[Data11:進一と陽子【三】]
病院に辿り着き、浅岡先輩が集中治療室へと運ばれていく姿を俺たちはただ見守ることしか出来なかった。
「今は検査中だ……もう少しで結果が出るだろう」
こんな弱気なコニシキの声を聞いたのは初めてだった。
俺はコニシキがこんな弱々しい声を出す人間だとは思いもしなかった。
「……俺、浅岡先輩の直ぐ横にいたのに、何も気づけなかった……!」
俺がそう言うと、ミッチー先輩がポツリと言った。
「あたしも、モニターばかりに目が行って、陽子本人の観察が疎かになっていたわ……ごめんなさい……」
ミッチー先輩が顔を両腕に埋め、声を押し殺して泣いた。
コニシキがミッチー先輩の肩に手を置く。
するとドクが静かに口を開いた。
「いや、誰も気づけなかったさ……浅岡本人ですら気が付かない間に、彼女の精神と肉体はSANYによって侵食されていたんだ。素粒子である電子が物質にここまで直接影響を及ぼすなんて想像が出来なかった……」
そう言いながらドクは悔しげに顔を歪めた。
ミッチー先輩が啜り泣く声だけが廊下に響いた。俺はそんな重苦しい空気に耐えられなくなり
「少し、外の空気を吸ってきます…」
とだけ言い残してその場を後にした。
病院のロビーまで出ると、そこには見覚えのある顔があった。
「迫田……」
そこにいたのは浅岡先輩の父親、浅岡教授だった。
「迫田、君……娘は…陽子はどうなったんだ……?」
浅岡教授は憔悴しきった様子で俺に尋ねた。俺はありのままを話した。
それを聞いた浅岡教授は顔を手で覆うと
「そんな……陽子が……」
と言って力なくその場に崩れ落ちた。俺は、何か声を掛けなければと思うも、教授の悲痛なその顔を見たら、掛ける言葉なぞ見つかるはずもなく、呆然と立ちすくむことしか出来なかった。
俺は教授を浅岡先輩がいる集中治療室の前まで連れて戻って来た。
すると、みんなベンチから立ち上がり、何やらざわついている。
「あ!教授!ザコタも!今、浅岡の意識が戻ったって!」
コニシキが俺たちを見付けるとそんな事を口にした。
「本当か!?」
浅岡先輩の名前を聞くと教授は直ぐに集中治療室の扉に駆け寄る。俺も同様に駆け寄った。
ガラッ!と勢いよく扉が開くと、そこから出てきた女性看護師に教授が声を掛ける。
「……娘は!陽子の様子はどうです!?大丈夫なのか!?」
そう尋ねた教授の気迫に押されながらも看護師は言う。
「お、お父さん!落ち着いて下さい!娘さんは無事です!」
「あ、ああ……そう、ですか……」
教授はホッとした表情を浮かべながらその場にへたり込んだ。
そこに担当した医師が来て
「意識は戻られたんですが、まだ安定していませんので、本日はご家族以外の面会は控えて下さい。今日はこのまま入院されて、何も問題なければ明日には退院出来るでしょう」
と告げた。
そう言われて俺たちは一先ず安堵し、その場を後にした。
「明日また見舞いに来ます」そう言って病院を後にした俺たち四人は、重苦しい空気のまま帰路に着いた。
「……サニーが無事で良かった……」
浅岡先輩が入院した次の日の昼休みに、俺たちはいつもの学食で集まっていた。そこでコニシキが最初に口を開いたその言葉によって場の空気が幾らか持ち直した様な気がした。
「うん……無事に意識が戻ったみたいで安心したわ……」
ミッチー先輩も涙ぐみながらそう言った。
「……」
しかし、ドクだけは黙ったままである。
「…ドク、何か言いたげだな?」
一人俯いていたドクにコニシキが声を掛ける。
「あ、ああ……だがこれは、俺の口から言うべきことじゃないかもしれない」
ドクはそう言うとチラリとコニシキの方を見た。
「SANYの研究を中止したい、か?」
コニシキがそう言うとドクは無言でコクリと頷いた。
「ああ、そうだ……俺はこれ以上SANYの研究を続けていいものか悩んでいる」
「それは、陽子に被害が出たからだよね?」
ミッチー先輩がそう尋ねるとドクは頷いた。
「ああ。浅岡が意識を失った時、俺はとても怖くなった……俺たちが作った物で、浅岡を死なせてしまったんじゃないかって……仲間のあんな姿を、もう二度と見たくはない…」
そう言ってドクは頭を抱えてしまった。
それを見たコニシキが口を開く。
「分かった。サニーが退院したら皆で協議しよう。研究も大事だが、何より優先すべきは仲間の身の安全だからな!」
