着の裾を捲り上げ、ふくらはぎをマッサージチェアに当てながら言う。
「なるほど。でも俺、結構自信あるよ?よーい…スタート!」
俺はそう言いながら陽子さんのマッサージチェアのスイッチを入れる。するとすぐに振動が始まり、陽子さんの脚がブルブルと震え始める。
「あんッ!あ!進一くんズルい!」
「はい!陽子さんの負けー」
陽子さんはそう言って俺を可愛らしく睨むがその表情はどこか楽しそうだった。
そうしてお互いマッサージチェアに身を委ねていると、不意に陽子さんが言った。
「ねえ?進一くん?」
「うん?」
俺はマッサージチェアの振動に身を委ねながら返事をする。すると彼女は少し躊躇うような仕草を見せながら口を開いた。
「あの、さ?私って…魅力、ないかな……?」
突然の発言に聞き間違いかと思い、俺は一瞬言葉を失った。
「え?あ……いや……陽子さんは、俺にとって魅力の塊です!」
そうはっきり言い切る。どうして、陽子さん、そんなこと…?
「…そう、ありがと」
だが何処となく彼女の表情は明るくない。俺はそんな陽子さんの顔を横から覗きながら、訊く。
「どうして…?」
すると彼女は少し躊躇った後にゆっくりと口を開いた。
「……あのね?私、そんなに綺麗な子じゃないよ?何処にでもいる普通の女の子だよ?」
俺は思わず陽子さんに反論しそうになったが、何か違和感が拭えず思い留まった。
陽子さんが今言ったのは、容姿の事ではなく、内面的な事、なのか?
俺は心の何処かで陽子さんを神聖化していた。でもそれが、彼女を苦しめていたのか? 俺はそう自問自答して陽子さんに訊く。
「俺は、俺が知ってる陽子さんの全てが好きだよ。だから、その……もっと自分に自信持って!」
すると彼女は困ったような笑顔を浮かべて言った。
「ふふっ、進一くんらしいね」
「……え?」
そんな俺を見て陽子さんは優しく微笑んで言う。
「ありがと!でもね、進一くんが知らない私の部分も沢山知って欲しいんだ」
『進一、彼女を大事にすること自体は悪くない。むしろ良いことだ。だがな、男というのはそれだけじゃダメな時もあるんだ』
ふと、いつか兄貴に言われた言葉が俺の脳裏を過った。
「ここね、宿泊施設もあるんだ…」
陽子さんはそう言って俺に手を伸ばして来る。俺はそんな陽子さんの手を握り、優しく応えた。
「…泊まっていこうか」
「……うん」
恥ずかしそうに頷く陽子さんを見て、俺はまた彼女の新しい一面を知ることが出来た気がした。
俺たちは手を握り合ったままフロントに行き、宿泊希望と伝える。運良く部屋は空いていたので、そのまま泊まることにした。
フロントで手続きを済ませた俺たちは手を繫いだまま部屋まで向かう。途中、俺はあることを陽子さんに伝える。
「陽子さん」
「うん?」
「俺、ちゃんと男として頑張るから……」
俺がそう伝えると彼女はクスッと笑って言った。
「……楽しみにしてるね」
そんな会話を交わしながら俺と陽子さんは胸を高鳴らせ、今夜共に過ごす部屋へと向かったのだった。