2 囚われの姫
呪われた髪を持つミラベル姫は、あの日からずっと、塔の天辺で暮らしている。人里離れた荒野に建つ、雲より高い塔には小さな窓がひとつだけ。
「ふぁ~、いいお天気」
ミラベル姫は日課のように窓の外を眺めるが、高層すぎて見えるのは空ばかり。下界を見下ろすと、雲海が広がっている。
広々とした部屋には所狭しと、あらゆる魔法具が置かれていた。
明るく輝く瞳に、薔薇色の頬が可愛らしいお姫様。呪われた金色の髪は小柄なミラベル姫の身長よりも長く、まるで生きているように宙で蠢いている。
右側の髪が魔法書を取り、左側の髪が魔法のランプを取る。
ミラベル姫の両手は、小麦粉とボウルを取った。
「今日もケーキ作りの練習よ。カミーユに完璧なケーキを食べてもらうんだから」
ミラベル姫が髪に話しかけると、右の髪は魔法書を開いた。
すると室内は、草原と花畑の景色となった。
左の髪は魔法のランプを点けた。
すると室内には、お昼間の太陽が昇った。
小鳥の囀りが聞こえ、そよ風が草花の香りを運んでくれる。
魔法具によって好きなように景色や気温を変えながら、ミラベル姫はケーキ作りに励んだ。
右の髪が卵を割って、左の髪がミルクを注ぐ。
呪われた髪は忠実に姫の生活を補助しているのだ。
「やあ。精が出るね」
小さな青い鳥が、窓辺に止まった。
下界から毎日遊びに来てくれる、ミラベル姫の唯一の友達だ。
「チッチ。今日こそ美味しいケーキを作るわ!」
「魔法具で作れば失敗しないのに」
「カミーユにプレゼントするのに、本人から貰った魔法具で作ったら意味ないでしょ?」
「そうなの?」
首を傾げて見上げる仕草が可愛くて、ミラベル姫はチッチのおでこにキスをして肩に乗せた。
そうしてチッチが見守る中、努力の末に夕方にできたケーキは、まるで岩石のようだった。
「固っ! 何これ、凶器?」
クチバシで突いたチッチは笑い転げている。
「もう、笑わないで! 釜戸の火の調節が難しいんだもん。あ~あ、カミーユに喜んでほしいのに」
「それでもきっと、喜ぶさ」
「ううん。こんなんじゃダメよ! 女の子らしくお料理できるって見せたいし、大切な記念のケーキなんだから」
ミラベル姫はしょんぼりすると同時に、お腹が鳴った。
テーブルに向かい、ランチョンマットの魔法陣を撫でると、そこには見たことのない北の地の料理が現れた。
「今日のディナーは鹿肉のソテーだわ。それに私の大好きな、クリームシチュー!」
「おいしそうだね」
ミラベル姫は機嫌を直して、テーブルに着いた。
「カミーユは今日、遥か遠い北の地にいるの。一緒に食べられないのは残念だけど、こうして同じ食事ができるのは嬉しいわ」
夕食を終えると、お別れのキスをして、チッチは森に帰っていった。
「ミラベル姫。またね」
「明日も遊びに来てね!」
夜の時間がやってくると、ミラベル姫はソワソワとする。
お風呂に入って、髪をとかして、本を読んで……待ちきれない時間の間、姫は何度も時計の針を見る。
リンゴーン、と鐘の音が鳴って、ミラベル姫はベッドから飛び降りた。何も無かった壁に光るドアが現れて、ドアノブが回った。
「カミーユ! おかえりなさい!」
ミラベル姫は髪にいくつもリボンを着けて、可愛いネグリジェに薔薇の香りのパフュームを振った。精一杯のおしゃれをして、カミーユを迎えた。
「ただいま、ミラベル姫」
カミーユは被っていたマントのフードを下ろす。銀色の髪と同じ色の瞳の魔法使いは、片目だけが青い。ミステリアスなオッドアイだ。端正な顔はいつも冷たい表情だが、少しだけ唇を微笑ませた。氷の結晶を纏ったマントや長い髪は、星空のように輝いている。カミーユは魔法使いだが、まるで精霊のように美しい。
「カミーユ! 体が冷えてるわ。よほど寒い場所に行ったのね」
