[Data14:進一と陽子【六】]
季節は過ぎて、眩しい夏――
その日は珍しく『大胆科学愛想会』の部室に五人全員が揃っていた。
「暫く留守にしていて済まなかった!俺たち三年三人とも、取り合えず内定が決まった!」
コニシキがドヤ顔で報告してきた。
「おお!おめでとう!」
「おめでとうございます」
と俺と陽子さんはコニシキに拍手を送り、素直に祝福した。
「ありがとう!んでな?もう卒業論文とかも提出しちゃって暇なんだよー!ってことで久々に討論会でも開くか!」
コニシキが意気揚々と提案すると他のメンバーからも賛成の声が上がる。俺もまた彼らに会えるのは嬉しいので快く賛同することにした。
「まずはだな、この部活の存続について、言っておきたい」
コニシキは真面目な顔で口を開いた。
「…はい」
俺は思わず居住まいを正してコニシキの方に向き直った。他の皆も同じ様子だ。
「俺らはもう卒業するし、今年は新入部員もいなかった。実質サニーとザコタの二人だけとなってしまう。そうすると同好会としての活動は出来なくなる」
その通りだった。
実際最近はSANYの起動実験はしておらず、仮想空間内のレイアウトなど、デザインを構築していることがほとんどだった。
コニシキというリーダーがいてこその大胆科学愛想会だということを、俺も陽子さんも痛感していた。何だかんだでコニシキは人を束ねるカリスマ性があった。
「そこで、だ。改めて、この部活を存続させるかどうか話し合いたい」
「そうですね……新入部員を獲得出来なかったのは単に俺の力不足です。その点に関しては……」
「いや、待て。その責任は俺も負うべきものだ。すまなかった」
俺が謝罪しようとするとコニシキがそれを制し、逆に俺たちに向かって頭を下げてきたのだ。そして彼は続けて口を開いた。
「この部活を存続させるかどうか……俺は正直どっちでも良いと思っている」
意外なその言葉に俺たちは驚きを隠せなかった。あれだけこの部活には情熱を傾けていた彼がそんなことを言い出すなんて全く思いもしなかったからだ。
「それはまた、どうしてですか?」
と陽子さん。
「この部活は俺にとって大切な場所だ。それにお前らと一緒に過ごす時間も楽しかった。SANYの研究も実に興味が尽きない。だが、それはこの部活という枠に当てはめなくても継続していけるとしたら、どうだ?」
「と言うと…」
陽子さんの問いに対してコニシキはニヤリと笑って答えた。
「お前らも知ってるだろ?仮想空間はまだまだ無限大な可能性を秘めている!その可能性を解き明かすのが大胆科学愛想会だ!浅岡教授がな、部が無くなっても研究は継続していいって、何なら教授のゼミの一つとして残せばいいとまで言ってくれたんだ!」
「本当ですか!?」
陽子さんが驚きの声を上げた。俺もまた、コニシキの言葉に胸を打たれていた。浅岡教授がそこまで言ってくれたとは……本当に嬉しい限りだ。
「……で?どうする?今後もSANYの研究を続けるか?それとも……」
彼は俺たちに向かって改めて問いかけた。答えはもう決まっている。俺たちは顔を見合わせて頷くと二人で声を揃えて言ったのだった。
「「勿論、続けます!」」
するとコニシキは破顔一笑して答えたのだ。
「お前らならそういうと思ってたぜ!これからもよろしくな!」
こうして俺たちは改めて大胆科学愛想会としての活動を継続することになった。
「あ!折角みんな揃っての討論会なんで、最近のSANYの報告と俺の独自の構想も話しておきたいです」
俺は思い出したかのようにそう切り出すと、ドクが身を乗り出してきた。
「詳しく聞かせてみろ」
俺は頷くとまず仮想空間の近況報告から始めた。最近はヘッドギアを着けてSANYが構築した世界を眺め、探索していることを話した。SANYは起動せず視覚だけの投影だ。これだけなら『天照』の力を借りずとも容易に行える。
その流れで今度は俺のアイデアを元に新しく構想した案を発表する。
「SANYには世界の構築だけ任せて、プレイヤーはバーチャルエクスペリエンスだけの使用とします。そうすることでいざという時のリスク回避にもなりますし、何よりスパコンの力を借りなくてもまあまあのパソコンがあればその場で仮想体験が可能になる」
「だが、それだと普通にバーチャルエクスペリエンスを体験しているのと変わりがないんじゃないか?」
とドクが関心を示してくれた。
「はい、なのでこの構想は飽くまで娯楽に特化させた場合、有効なのではないかと。ぶっちゃけますと、俺はこれでゲームを創ってみたいと思っています」
