[Data12:進一と陽子【四】]
普段より一際の人だかりを見せる神社の境内。
俺は大胆科学愛想会のみんなと初詣に来ていた。
SANYの研究も順調に進み、一つ一つ課題をクリアしてきて、この冬休み明けに、浅岡教授立ち会いの下、二度目の起動実験をすることになっていた。
そのこともあり、俺たち五人は研究成就と安全祈願にと初詣にやって来たのだ。
しかし、やはり人混みが苦手な俺は、少し憂鬱な気分だ。
「みんな揃ってお参りするの初めてだから嬉しいね!」
そう言って陽子先輩は目を輝かせていた。
「そうですね。俺も初めてです」
「あ〜、そう言えばそうだったな。プライベートは余り絡まんからなぁ俺たち」
そんな他愛もない会話をしながら列は進み、遂に自分たちの番になった。
賽銭箱にお金を投げ入れ、手を合わせて願い事を念じる。
すると隣から小さな声が聞こえてきた。
「……進一君の願い事……叶うといいね」
「え?」
俺がそう聞き返すと陽子先輩は照れた様子でこう続けた。
「進一君、前に言ってたでしょ?自分の技術で誰かを助けられるような存在になりたいって」
俺はその言葉に思わずハッとした。そう言えば以前コニシキにも同じことを言われた事を思い出す。
「はい……叶いますかね?」
そんな俺の不安そうな呟きに陽子先輩は笑顔でこう答えたのだ。
「優しい進一君なら大丈夫だよ!」
それを聞いて俺の中でこれまで願望だったものが目標へと変わった気がした。
俺は必ず、自分の技術で誰かを助けられるような存在になってみせる。
そして陽子先輩の笑顔をこれからも近くで見守り続けたい……そう心に誓ったのだった。
隣で陽子先輩が慌てて賽銭箱にお金を投げ入れると手を合わせて願い事を唱える。
「……コニシキ会長もドク先輩も、千登世さん、進一君……家族のみんな。これからもずっと元気でいられますように……」
声に出して願い事を言う、そんな微笑ましい彼女の姿を見て俺も手を合わせ願う。
(起動実験が上手く無事に行きますように…)
俺は実家が寺だと言うのに、煩悩は多いようで更に願う。
(あと、いつか陽子先輩に告白出来ますように…!)
心の中でそう叫んだ後、俺は顔を上げて隣の陽子先輩を見た。彼女はまだ目を閉じて願い事をしている。
その表情はとても真剣で、つい見惚れてしまう程だった。
そして彼女は目を開くと俺の方を向き微笑んでくれたのだ。
俺はその笑顔にドキッとしたがすぐに目を逸らしてしまった。
(う……恥ずかしくて顔が見れん)
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は俺の顔を覗き込んでこう言ったのだ。
「進一君もちゃんとお願いした?」
俺は緊張しながらもこう答えたのだった……
「は、はい!勿論!」
それから俺たちはおみくじを引くことにした。
「はっはっはっ!大吉だ!」
「あたしも大吉〜!いえいッ!」
「末吉か。こんなもんだろ」
「小吉っ!欲張らないこのくらいが丁度いい!」
「あ、俺も小吉だ。ドク先輩に勝った」
俺たちは他愛のない会話で盛り上がり、みんなで起動実験への意気込みを改めて確かなものにした。
「あ!私御守り買っちゃおうかな〜」
そう言って陽子先輩は巫女さんの元へと歩いて行く。彼女の後ろ姿を見つめながら俺はこう思ったのだった。
(いつか告白するぞ……!)