そう宣言するとコニシキは残ったカツ丼に勢いよく箸を付けるのであった。
午後の講義が終わると、俺は居ても立っても居られず、直ぐ様部室へと向かった。
部室のドアを開けると同時に俺は言った。
「浅岡先輩ッ!退院したって連絡が!」
そこにはコニシキ、ドク、ミッチー先輩の他に、浅岡先輩の姿があった。
「あ。は、ハロ〜?」
ミッチー先輩に抱きつかれている浅岡先輩はどこかぎこちなく俺に手を振ってくる。
「部のグループメッセにサニーからそう連絡あったろ?来るの遅いんだよ。お前が一番最後だよ一年」
ドクがパソコンのキーを両手でカタカタと叩きながらぶっきらぼうに言う。
「いや、でも俺、今まで講義あったし……でも、本当に心配してたんですよ!もう大丈夫なんですか!?」
俺がそう言うと、浅岡先輩は少し恥ずかしげにしながらも
「うん。もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」と言った。
「良かった……本当に良かった……」
俺は心の底から安心した。
そんな俺を見てコニシキが口を開く。
「サニーの快気祝いもしたいが……まずはSANYの事だ。研究をどうするか、決めよう」
コニシキはそう言うと俺たち全員が囲んでいるテーブルの中心にレポート用紙を一枚置いた。そこには今後についての提案が書かれていた。
1,SANYの研究を中止する
2,今まで通り継続する
3,浅岡の身体が回復し次第再開する
俺は迷わず一番下に書かれている三つ目の案を指差して言った。
「俺はやっぱり再調査すべきだと思う!」
それを聞いたコニシキは眉間に皺を寄せ俺を見据えて言う。
「また誰かが危険な目に遭うかも知れないんだぞ!?」
俺もコニシキの正論に負けじと自分の意見を述べる。
「ただし!今後のプレイヤーは俺がやる!」
俺がそう言うと、皆ポカンと口を開けたまま硬直していた。
「お、おい……お前なぁ……」
コニシキが呆れた顔をして頭を搔いた。
「それじゃ根本的な解決になってないだろ?」
「まあ、聴いて下さいよ。次に人がSANY起動中の『天照』に入るのは、今回の問題が全て解決されてから。俺たちは今回何故このような事になったのかまだちゃんと究明していない。その結果には必ず原因があるんだ!解を求めず何が科学だ!」
俺はそこまで言うと、コニシキに手のひらを向け「まだ続きがあります」とだけ言ってから続けた。
「もちろんその問題の究明には俺たちだけじゃ力不足だ。だから、今回は特別に専門家を招いてある!」
そう言うと俺は部室のドアを開け、その人物を招き入れた。
「……え?」
浅岡先輩の顔が驚きに変わるのが分かった。無理もないと思う……だって目の前に現れたその人は、『天照』の開発者にして『大胆科学愛想会』顧問、浅岡教授なのだから!
「いやみんな、中々部に顔を出せず済まなかったね。ずっと名前だけの顧問なことが多かったからな。今回のことで私ももう少し目の届く所に居なくてはいけないと痛感したよ」
浅岡教授はそう言うと、ゆっくりと俺たちを見渡した。
「あ、浅岡教授がご多忙なのは存じ上げております…そんな、勿体ない…」
コニシキが驚きの声を上げると、ドクも目を見開いている。どうやら驚いたのは彼も同じようだ。
浅岡教授は俺たちをゆっくりと見渡しながら答えた。
「今回のことは私も深く反省している……君たちに辛い思いをさせてしまった事を心から申し訳なく思うよ」
浅岡教授はそこまで言うと再びコニシキの方に向き直り、彼に近付いた。そして、彼の両肩に手を置き言った。
「今回は私の監督不行き届きだった……リーダーの君が全て責任を感じる必要はない。済まなかった」
そう言うと浅岡教授は頭を下げた。コニシキはあたふたしながら教授の顔を上げさせる。
「そ、そんな!頭を上げてください!」
すると今度は浅岡先輩の方に近付いて行った。
「…陽子。お前はあんな目に遭って、まだこの研究を続けたいか?」
浅岡教授がそう尋ねると、先輩は少し考えてから答えた。
「正直怖い……でも、このまま研究をやめるのは絶対に嫌です!」
その語尾には強い意志が感じられた。
「少しだったけど、みんなが見せてくれたあの素晴らしい世界と体験、このまま無かったことにしちゃうのは絶対に嫌!もっと多くの人たちに知って欲しいし、何より可能性に溢れていました!」
それを聞いて教授はニコリと微笑むと、「分かった」と言って再びコニシキの方に向き直り
