先生、突き指なおりました。
よっしゃ。見事に突き指をしてやった。これで地獄のような体育の時間を保健室でやり過ごすことができる。そもそも、こんなくそ寒い時期に、バスケではしゃぎまくってる連中の気が知れねぇーよ。バスケ部の奴らは見事にイキり倒すしよ。それに向かってきゃーきゃーいう女子も意味わかんねぇーよ。
俺は大嫌いな体育教師に一声かける。
「先生、すみません。突き指したので保健室言ってきていいですか?」
「んん?どうした伊東?誰かにやられたのか?」
「いや、事故です」
「そうか?わかった。けどぉ、あれだ。もしあれ、だったら、いつでも先生に言うんだぞ」
「・・・ああ、はい。それじゃ保健室行ってきます。」
こういうところが本当に嫌いだ。この教師には僕がかわいそうな生徒に見えるんだろう。この体育教師は、クラスの陽気な奴らの相談によく乗るくせに、俺たち陰気な奴らと話すことはほとんどない。たまに話しかけてきたかと思えば「先生、先週のあれ見たぞ。エバンゲリオン」っと金曜ロードショーのネタを振ってくる。頭の中が平成で止まっているのだろうか。
ちなみにうちの保健室には美人な養護教諭も、ベッドで寝ている薄幸の美少女もいない。保健室にやさしい光も差し込まないし、さわやかな風が窓から入ってくることもない。新築された校舎によって、窓の光は日中ほとんどはいってこないし、同じく校舎に風が遮られて、空気が滞っている。
俺は保健室をノックする。中から「はーい、どーぞ」と快活な返事が返ってくる。俺は保健室のドアを開けた。
「1年3組の伊東啓介です。突き指をしたので、シップください」
「はーい。どしたん?みせてみぃ、中指かぁ?何でやったんや?」
うちの養護教諭は、快活にテキパキ働くおばあちゃん先生だ。元気を押し付けてくるようなタイプではなく、あふれ出るエネルギーが勝手に漏れ出ているタイプだ。それだけ言うと、体育教師と同じように感じられるかもしれないが、決定的に違うのは話し方だと思う。おあばあちゃんの話し方は優しく的確な感じがした。
「えっと、バスケでやっちゃって」
「どうやったんや、こうか?こうなったんか?」
おばあちゃんはいろいろなバスケの手の形を作る。
「片手でボール取ろうとしたんで、こうですかね」
俺は何となく、手の形を作っておばあちゃん先生に見せた。
「あー、ほな大丈夫やわ。今、保冷剤出すから、椅子座っとき」
おばあちゃん先生に勧められるまま、長椅子に座ろうとした。僕は先客と距離を取って、長椅子の端に座った。
「それでね―――」
先客は氷水の入ったバケツに足を突っ込んで、保健室にもう一人待機している、物理の北田先生と話している。北田先生の机は職員室ではなく保健室にあった。なので、僕らは物理の課題だけ、保健室に出しに来ている。
「そんだけ頼ん出るのに、カナの奴、ノート貸してくれないんだよ」
「ノートは自分でとるものだ」
「ぼーっとしてて、取り損ねた部分見せてって言ってるだけじゃん」
「だったら、先生に頼んだらどうだ。」
「いやーそこまでして、ノート取りたいかっていうと……」
先客の話を北田先生は大まじめな顔をして聞く。北田先生は年のころは二十代後半、毎日きっちりスーツを着て、眼鏡のオールバック、まじめな風体のわりに、授業の話し方がなんだか落語のような抑揚のある、面白い話し方なので、生徒にそこそこ人気がある。
「えーっと、あっ、伊東じゃん。」
ノートの話の返答に困った先客は俺に話しかけてきた。先客は俺と同じ色のジャージを着た快活そうな女子だった。5組か6組の奴だろうか。というか、こいつはなぜ俺の名前を知っているのだろう。
「ほら、体育祭のときに一緒の種目ででたじゃん」
俺がポカンとしていたので先客は情報を追加してきた。しかし、一度同じ種目に出たくらいで名前を覚えられるものだろうか。
「えっマジで、覚えてないの?」
先客の顔がひどくゆがむ。ものすごく失礼な奴を見る目をしている。100人近くいる一年の中から、そんな薄いつながりの奴の名前を憶えていないのは、そんなに悪いことだろうか。
「6組の西海ね。伊東君」
「人の名前は覚えられるようにしておいた方がええで。はい、保冷剤」