そう心で叫びながら。
みんなでお参りを終えた後、俺は陽子先輩と帰る方向が同じだったので途中まで一緒に帰ることになった。
「今日はみんなで来られて良かった!おかげで楽しい初詣になったね!」
そう言って陽子先輩は笑顔で俺の隣を歩いてくれる。俺はそんな先輩の言葉に頷きながらこう答えた。
「ですね。みんな楽しんでくれてたみたいだし……特にあのドク先輩が甘酒で酔っ払っちゃったのは傑作でしたね!」
すると先輩はフフッと笑ったので俺も釣られて笑ってしまった。
そして俺たちはお互いの家までの分かれ道に差し掛かったのでここで別れる事になった。のだが…
「はい!進一君。御守りあげる!」
陽子先輩が唐突に俺に御守りを差し出してきた。
その手には水色をした狐のようなマスコット状の御守りが握られていた。
「え?あ……いいんですか?」
俺がそう聞くと陽子先輩は微笑みながらこう答えてくれたのだ。
「うん!進一君にはいつもお世話になってるし、これからもよろしくね!」
そんな彼女の優しさがたまらなく嬉しくて、俺は胸が熱くなった。
「ありがとうございます……大切にします」
「うん!それと……」
陽子先輩はもう片方の握りしめていた手を俺の前でゆっくりと開く。
そこにはピンク色した狐のマスコットがいた。
「あ」
俺が驚いていると彼女は少し照れ臭そうに上目遣いでこう言った。
「色違いなんだけど、可愛かったからつい買っちゃった!」
先輩はそう言うと顔を赤らめながら俺の手を取ってその水色の御守りを手渡してきた。
「あ……ありがとうございます……」
俺はそれを大事に受け取り、彼女とお揃いのマスコットを手のひらに乗せたまま彼女にお礼を言う。
すると彼女は嬉しそうに微笑んだ後、俺にこう言ったのだ。
「じゃあねっ!また新学期で!」
そう言って陽子先輩は駆け足で去って行ってしまう。俺はそんな彼女の背中を見つめながら改めて思った。
(やっぱり俺、陽子先輩が好きだ…)
しかし今は告白するタイミングではない。なぜなら俺たちの研究が成功した時が、この想いをちゃんと伝える時だからだ。だからそれまで俺は全力で研究を成し遂げる。それが彼女と仲間への誠意だと思うから。
「よしッ!やってやるぞ!」
俺はそう気合いを入れ直し自宅への帰路を急いだのだった。
そんな陽子先輩との出来事があったのが数週間前のことだ。三学期も始まり、そして今日はいよいよ起動実験当日。
今日の講義を終えた俺はドク先輩に呼ばれたので部室へと向かうと既にメンバー全員が揃っていた。そこには浅岡教授の姿もある。
「あ、教授。もういらしてたんですね」
俺がそう言うと浅岡教授は笑顔を浮かべてこう言ったのだ。
「ああ。君たちの研究が実を結ぶ瞬間を見学させてもらうよ」
俺たち五人はそれぞれ頷くと早速実験の準備に取り掛かる。必要機材を『天照』の在る電算室へと運ぶ。
俺は『天照』の前に座りノートパソコンを起動させた。このパソコンでプログラミングの処理を行う事になっている。そして俺の隣に座ったドク先輩が指示を出す係りだ。
『よし、みんな準備はいいな?』
スピーカー越しにモニタールームのコニシキが確認する。全員がモニター越しに頷くとコニシキは一つ頷いてからこう言った。
『ではこれより起動実験を開始する!全員、気を引き締めろ!』
俺たちはその言葉に「はい!」と返事をするといよいよ二度目のSANY起動実験を開始した。
今回SANYの居る『天照』へ潜るプレイヤーは俺だ。前回陽子先輩が危険な目にあったこともあり、彼女にはプレイヤーをさせたくなかったし、何より俺自身が興味があった。
俺は『バーチャルエクスペリエンス』に入るためのヘッドギアを用意する。それに合わせミッチー先輩が俺の体中にバイタルモニターなどの電極を着けていく。
今回、陽子先輩は画面内ではなく現実の俺のモニター役を務めてくれることになった。
「進一君、無理しないでね……」
彼女はそう言って俺の手を握ってくれた。俺はその温もりを感じながら大きく頷く。そして遂にヘッドギアを頭に装着し目を閉じると、いよいよ『バーチャルエクスペリエンス』へとログインするのだった。