「小西君。この件にケリをつけるまで、私が顧問として君たちに協力するよ」
そこまで言うと今度は俺に近付いて来た。そして俺の肩に手を置くと、教授はこう言ったのだ。
「君たちがそれを望むなら、私は全力を持ってそれに応えよう」
そう言ってニコリと笑った。それを見た俺は胸が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとうございます!」
思わず深々と頭を下げた。すると俺の仲間たちも次々に感謝の言葉を述べたのだった。
それから一週間後。俺たちは再びSANYの調査を行った。
浅岡先輩の体調もすっかり回復し、後遺症なども一切無かった。
先の起動実験の検証、今後の課題、新たに組み込むべき理論と定義。
俺たちは何度も試行錯誤を繰り返した。
気付けば、季節は冬。
すっかり冷え込んだ部室で今日も俺たちは、寒さに負けじと議論を続けていた。今日はミッチー先輩は就活ということで部室に顔を出しているのは男共と浅岡先輩の四人だった。
「じゃあ、今度はこれを実装してみるか!」
コニシキがモニターを指差しながらそう提案する。
「いや、ちょっと待って下さい。それじゃ理論に矛盾が生じます」
俺が反論するとドクもそれに同調する。
「それもそうだな……しかしなぁ……」
俺たちがそんなやり取りをしていると突然隣のパソコンのファンの回転音が大きくなった。どうやら浅岡先輩が作業しているパソコンからのようだ。
「おい、サニーどうした?大丈夫か?」
コニシキがそう尋ねると、浅岡先輩は少し焦った表情をしていた。
「あ、特別重い処理してないんだけど、何だかこのパソコン、調子悪気で…」
俺は席を立ち、浅岡先輩の元に歩み寄っていった。
「ちょっと見せて下さい」
俺はそう言うと、先輩が使っているパソコンを後ろから覗き込んだ。どうやらヒートシンクが劣化しているようだった。
「ああ、熱暴走起こしてますね。ドク先輩、代わりの部品あります?」
俺がそう尋ねるとドクは無言で頷き、隣の部屋からパーツ箱を持って来てそれを俺に手渡した。
「どうも」
「ヒートシンクなら、こいつとこいつが使えそうか。それと、“ドックだ”」
そう言うと先輩はカタカタとキーボードを叩きパソコンをシャットダウンさせる。
俺はそのパソコンのケースを開け、受け取ったパーツを嵌め込み、修理作業を始めた。すると後ろから浅岡先輩が覗き込んできてこう尋ねて来た。
「迫田君、直りそう?」
「え?ああ……まあ、応急処置みたいなものですけど……」
俺は修理の手を止めず答える。
「良かった……何か手伝えることある?」
「あ、ええ、じゃあもうちょい待ってくれます?」
俺がそう言うと浅岡先輩は「分かった」と言って自分の席に戻って行った。そしてしばらくした後再び横から覗いて来た。今度はパソコンのモニターではなく俺の顔をだ。
「浅岡先輩もSANYの研究で忙しいんですから、サポートは任せて下さい」
俺がそう言うと先輩は微笑みながら小さく頷き、自分の席に戻って行った。
そして数分後、俺の応急処置と清掃は終了し熱暴走も収まった。先輩のパソコンを再び立ち上げると、ファンの回転音が元に戻ったのを確認し、先輩も安堵の表情を浮かべた。
「コニシキ会長もドック先輩も機械に詳しいけど、迫田君もやっぱり凄いね!」
「まあ、ドク先輩には負けますけどね……」
俺がそう言うとドク先輩は少し照れたような顔をして「そんなことない」と言った。
「流石、小学生の頃から一人で電車に乗ってアキバまでPCパーツ漁りに行ってた奴は違うな!ドクに渡り合える奴はそうそう見たことがない!」
コニシキがそう言って俺の背中を叩いた。
「それ、褒めてるんですか?」
俺がそう言うとコニシキは豪快に笑い飛ばした。
そんな、この部ではありふれた会話をしながら今日も俺たちは研究を続けていた。
「そう言えば迫田君、あのゲームクリアした?」
浅岡先輩が唐突にそう尋ねてきた。ちなみにあのゲームとは先月アーケードに公開された体感型ロボットアクションゲームの事だ。
登場以来、部の中では俺と浅岡先輩が何故かハマってプレイしている。
「いや……まだです。期末試験もあるし、公開一ヶ月でクリア出来るものでもないでしょうに…」
俺がそう言うと先輩は顔を近付けて来てこう囁いた。
「私もまだ3面までなんだ〜。良かったら今日帰りにやっていかない?」
