18話Summer Lightning
部屋に戻ると香を思いっきり抱きしめた。
「どうしたの?急に・・・・」言葉を遮りそのままベッドに倒れこんだ。
甘い時間が二人を包み込んでいる。この時間がづっと続いて欲しい、本気でそう思える
瞬間だった。
エアコンを高めに設定していた事もあり二人はうっすらと汗をかいていた。
「喉が渇いたよ・・」香を見上げながらそう言うと、ナイトテーブルからグラスを取り
そのまま口移しでワインを流し込んできた。
「美味しい?・・・」何か言うとする香りの口をふさぎ、また夢の続きに身を委ねた。
軽い疲労感から1時間ほど眠ったあと二人は露天風呂に入る事にした。
まだ少し冷たい夜の風が上気した顔を優しく冷ましてくれている。
露天風呂から眺める白樺湖の星空は素晴らしかった。
暫らく二人は黙って湯船からこの空の宝石箱を見ていた。
6月末の火曜日にジャズクラブ「クオーター」に顔を出すと高木隆一と池田弘子が
来ていた。先日の礼を言い同じテーブルに座ると暫らく忘れていた感覚が
戻ってくるのがわかった。香も同じ気持ちなのだろう、少しぎこちない感じがする。
会話の中では高木の絵の事に関して出来るだけ触れないようにしていた。
話題は高木の所有する軽井沢の別荘の話になり、毎年7月中旬から9月上旬までは
そちらで暮らしているという。部屋はたくさんあるから是非時間の都合がつけば
遊びに来て欲しいという事だった。勿論、社交辞令で軽く返事はしたがそんな予定を
立てるつもりはその時はまったく無かった。あの事件が起こるまでは・・・・・
7月に入った金曜日いつもの様に香を迎えに行くと、待ち合わせの時間を過ぎても
現れなかった。いつも時間に正確だし遅れるときは事前に携帯にメールをしてくれていた。
何度か確認したが受信は無い。30分程した頃ようやく香から電話があった。
「もしもし、晋一郎さん?ごめんなさい。もっと早く電話すれば良かったんだけど・・・
私、今高木さんの家に来ているの・・・・こちらに来てくれないかな」
言っている意味がわからなかった。何故香が高木の家に居るんだ?兎に角不安になり
高木の家に車を走らせた。
チャイムを鳴らすと池田弘子が中から出てきた。
「何があったんですか?何故香がここに?」中に急いで入ろうとする私を制し彼女が
言った。
「ごめんなさい。私がお願いしたんです。香さんのお昼休みに電話をしてしまって・・・」
説明によると高木はやはりまったく筆を握らず、最近は少しノイローゼのような症状まで
現れていて、それを誤魔化すため毎日昼間から酒を飲んでいたのだという。
ただ、香の絵を描いたあの日は調子が良かったらしい。あのまま絵が描けるのではないかと内心ほっとしていたが、結局はあれ以来アトリエにも入っていないらしい。たまりかね今日香に相談したら仕事を休んで来てくれたのだという事だった。
「まだ香はアトリエに?」
「2時からずっと・・・・入りたいけど・・・怖くって。もし邪魔した事によって
彼の症状が悪化したりしないかと」
「香は大丈夫なのか?何もして無いんだな?」話を聞いて香が自主的に行動している
事は理解できる。電話の様子も緊迫したものは無くむしろ落ち着いた感じであった。
彼女が私を呼んだのだ。黙って待つ事にしよう。そう決心し池田弘子と一緒に
リビングで香を待った。
「神田さん、香さんのこと怒ったりしないでね」心配そうに私の顔を見て言った。
「怒ったりなんかしませんよ。ただ僕も貴女と同じように不安なんだ」
「私が・・・不安?」
「高木が香を気に入ってしまい貴女から気持ちが離れてゆくのではないか?そういう事です」
「高木の気持ちはもうとっくに私から離れているのよ。ちゃんとわかってる・・
でも・・・私は彼を愛している。彼から離れたくないの。ここに居れるだけで幸せなのよ」
そう言うと吸っていたタバコを天井に向かって吐き出した。
それから1時間程して香がリビングに現れた。高木はまだアトリエに居るようだ。
すまなさそうにしている香の肩を抱いて高木の家を出た。
帰りの車の中二人は無言だった。何か話したかったがどの言葉も思いつかなかった。
家に戻るや香は激しく私を求めてきた。まるで何かに汚された身体を清めようと
するかのように。それは病的なほど甘美で切ない交わりだった。
Summer Lightning
Camel
http://www.youtube.com/watch?v=0dM0u9pCNvs