「ああ。氷の森に棲む魔女に会いにね。だが、成果は得られなかった」
「そう。残念ね」
ミラベル姫は残念どころか楽しそうな顔で、マントの氷を払っている。
「ミラベル姫。今日も一日、何事も無かった?」
「ええ。何も。魔法具でお散歩して、日向ぼっこして。それから、シチューがおいしかったわ! ご飯の時もチッチが一緒にいてくれるから、寂しくないの」
いつも通りの平和な報告に、カミーユは頷く。
マントの内側から掌大の結晶のオブジェを取り出すと、ミラベル姫に渡した。
「わぁ、綺麗! 解けない氷ね」
「雪国のお土産だ。それではミラベル姫。おやすみ」
カミーユがドアに手を翳すと別の色のドアが現れて、中に入っていった。本や魔法具がギッシリと詰まった、書斎のような空間がチラリと見えて、ドアは閉まった。
静かになった部屋で、ミラベル姫は結晶を抱えたまま「ふー」と溜息をついて、ベッドに仰向けに倒れた。
待ちに待った時間はいつも、一瞬で終わってしまう。まるで儚い夢のようだ。ミラベル姫は薔薇色の頬をより赤らめて、天井から降り注ぐ、幻の雪を見つめた。左右の髪が雪を掴もうと、無邪気に宙を舞っていた。
翌日の朝。
カミーユに手作りケーキをプレゼントする日がやってきた。
ミラベル姫は今日こそはと、真剣に本番のケーキ作りを始めた。
右の髪が本を開き、左の髪がランプを点け、室内はメルヘンな森の景色となった。きのこ達がミラベルを応援するように揺れている。
釜戸と格闘しながら、ミラベル姫は首を捻った。
「そういえば、今日はチッチが来ないわね。どうしたのかしら」
魔法使いのカミーユが出かけた後は、毎日窓辺にやって来るチッチだったが、今日は静かだ。
ミラベル姫が不安げに窓の外を眺めていると、下界からこちらに向かって、ヒューン、と何かが打ち上がる音がした。聞いた事のない音に驚いてミラベル姫が下界を覗き込んだその時。
カツーン!
「きゃあ!?」
大きな音を立てて、何かが窓枠に刺さった。
驚きのあまり尻餅をついたミラベル姫は、髪がクッションになって痛みは無かったが、腰を抜かして窓枠を見上げた。
そこには矢が刺さっていた。どうやら、下界から打たれた魔法の矢のようで、雲の上まで誰かが飛ばしたようだ。
ミラベル姫は立ち上がって、矢を窓枠から引き抜いた。そこには手紙が括られている。広げてみると、こんな文章が書かれていた。
可哀想なお姫様へ。
君は悪い魔法使いに囚われている。
私の矢で魔法使いを倒し、牢から救ってみせる。
勇者より。
「まぁ。何よこれ! 牢ですって?」
ミラベル姫が顔を顰めて手紙を読んでいると、今度は窓辺に、チッチがやって来た。ヨロヨロとよろめいて、グッタリと座った。羽が乱れている。
「チッチ! 何があったの!?」
「いやぁ、参ったよ。町で網にかかって捕まって、これを括られたのさ」
チッチの脚には手紙が括ってある。
ミラベル姫はそれを外して読むと、こんな文章が書かれていた。
嗚呼、美しい姫よ。
下界からいつも、貴方を想っている。
悪い魔法使いから、必ず助け出す。
騎士の名にかけて。
ミラベル姫は頬を膨らませると、手紙をクシャッと丸めて、魔法の矢と一緒に、釜戸に焼べてしまった。
「悪い悪いって、失礼ね! カミーユは悪い魔法使いじゃないわ!」
チッチは疲れた顔で教えてくれる。
「誰かが久しぶりに塔の噂話をしたみたいで、町では今、囚われのお姫様の話題で持ちきりなんだ。それで騎士だの、勇者だのが名乗りを上げて、塔の攻略を目論んでいるんだよ」
「そんな勝手な……だいたい、カミーユの魔法で作られた塔には、入口も階段も無いというのに。どうせ誰も攻略なんてできないわよ!」
ミラベル姫が怒ると左右の髪も一緒に怒って、ツノのように揺れた。
と、その時。
信じられない光景が目に入った。