そんな魅力的な誘いを前に俺が断れるはずもない。俺はすぐに首を縦に振り、二人はいそいそと帰り支度を始めた。
「あ、じゃあ。俺たち今日はお先に上がります。今日の報告書は記入済みなんで。じゃ!」
部室に二人残されたコニシキとドクは顔を見合わせながら呟いた。
「青春だねぇ…」
「はっは!全くだな!」
それから数十分後、俺と先輩は学校を後にし、近くのゲームセンターにやって来ていた。夕方のこの時間帯は学生や社会人で賑わっていた。そんな中俺たちは1番奥の筐体へと歩いて行く。
「今日は人多いね〜。あ!丁度COOP席空いてる!迫田君一緒にやろッ!」
そう言うと先輩は俺の手を引き、空いてるシートに隣り合わせで座らせた。
「せ、先輩!俺は別々で良いですよ!」
俺がそう訴えると先輩は少し不満そうに頬を膨らませた。
「むう。先輩の命令です。私を援護せよ!」
そんな表情も可愛らしいと思ってしまい、何も言い返せずそのままゲームを開始することに。
画面では俺と浅岡先輩が乗ったロボットがタッグを組んでモンスターと戦いを繰り広げている。1番新しいバージョンのゲームなので敵の動きも早くなかなか手強い。
「あ!危ない先輩ッ!」
俺がそう叫ぶと、先輩の操作するロボットの背後から突然別のモンスターが襲ってきた。
「きゃっ!」
先輩は慌ててガードしようとするが間に合わない。このままでは攻撃を受けてしまう……!
「任せろッ」
そう言うと俺は素早く武器をチェンジし、敵の頭を撃ち抜いた。すると敵は力無く倒れて行ったのだ。
「あ、ありがとう迫田君!」
先輩が少し照れた表情で礼を言う。俺は照れ隠しで視線を逸らしながら「ま、まあ、先輩を援護しろって命令でしたから……」と言った。それを聞いた先輩はクスッと笑い俺にこう言ったのだ。
「私のナイト様……だね」
そんな何気ない一言が俺の心拍数を上昇させる。顔は真っ赤になっているに違いない。
それから三十分程ゲームを続け、俺たちは帰路に着いた。
辺りはもうすっかり暗くなっている。
俺は自転車を押しながら、先輩の少し後ろを歩いている。
「今日、すごく楽しかった!ありがとう!」
先輩が振り向き笑顔でそう言う。俺は照れ隠しで頭を掻きながらこう答えた。
「そ、そんな……俺も今日はすごく楽しかったです!それに、先輩と一緒にゲーム出来て嬉しかったですし……」
そんな俺の答えを聞いた先輩は少し驚いた様な顔をしながらも頬を赤らめていた。
「……迫田君ってさ、そういう事サラッと言うよね?」
「え?……え!?」
俺が動揺していると彼女は更に言葉を続けた。
「そ、それにさ。迫田君ってよく私のこと“浅岡先輩”って言うでしょ?それってなんか距離を感じて嫌だな……」
「え……じゃあ何て呼べば……?」
俺がそう尋ねると彼女は少し照れた様子でこう答えたのだ。
「……名前で呼んでよ。ほら、私も迫田君の事、下の名前で呼ぶからさ……」
俺はドキッとした。まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったから気が動転してしまったのだ。
「あ……えと……じゃ、じゃあ……」
俺は覚悟を決めて彼女の名を口にした。
「陽子、先輩…」
俺がそう呼ぶと彼女は少し恥ずかしそうにしながらこう答えた。
「う〜ん…五十点!」
「え!?」
「まあ、今日のところはその辺で多目に見てあげますか!」
そう言って、俺に照れた笑顔を向けてくる。俺はそんな彼女がたまらなく愛おしく思えた。
「陽子先輩」
俺がそう呼ぶと彼女は優しく微笑み返してくれた。
「何?さ…し、進一君!」
俺は照れ隠しでつい彼女から目を背けた。しかし、彼女はそれを許してくれなかった。俺の顔を覗き込みこう言ったのだ。
「ね、何で顔背けるの?名前呼び返してくれたのに」
「う……」
俺は覚悟を決めて彼女と向き合った。
「え、駅!着きましたね。じゃ、じゃあ俺はこれで!」
そう言って逃げるように立ち去ろうとすると、彼女は俺の袖を引っ張りこう言ってきた。
「はい。お疲れ様でした!じゃあ、また明日ね!進一君」
俺は自転車に跨ると手をヒラヒラと振りながらこう言った。
「陽子先輩もお疲れ様です……また明日……」
火照った俺の頬を、冷たい夜風が撫でていった。自転車を漕げば漕ぐほど、頰の熱さは増していき、鼓動は速くなる。
そして俺は初めて、この気持ちが恋なのだと自覚したのだった。