「バイタル正常。心拍数も落ち着いてるわ」
遠くでミッチー先輩の声が聞こえる。
「どうだザコタ?網膜と脳波がリンクしたか?」
これはドクの声か。
「はい。眼の前に広大な世界が拡がってますよ。はは、これを自分がデザインしたかと思うとかなり恥ずかしいな…」
俺は外部からの会話を聞きながら再び意識を集中させる。
(視覚、異常なし。バーチャルエクスペリエンスで体験出来るのは視覚だけ。SANYを起動したらもっと五感に近い感覚でこの世界を体感出来るというが…さて……)
「俺の方は問題なさそうです。外から観て、問題なければSANYを起動してくれていいですよ」
俺はそう言うと再び意識を集中させた。
コニシキは教授に目配せすると、教授は無言で頷いた。
「了解だ。ではこれよりSANYの起動実験を開始する!ザコタ、頼むぞ!」
「解りました……どうぞ!」
すると俺の目の前に眩い光を放つ球体が出現した。俺はそれを視認した途端、まるで身体全体が吸い寄せられるかのようにその光に引き込まれていったのだった。
「これがSANY……ッ!」
俺がそう呟くと身体全身がその世界へと吸い込まれていく感覚に襲われた。そして次の瞬間、目の前には先程と同じ景色があった。
だが決定的に違うことがある。
この空間における自身の存在感が先程とは段違いなのだ。
そこには踏みしめられる大地があり、
そこには髪をなびかせる風が吹き、
そこには肌を湿らす水気が空気に混じり、
そこには汗をかかせる陽の熱があった。
(おいおい…人工知能でここまで空間をリアルに再現できるのかよ…!?)
俺はSANYの圧倒的な情報量に内心驚きつつも、冷静に現状を確認する。
(視覚、異常なし。触覚、異常なし。嗅覚、異常なし…)
俺がそう思考すると眼前にバイタルモニターと同じ画面が浮かび上がり視界に表示されたのだ。そこには俺の脳波が表示されており心拍数なども計測されているようだった。前回の事があってプレイヤー自身にも安全確認が出来るよう改良したのだ。
そして、現実世界にいるメンバーと通信も出来る。
「ドク先輩……聞こえますか?俺です。迫田です」
『ああ。ちゃんと聞こえているぞ。こっちの数値では体調は問題なさそうだが、どうだ?』
「はい。問題ありません」
『そうか……何か気付いたら直ぐに言えよ』
俺がドクの指示に従ってコントローラーを握る。
(さて……ここまでは順調だ。問題なのはここから……)
俺はドク先輩の指示に従い操作をしていく。まずはSANYの地形を把握し、その中を探索する作業に入る。
「ふむ……」
やはりと言うべきか、このSANYが生成したフィールドはかなり広大な世界になっているようだ。俺が予め用意したワールドマップより更に数倍は拡がっているだろう。
これが自動生成型AIの強みと利便性の高さ。これを俺たちが育て、やがてAI自身で管理まで出来るようになれば、そこはもう一つの秩序ある世界になるだろう。
俺は陽子先輩と初めて出会ったときの言葉を思い出していた。
『仮想空間で実際に暮らしてる人がいたとしたら、それはもう一つの現実なんじゃないかな?それを証明したいの』
あの時は何のことを言っているのかさっぱり分からなかったが、今なら解る。確かにこれは、もう一つの現実の世界になり得る!
『そしてね……もし、現実世界と電脳世界が、一つになる世界があるとすれば、あなたはどうする?』
現実世界と電脳世界が一つになる世界…
今、俺の体は現実世界に在り、五感は電脳世界にある。が、果たして今の状態を一つの世界になったと定義していいものか…
現実と電脳、先輩が言っていた二つの世界が一つになった世界とは、一体どんな世界の事を指すのだろう?
俺はそんな疑問を抱きながら探索を続けるのだった。
俺はその後も順調にSANYの探索を進めていった。そしてある場所へと辿り着くと、そこで奇妙なモノを発見することとなる。
(これは……なんだ?)