「なるほど、ゲームか…」
「あたしも興味ある!」
などと他の四人も興味を示してくれた。
実際この構想は俺の中ではアリだと思っている。何より今後の仮想空間の開発においても有用だと思うのだ。
「ゲームの世界の構築は最初にSANYに指示を出しておけばそのように創ってくれることは今までの実験から分かっています。例えば仮想空間内で戦闘シュミレーションを行う場合、それをゲームに落とし込むことができます」
「ふむ……」
ドクは顎に手を添えながら考え込んでいる様子だ。他の面々も興味津々といった様子で前のめりになっている。
「これはプレイヤー自身の発想力や想像力が試されますし、何よりSANYの限界値を見極めることも出来るかも知れない」
俺は更に続ける。
「そして、将来的にはこのスマホだけで動かせるようなゲームにまで昇華させたい。以上が俺が今考えてる妄想です」
俺がそこまで話すとドクはニヤリと笑って言った。
「面白いじゃないか」
それを聞いた他のメンバーもうんうんと頷いている。どうやら概ね気に入って貰えたようだ。
「うむ、妄想なくして科学の発展なし!ザコタよ、是非これからも煮詰めてみるといい。それが現実世界で出来るとなれば実に面白そうだ!」
コニシキが気持ちよく俺に発破を掛けてくれる。
「はい、俺もそう思います!」
俺は力強く答えたのだった。
そして今後の方針を決めた後、今日はお開きとなった。仮想空間の研究はこれからも続けていくが具体的な開発方法に関してはまだまだ検討が必要、という所に着地した。
そうして討論会が終わった後、俺と陽子さんは帰路についた。
「今日の進一くん、しっかり自分の意見が言えてて本当に格好良かったよ!」
歩きながら陽子さんが俺の成長を褒めてくれた。俺は嬉しくなって照れ笑いしてしまう。
「いやあ、まだまだだよ。でも、一歩一歩進んでいくしかないからね」
「うん、そうだね」
そうこうしているうちに二人の分かれ道まで来て、陽子さんは立ち止まり俺の方に向き直った。
「あの……進一くん……」
彼女は上目遣いで俺を見る。その顔はいつもより上気しているように見えた。その仕草にドキリとしたが平静を装って俺は周囲を見回し誰も居ないのを確認すると彼女にそっとキスをした。
「んっ……」
彼女は少し驚いたようだったがすぐに目を閉じて俺を受け入れてくれた。短い口付けだったが、彼女の唇はとても柔らかく、そして温かかった。名残惜しかったが俺はゆっくりと彼女から離れた。
「陽子さん、また明日…」
「うん……またね……」
彼女は顔を真っ赤にして俯きながら小さく手を振ってくれた。俺も手を振り返すと踵を返して自分の家に向かって自転車を漕ぎ出した。
家に帰ると俺は自室にカバンを置き、母屋の隣りにある本堂へ行って座禅を組む。これは日課だ。
住職である親父に教わった精神統一の方法で、俺はこれを毎日欠かさず行っていた。
「ふぅー……」
呼吸を整えながら心を無にする。雑念を捨て去り、ただ一点のことを考えるのだ。俺はゆっくりと目を閉じる。そしてそのまま瞑想を続けたのだった。
(……陽子さん……)
脳裏に浮かぶのは彼女のことばかりだ。今日もまた彼女と口づけを交わした事を思い出してしまった。あの柔らかさと温かさが忘れられないのである。俺は自分自身に呆れながらもその感触を反芻してしまうのであった。
すると背後から
「喝ぁ〜〜〜つッ!!」
と大声がして俺は飛び上がった。振り返るとそこには親父が立っていた。
「お主、また座禅の最中に煩悩に塗れた妄想をしておったな?」
図星だった。俺が黙っていると親父は呆れたように溜め息をつく。
「全く……進一よ、少しは精神の鍛錬をしたらどうだ?」
「お、俺だって真剣にやってるんだよ……」
そう反論すると親父は「ふむ」と言い、隣に座ってきた。
「最近、あの子とはどうだ?上手く行ってるのか?」
親父の言う『あの子』とは陽子さんのことだ。
「あ、ああ……それなりに……」
「そうか。まあ、仲良きことは美しきかなだ」
親父は笑顔で言う。俺は恥ずかしくなって俯いた。すると親父が続けて言う。
「進一よ、人生は一度きりだ。自他ともに、後悔のないようにな?」
「……分かってるよ」
俺はぶっきらぼうに答えたが内心はとても嬉しかった。俺の気持ちを認めてくれていることが何より嬉しかったのだ。
「気が向いたら家に連れて来い。母さんにご馳走を用意してもらって出迎えるぞ」
「それは遠慮しておく……」