西海さんがあきらめたように名乗ってくれたあと、おばあちゃん先生は保冷材をハンカチで包んで渡してくれた。
「そうだよねー、南雲先生」
「せやなぁ。覚えられるようにしといた方が得なことは多いやろしなぁ」
「いや、覚えられなくて得なことなんかないでしょ」
「嫌いな人の名前は忘れられて便利じゃない?」
「あー、確かに、私いやな奴の名前も全然わすれらんないわー」
西海の会話の対象が南雲先生に移った。俺はチャンスだと思った。このまま、保冷剤をもって保健室を抜け出して、チャイムが鳴るまでどこかでスマホをいじろうかと考えた。その時、いつの間にか俺の正面に移動してきた北田先生が話しかけてきた。
「伊東さん」
「はい、何でしょう」
「常々、君とは話がしたいと思っていたんだが……」
北田先生の表情は全く変わってなかったが、なんだか重々しい雰囲気で聞いてきた。なんだろう、金曜ロードショーの話でもふられるのだろうか。
「君は『なぜ僕が大阪で韓国風中華料理屋の娘と農業をすることに!?』が好きなのか?」
「え?」
俺は焦った。一応、学校でラノベアニメが好きなことは隠していたはずなのに、なぜ好きなアニメのタイトルがばれている。(正直、オタクであることを隠せているとは思っていなかったが)
「なんですかそれ?韓国風中華屋?」
西海さんが食いついてしまった。
「大阪の街を舞台にした農耕サスペンスだ」
「そーですよね!あれは、本格サスペンスですよね!同じアニメ好きの奴らはあれをラブコメだとかいってきて」
「それは失礼だな。カムイが小麦の取引で相手に迫るシーンを見てないのか」
「そーなんですよ!あの時のカムイの表情―――」
あっ、しまった。
「あら、それなら私も息子のアマプラで見たで」
僕が同級生の前でしらばっくれるタイミングを失ったことを後悔しているとき、テーピングの準備をしている南雲先生まで参戦してきた。
「少々、申し訳ないのだが、君がノートの端にポンダを書いているのを見てしまってね」
「あら、伊東君ポンダかけるの?」
「いや、そんなうまいもんじゃないんですが」
「いや、あれはなかなかのものだったよ」
「すごいわねぇ。黒人さんなんか書けるん?」
南雲先生と北田先生と楽しくラノベ談義をしていると目の端で西海さんが膨れているのが見えた。外されているように感じたのだろうか。
「南雲せんせぇー。そろそろ、腫れ引いてきたと思うんですけどー」
西海さんはバケツから足を出して、南雲先生を呼んだ。
「え?そう?結構な捻挫だったから、まだあかんのちゃう?」
南雲先生は西海の足の状態を確認しに行った。西海さんはこちらを見てニヤリと笑う。
「あっそういえば、南雲先生昨日の『さらば、相方』見た?葛西くんめっちゃかっこよかったよねぇ」
「ああ、見たよー。やっぱり、葛西くんの演技上手よねぇー」
南雲先生は西海さんの足を拭きながら話している。
「昨日の『さらば、相方』は確かに良かった。葛西信二のかっこよさを何倍にも引き上げる素晴らしい話の展開だった」
いつの間にか西海さんの前に移動していた北田先生が会話に参入する。
「だよねぇー。漫才のシーンとかめっちゃ笑ったし」
「ああ、おどけた表情をしてもかっこよさの崩れない絶妙のラインを守っていたな」
「だよねー。その辺葛西くんは心得てるよねぇー」
「あと、アヒージョ食べてるシーンもよかったわぁ」
なんだか向こうの会話が盛り上がっている。西海さんと目が合う。
西海さんは僕を見て鼻で笑った。
なるほど。そういうことか、お気に入りの先生を取られてご立腹だったんですね。それは確かに申し訳ないことをした。どうも、西海さんはこの保健室の常連客のようだ。自分のテリトリーに入って、よく知りもしないやつに好き勝手されれば確かに不快だろう。僕は大人だから、ここはさっさと退散して、サボり場でも探すか。
「昨日のラジオ配信すごいよかったな」
俺は独り言のようにつぶやいた。
「確かに昨日のラジオはなかなかに興味深い内容だった」
北田先生が俺の正面にいる。
「ですよね。サトリとポンダのギャグシーンにあんな憎い演出があったとは」
「ああ、工藤監督は昔からそういう遊びを取り入れてくれるから好きだ。」
「ええ?あれって工藤監督がやったの?」