そこには一つの建物があったのだ。それはまるで古代ギリシャを思い起こさせるような神殿のような形をした美しい建造物だった。だがその建築様式は俺の知っているどんな文明のものとも異なっていたのだ。
それにこの電脳世界においてこんな建造物は今まで見た事がない。俺が初めて見る未知の建造物に困惑していると、脳内にある女性の声が響き渡る。
「ああ……来てくれたのね…………」
「ッ!?」俺は思わず驚きの声を上げてしまう。
(なんだ……?今の声は一体……?)俺がそう思考すると脳内に再び声が響く。
『ッ…、…コタ!……ッ!』
今度の声は男の声に聞こえる。
『ザコタ!意識はあるか!?ミッチー!サニー!状況はッ!?』
いつも冷静なドクが珍しく感情的になって大声を上げているようだ。ホント、珍しい…
『バイタル正常!心拍数、血圧共に異常ないわ!』
『顔色も悪くないし、発汗なども見られません!進一くんッ!大丈夫!?』
なんか、ミッチー先輩と陽子先輩が心配してるような声も聞こえる…
ん?陽子先輩を心配させてる?
誰が?
俺の目が見開きぼやけていた視線が定まる。
「俺がかッ!!?」
俺は思わずそう叫んでしまった。
そして目の前には心配そうに俺の顔を覗き込む陽子先輩の姿が見えたのだった。
「ッ!!せ、せんぱいっ!?」
「進一くん……良かった……!」
そう言って彼女は涙目になりながら俺を抱きしめた。その瞬間、彼女の体温が直接伝わってくると同時に、彼女が持つ柔らかな感触が俺の身体を包み込むように伝わって来る。
(な、なんだ!?これは一体!夢?)
ドクンッドクンッと早鐘のように鳴り響く心臓の音。
「あ。心拍数急速に上昇。陽子に抱きつかれて素に戻ったわねザコタ君?おかえり」
横でミッチー先輩が冷静にそんなことを呟いている。
「は?え?な、なに言ってんすか!?」
俺は混乱しながらそう叫ぶと周囲を見渡す。そこにはドク先輩や陽子先輩、そしてミッチー先輩たちが安心したような顔で俺の事を見ている姿が目に映った。
そして俺の腕には未だに陽子先輩が抱きついており、その大きな二つの膨らみが俺の腕を挟み込んで形を変えていたのだった……
「……ッ!ッ!」その光景に再び頭が白くなる感覚に襲われながらも何とか意識を保つ俺だった。
「よし!ミッチーとサニーはザコタのメディカルチェックとケアを頼む!これにて第二回SANY起動実験を終了する!」
コニシキがそう宣言すると、彼を除くメンバーが一斉に『了解』と答える。
「じゃ、ザコタ君はこっちに来てね」
ミッチー先輩がそう言って俺の腕を引く。
「え?あ……はい……」
俺はもう片方の腕を陽子先輩に抱きつかれたまま二人に連れられていく。
電算室のモニタールームのコニシキと浅岡教授の下にドクが合流する。
「ザコタの帰還を確認。バイタル正常、心拍数や血圧に異常は見られません」
ドクの報告を聞き浅岡教授が安堵の表情を浮かべる。
「そうか……良かった……」
そして教授はそのままモニターに目を向けると、そこに映し出された陽子と進一の様子を見て優しく笑うのだった。
「ドクよ、さっき一瞬ザコタが無言になったとこあったよな?あの時あいつの意識はトんでたのか?」
コニシキが神妙な顔つきでドクに訊く。
「いや、意識はしっかりしていた。こちらの計器も今回はSANYの影響を受けてはいない。新しいファイアウォールの成果かもな。ただ、あいつは黙った状態が続いた」
ドクはその時の状況を詳しく説明する。
「ふむ……それはつまり、意識はあるが言葉を発することが出来なかった?」
「そうかも知れんし、ただ単に喋らなかっただけかも。何れにせよ、本人に聴いてみないことには解らんさ」
コニシキの質問に対してドクが答えた。
「……だが、恐らく今の迫田君はSANYの影響下には置かれていないだろう」
浅岡教授がモニターを見ながらそう結論付ける。そこには陽子に抱きしめられて顔を赤くしている迫田の姿があった。
「ザコタ、サニーに抱きしめられて嬉しそうだな」
コニシキがそう指摘すると、教授も苦笑いを浮かべながら答える。
「まぁ……それは否定できないね……父親としては少々複雑だがね」
「全く……世話の焼ける後輩だぜ」
そう言いながらも嬉しそうな表情を浮かべるドクだった。