俺は苦笑いして答えた。うちの親ならやりかねないからだ。
(でも、いつかは紹介したいよな……)
そう思いながら俺は本堂を後にしたのだった。
家族四人で久々に食卓を囲む。今日は久々に兄貴が帰って来ていた。そのせいか今日の夕飯はいつもより豪華だ。
兄貴の信吾は俺の三つ上で、この寺を継ぐため大学を出てから他所の寺で目下修行中だった。兄貴のお陰で次男の俺は好きな分野に没頭できる。感謝してもし切れない恩義があった。
「進一、最近変わったことはないか?悩み事があるなら相談に乗るぞ?」
兄貴は心配そうな顔で聞いてきた。俺は少し考えてから答えた。
「いや、大丈夫だよ」
すると兄貴はホッとした表情になる。
「そうか……困ったことがあったら何でも言ってくれよ」
そう言う兄貴は本当にいい奴だなと思うのだった。
「あ、じゃあ後で少し話を聞いてもらおうかな」
「勿論だ」
俺がそう頼むと兄貴は快く承諾してくれた。
「あら?母さんには相談してくれないの?どうせ陽子ちゃんのことじゃないの?」
母さんが茶々を入れてきたので俺は慌てて否定した。
「ち、違うよ!そういうんじゃなくて……」
すると兄貴は笑いながら言った。
「何だ、進一にもついに彼女が出来たのか!?」
「いや、違うってば!」
俺は全力で否定したが信じてもらえず、結局根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。陽子さんとの交際は家族公認になっているのだが、どうもからかわれているような気がしてならないのである。
夕飯の後、兄貴の部屋に呼ばれると早速本題に入った。
「あ、いやさ、相談って相談じゃないんだけど…」
「何だ?はっきりしないな」
兄貴は不思議そうな顔で言う。
「いや、実はさ……陽子さん、彼女の事なんだけど……」
すると兄貴の顔が少し険しくなる。
「……進一、まさかお前ッ!にん――」
何かを察したような様子に俺は慌てる。
「違う違う!変な意味じゃなくて!ていうかその前の段階!」
「と言うと?」
兄貴は怪訝な顔で尋ねてきた。俺は深呼吸をしてから続ける。
「兄貴はさ、彼女いるだろ?ほら、前にうちに連れてきた、美人の。結婚するの?」
「早織のことか?まだそこまでは考えてないが……」
兄貴は少し考え込んだ後、こう答えた。
「いや、そうだな……いずれは結婚したいと思っている」
それを聞いて俺は安心した。やはり家族には幸せになって欲しい。
「そうか。良かった」
俺が感慨深げに呟くと兄貴が言った。
「それでお前の方はどうなんだ?彼女と上手く行ってるのか?」
そう問われて俺は言葉に詰まる。
「うーん、上手く行ってるとは思うけど……」
歯切れの悪い答えになってしまったが仕方あるまい。俺自身、彼女との接し方に迷いがあるからだ。
「…俺に経験値が無いからよく分からないんだけど……」
俺は正直に打ち明けることにした。
「俺、彼女に、その…手を出して良いのかなって思って」
俺がそう言うと兄貴は怪訝な顔をした。
「どういう意味だ?」
そう言われて俺は説明するか迷ったが結局話すことにした。どうせ自分で考えていても答えは出ないのだし、家族の意見を聞いた方が参考になると思ったのだ。
「俺も陽子さんもお互い好き合ってるのは分かってるんだ。だけど……その……」
ここまで話したところでまた言い淀んでしまう。兄貴はそんな俺に優しく微笑みかけると続きを促してきた。
「大丈夫だ、続けろ」
俺は意を決して先を続ける。
「……なんかタイミングが分からなくて……お互いに好きなのは分かるんだよ?けど、陽子さんは清楚な人だし、俺みたいなのが手を出していいのかなって……」
そこまで言うと兄貴は笑いながら言った。
「進一、お前は考えすぎだ!」
俺は驚いて思わず聞き返してしまった。
「えっ!?でも、普通そう思うだろ!?」
すると兄貴は首を横に振る。
「進一よ、お前はもう少し自信を持て。自分の価値を低く見積もり過ぎだ」
そう言われてもピンとこない。そんな俺に対して兄貴は続けた。
「お前の性格は分かっているつもりだが……お前に好意を抱く女は沢山いるんだぞ?」
兄貴はそう言うが、俺は今ひとつ納得できなかった。兄貴はさらに続ける。
「いいか?男としての魅力というのは肉体的なモノだけではないんだ。お前が心優しい人間であること、誠実な人間であること、そして何より他人を思いやる心を持っていることを俺は知っている」
兄貴の言葉を聞いて俺は少し照れてしまった。そんな風に思ってくれていたなんて……
