存在革命
高校入学早々、俺は恋をした。斜め前の席のあの子、立花さんに。窓際の席で、休み時間にはいつも本を読んでいる。時々邪魔そうに耳にかける肩につかないくらいの髪の毛が、陽の光に照らされてキラキラと輝く。
「あー可愛いなあ。」
「だよなあ!藤崎さん可愛いよなあー!!」
「んあ?」
思ってもない返事に、心の声が漏れていたことに気がつく。俺が可愛いと思っているのは立花さんなのだが、拓也は教壇の前で数人と話す藤崎を可愛いと言う。藤崎はクラスのマドンナだった。
「あーはいはい、そうだな。」
適当に相槌でも打ち、また視線を立花さんに戻すと、本に目をやっているはずの立花さんが、こちらを見ていた。バチッという効果音とともに目が合う。
すると、彼女は肩を跳ねさせてすぐに本と向き合う。その姿に、可愛いよりも先に怖がられているなと悲しくなる。てか待て、藤崎のこと可愛いって俺が思ってるみたいじゃんかよ、聞かれてたか?
「お前のせいだぞ!」
半ば八つ当たりの言葉を拓也にぶつけ、最悪だというように机に突っ伏する。
「え、俺なんかしたか?」
意味がわからないというように両手を宙に持ち上げるジェスチャーをする拓也の脚をガンと蹴った。
「俺ってやっぱ怖いのかね。」
またある休み時間、俺の席にぞろぞろと集まってきたダチに悩みをぶつける。
「別に司は怖くなくね?」と、小学校からの友人、拓也。
「いや、でも俺は最初怖かったわー」と、中学からの友人、健人。
「は!?マジかよ!」
やっぱり怖いんか、俺。男が怖いっていうんだから、女子からすると俺ってもっと怖いのかと、今に始まった悩みでは無い悩みに眉を顰める。
俺の顔はいわゆる強面に分類される。また、何故か俺に集まってくるダチもまた強面であるから悩みは尽きない。
「お前らさー、とりあえず休み時間の度に俺のとこ集まってくんのやめね?」
俺の提案は、健人の「暇だし」の一言で虚しく砕かれた。
お前らといると立花さんに余計に恐がられるだろーが!という叫びは心の中に留めておく。そもそも、立花さんが俺のことなど恋愛的に眼中にないことなど分かっている。ただのクラスの怖い人という認識なのだろうと自嘲しては、「司が思い出し笑いしてるぞ」とダチに笑われた。
それでも唯一話しかけてくる女子はいた。
「司くん、ノート提出まだでしょ?持ってきてるー?」
それが藤崎。俺と藤崎はいわゆる幼なじみで、俺の唯一話す女子でもあった。
「あー、忘れたわ」
シッシッと、追い払うジェスチャーとともにぶっきらぼうに返すと、「先生が今日出さなかったら課題プリント増やすって言ってたのになあ」と言う言葉を残して去っていく。先に言えや。
「司んとこに来る理由のもう一つがよォ、藤崎さんが話しかけに来るからなんだよなあ」「それなあ、あー可愛い」
ヘラヘラとニヤける拓也と健人に、藤崎に向けたジェスチャーと同じものを向けてやった。
くっそ、めんどくせえ。
時々課題を忘れるも、性根は真面目な俺は、出されたものはきちんとやる。課題プリントなど学校から帰る前に終わらせてやろうと図書室に赴いていた。
普段は課題プリントなどクソ喰らえと思っているが、この時だけは感謝した。だって、そこには俺の片想い相手がいたのだから。
図書室のドアを引き、俺の目はまず彼女を捕らえた。教室と同じように窓際の席で読書をする彼女に、やっぱり可愛いと思わず顔が惚ける。
幸か不幸か、図書室には彼女だけしかいないようで、思わず喉を鳴らした。ラッキー。
読書に夢中なようで、彼女はこちらに気づかない。それ幸いと、俺は教室でのいつものベストポジションへと歩を進めた。
彼女の斜め後ろに座ろうとした所で、ふと考えが浮かぶ。
立花さんの特等席は、どんな感じなのだろうか。