狙いどおり、南雲先生も食いついてくる。南雲先生の机のパソコンのデスクトップが工藤監督の映画『新訳関ケ原』であることは保健室に入って気が付いていた。
「珍しいですよね。映画監督がアニメの監督やるのって」
「でも、確かに話のテンポが好きな感じだなぁと思ったわ」
「工藤監督のいいところはやはりそこだな」
「なんだか。くすっとさせらますよね」
西海の方を見ると、ほほを膨らましている。俺にはなぜ彼女がほほを全くわからないがぁ、このまま帰るのには彼女のさっきの鼻で笑った表情があまりにもカチンときたとかぁ、別に思っていないけどなぁ。
「南雲せんせぇー、そろそろテーピングしてもいいかなー」
西海の方はひょこひょこと移動し、包帯がありそうな棚をあさろうとする。
「あらあら、私がするから、動いちゃあかんって」
南雲先生は慌てて、西海の方へ行く。
「そういえば、先週の女子サッカーめっちゃおしかったなー。菰野選手が途中で交代しちゃってさー」
「あれは本当に惜しい交代だった。あんなにも替えの利かない選手もいないのに」
北田先生がまた、いつの間にか移動している。
「わかるー。菰野選手って、地味だけどめっちゃプレーに絡むっていうか」
「あの一生懸命走ってるのが、すごく感動するわよねぇ」
西海と目が合う、ものすごくあおってくる表情をしている。
なるほど、よくわかった。俺もそこまでするつもりはなかったのだがぁ。
「そういや、来週新刊の発売日だなぁ」
俺はつぶやいた。
「せんせー、ちょっとまだ足首あついかもー」
西海はうったえる。
「来月のイベント抽選あたってたらいいなぁ」
俺はつぶやいた。
「せんせー、ちょっとテーピングゆるいかもー」
西海はうったえる。
「余ったポンダのクリアファイルどうしようかな」
俺はつぶやく。
「せんせー、なんか気分悪くなってきたかもー」
西海がうったえる。
「そういえば、一番くじ引いて―――」
「いい加減にしな」
南雲先生が俺と西海の頭をノートで優しくはたく。
「北田先生も、ワル乗りしないでください」
南雲先生は呆れた表情で、いつの間にか自分の席についている北田先生をみる。北田先生は自分の席でお茶をすすっている。
「すみません。普段、自分を出すのをためらってしまう二人が楽しそうにしているものでついうれしくて」
北田先生は相変わらず表情を変えずにいう。
「ほら、あんたら、足と手を出して」
そういうと南雲先生は俺たちのテーピングを一瞬で終わらせた。動かしづらいが、不快ではなくちょうどいい。
「ほら、もうすぐチャイムなるから、まっすぐ教室戻りな」
「もうすぐ、体育の授業も終わりますし、グラウンドや体育館に戻らなくても大丈夫でしょう」
「次で、午前中の授業おわりやから、最後ぐらいでときーや」
「あと、ケガしてなかったら次の体育でここにきても追い出しますからね」
南雲先生と北田先生は優しく俺たちにくぎを刺す。
「「しつれーしましたー」」
俺たちは保健室をでて顔を見合わせる。結局、俺たちはあの二人の手のひらの上で、可愛がられていたのだろうか。
「伊東って暗くない?ぼそぼそ北田先生の気引いて陰湿よ」
「西海さんって、かまってちゃんなの?けがのことでしか南雲先生の気引けないんだ」
おっと、二回戦を始める気か?
俺たちの後ろの保健室のドアが開く。
「次二人が仲良くなってたら、また、入れてあげよう」
「そうね。突き指も捻挫も明日には治ってるだろうし」
「「はーい」」
俺たちは先生たちに見送られて教室に向かって歩いた。
「あんた突き指してないの?」
「西海さんこそ普通に歩いてない?」
「……」
「……」
「伊東って落ちぶれた武士みたいな名前」
「西海って力士昔いたよなぁ」
「おおー、伊東ぉー、あれ?西海?」
最悪だ。体育教師と鉢合わせてしまった。
「まぁいいや。ちょうどよかった。次の授業なんだけど、半田先生と巴先生が職員室でこんにゃく踏んで二人で頭打って救急車で運ばれたみたいだから、お前らのクラスだけ体育延長になったぞ。」
俺たちは振り返って、早歩きで保健室に向かった。
「「せんせー、突然おなかが痛くなっちゃってー!!」」
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