「だから自信を持て。進一は科学バカで生真面目な朴念仁かも知れんが、そんなお前を好きになってくれた子だろ?お前が自分に自信を持たなきゃその子にも失礼ってもんだ」
兄貴は俺を励ましてくれた。その言葉だけで俺は嬉しかったし、自信を持つことが出来た気がした。
(そうか……そうだよな……)
俺は彼女を大切にしたいという気持ちは変わらないが、これからは少しずつ積極的にアプローチもしていくべきだと思ったのである。
「お前たち、付き合ってどのくらいだ?」
「えっと……もうすぐ半年かな」
俺が答えると兄貴は驚き
「はあ!?半年?半年付き合っててやってねーの?」
と聞いてきた。俺は動揺して
「いや!ちゃんと付き合い出してからはまだ三ヶ月くらいだよ!」
と訂正したが、兄貴は首を傾げて呆れたように言った。
「いや、お前……付き合って三ヶ月も経つのに、まだ何もしてないって……男の俺でも何だか少しお前の彼女に同情するよ…俺よりお前の方が僧に向いてるんじゃないか?」
「べ、別に、何もしてないわけじゃない!…キ、キス、はしたょ……」
俺が真っ赤になって言うと兄貴は呆れて言った。
「いや、キスしたからって『はい、ヤりました』みたいな顔されてもな……進一、お前な?彼女のこと大事にしすぎだぞ?今時、中学生だってもっと進んでるぞ?」
そう言われて俺は返す言葉が無かった。確かに最近忙しくて陽子さんと会えない日も結構あったし、会う時は彼女の方から積極的にスキンシップをしてきてくれて正直ドキドキさせられてしまった事も何度かある。
(俺ってもしかしてザコなのか……?)
そんな考えが頭をよぎった時、兄貴が言った。
「まあ、だからと言って『よし!ヤろう!』ってわけにも行かないからな。そういうのはその時の雰囲気とか流れに身を任せて、行けると思ったら行くんだ」
「行けると思ったら行く、か……」
俺は思わず口に出してしまった。
「飽くまで、彼女を性欲の捌け口にしたり、彼女が嫌がるようなことだけはするなよ?まあ、お前なら心配いらないと思うが念の為だ」
「だ、大丈夫だよ!」
俺は慌てて答えた。
「あと、避妊はしろよ?」
「わ、分かってるよ!」
俺は顔を赤くしながら答えた。すると兄貴は真面目な顔になって俺に言った。
「進一、彼女を大事にすること自体は悪くない。むしろ良いことだ。だがな、男というのはそれだけじゃダメな時もあるんだ。もし、何か困ったことがあったらまた相談しろ。いいな?」
「……分かった。聴いてくれてありがとうな、兄貴」
俺は素直に頷くしかなかった。
「よし!じゃあもう風呂入って寝ろ!」
そう言って兄貴は立ち上がり
「ちょっと外で一服してくる。ったく、僧になんて相談をしてくれたもんだよ」
兄貴は笑顔でそう言いながら部屋を出て行った。
俺はそれからしばらく考え込んでいた。自分が恋愛下手なのは自分でよく分かっている。だからこそ、恋人を大切にしようと思ったらどうしても慎重になってしまうし、臆病にもなる。
でもそれで彼女を傷つけてしまうくらいなら……
(兄貴の言うことも一理あるのかもな……)
確かに男としての魅力を磨くことも大事だが、もっと積極的に行動しても良いのかもしれないと思った。そう考えると何だか少し気が楽になった気がした。
「よし、俺も風呂に入ってくるか!」
そう言って俺は立ち上がった。そして部屋を出て行こうとした時、俺のスマホから着信音がした。
見ると陽子さんからのメッセージだ。
俺は急いで自分の部屋に行き、改めてスマホを見る。
【進一くん、今日も一日お疲れ様でした。今日の部活、久し振りにみんな揃って楽しかったね。進一くんが創りたいって言ってたゲーム、私もやってみたいなぁ。微力ながらお手伝いさせて頂けたらと思います。これからもヨロシクね。おやすみなさい。】
という内容のメッセージが届いていた。
(相変わらず、律儀だなぁ)
そう思いながら俺は返信する。
【こちらこそいつもありがとう!陽子さんがいるから毎日楽しくて仕方ないよ。部活でやってみたいことの概要も皆に言えたし、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。おやすみなさい】
送信するとすぐに既読がついた。どうやら向こうもスマホを触っていたようだ。
そして直ぐに、彼女からまたメッセージが届いた。
「うふふっ♪」という可愛らしいスタンプと共に送られてきた文章を見て思わずニヤけてしまう俺なのだった。