窓際の席はそんなにいいものなのかと、座ろうとした席の一つ隣へ腰を下ろす。
少し空いた窓からそよそよと流れる風と陽が心地よい。なるほど、これは良いなと目を細める。
これは昼寝をするには絶好の場所だな。
気づけば、課題プリントのことなど忘れ、机に突っ伏していた。
「…、…くん。……て。司くん、起きて。」
心地よい声が耳に響く。もっと聞いていたいなと、覚醒しようとするのを脳が阻止する。
「司くん、図書室閉まる時間だよ。」
ゆさゆさと遠慮がちに揺らされる。肩に感じる温かい体温に、だんだんと意識がはっきりしてくる。
「…んだよォ」せっかくの昼寝を邪魔するなと、俺の眠りを妨げてきた手を強く掴み、ぐいっとこちらへ引っ張る。
「キャッ」
細い。それにいい匂いがする。ぼんやりと視界には、俺の好きな人が映し出されていた。こんないい夢見れるなんて、ここは本当にいい場所だなと思ったところで、「うお!!!」ここが図書室で、ここには本物の彼女がいたはずだと思い出した。
「す、すまん!」
顔を真っ赤にして固まる立花さんに、俺もつられて顔を熱くする。
「あ、ううん、大丈夫…」
ビクビクしている立花さんに、やってしまったと頭を抱えたくなる。余計怖がらせちまった。初めての会話がこんなんじゃ、もうおしまいだ。
「…」
「…」
お互いに無言になる空間が辛くて、何とか言葉を絞り出す。
「起こしてくれたんだよな?ありがとな。」
なるべく優しい声色で話しかけたのが良かったのが、彼女は少し驚いた顔をしたあと、「ううん。…珍しいね、本読みに来たの?」と微笑んだ。
確実に本を読みに来たわけじゃないであろう俺にかける言葉か?と思わず吹き出す。
「いやあ、課題プリントやろうと思ったんだけどこの場所昼寝に最適でよォ」
俺の言葉を聞き、彼女は上品に笑う。
「確かに、お日様気持ちいよね。私も時々寝ちゃうんだ。」
彼女の可愛らしい言葉のチョイスに悶えながら、「だよなあ!」と返す。
「だよねえ」「だよなあ」
お互いの言葉を何度も反芻しては笑い合う。
「あ!それでね、もう図書室閉まるから帰らないと」と、慌てて身支度する彼女に合わせて、俺もリュックを背負う。
図書室から下駄箱までの道のりが、やけに短く感じて、もっと話したかったと名残惜しい。
「それじゃあ、私こっちだから」
「またね」と遠慮がちに振られる手に合わせて、こちらも軽く手を振る。そのまま前を向き歩き始める立花さんが見えなくなるまで、眺めていた。
せめて家が同じ方向ならまだ話せたのに、と自分の家が彼女と正反対であるのを恨みながら踵を返した。
その日から、彼女と俺の関係は変化した。彼女にとって、俺の怖いイメージは無くなったようで。俺は教室でも彼女に話しかけるようになったし、彼女もにこにこと話してくれるようになった。
「司がねえ」「あの司がなあ」
「ふーん、そうだったんだあ」
拓也と健人、藤崎が俺の方を見てニヤついてるのが分かるが気にしない。俺の彼女への恋心がバレバレなのは分かってる。しかし問題はそれが当の本人には伝わっていないことだ。
「今日も図書室行くか?」
「うん、読みたい本あるし」
「じゃあ俺も行く。何かおすすめの本教えてくれよ」
立花さんがいるから俺も図書室に行くんだよという遠回しのアプローチには当然気づかれるはずがなく、「うん!任せて」と嬉しそうに口角を緩ませる彼女に、思わず口元を手で隠す。
彼女に想いを伝えるのはまだ先でいいや、もう少しこの心地よい関係のまま。
俺の革命は進行中だ。彼女の、俺に対する認識が良いものへと少し変化した。あとは、彼女にとっての俺の存在が大きく変化すれば、革命は大成功だ。
ゆっくり、ゆっくり変えていこう。
これが俺の、存在革命だ。
実は両想いであるのに気づくのは、まだ先の話。