嘆きの竪琴
その日の夜半すぎ。日課であるサンディからの就寝の挨拶があまりに遅いので、ウルスリードは水晶玉を通じてエドアルドに声をかけた。
真面目なエドアルドはいつもならすぐに反応するのだが、今晩は妙に反応が鈍い。なかなか応答が来ない事にやや苛立ちながらも、今まで無かった嫌な予感がして……そしてそれは見事に当たってしまった。
そこで初めて、サンディが重傷との報告を受けた。
ようやく応えたエドアルドはひどく顔色が悪い。おおよその話をした後、申し訳無さそうに頭を下げた。
「ご報告が遅くなりまして本当に申し訳ございません。実は今の今まで、仕上げの治癒を施しておりまして……」
「――うむ、本当にご苦労だった。ゆっくり休め」
水晶玉越しに見えたサンディの顔色は、思った以上に悪かった。一刻も早くこの手で抱きしめたいが、あの様子では転移させることも難しいだろう。
しかし……サンディがあの程度で済んだのは幸運だったと思う。
魔女の屋敷ではエドアルドだけでなく、レオンや新しい魔女も、治癒を使えるようになっていたことが幸いした。エドアルド自身、『一人ではとても対処しきれなかった』と言っていた程だ。
――そういう意味でもサンディは、やはり幸運を持っているのだろう。
しかし心配なのは、サンディの身に何が起きたのか誰も詳細はわからないという事だ。その上『白い翼を持つギベオリードに会った』という報告には、流石に我が耳を疑った。
証拠にと見せられた指輪とローブは、確かに自分の隣でギベオリードが精霊王から賜ったものと同じだった。そしてその指輪は今、サンディの左手に収まっている。
――これは書庫で出会ったギベオリードの言葉に従って、エドアルドが嵌めたそうだ。
(ギベオンの記憶と知識が納められた書庫、か……)
『アレクサンドラと、その許しを得た者』にのみ扉を開くという記憶の書庫。――個人的に非常に興味深いが……すべてはサンディが回復してからの話だろう。
それにしても王として、そして父として……全く無力な自分が嫌になる。守るどころか側にいてやることすら出来ないとは、つくづく情けない限りだ。
自室からバルコニーへ出て空を見上げると、水晶の細石を盛大に撒いたような星空が広がっている。しかしそれはいつもと変わらない光景で……。
(……当たり前だな)
思わず自嘲した。
何を思い上がっているのか。自分ごときがどんなに辛く苦しかろうが、天には全く関係のないことだ。
(だが、しかし……)
ウルスリードは自身の左手にある深紅のバングルに触れた。一見金属のような輝きを放っていたそれは、淡く紅色に光りながら形を変える。
それは流麗で繊細な細工の施された深紅の竪琴……ただし枠のみへと変化した。慣れた手付きでそれを構え、力を通せば白金に輝く弦が現れる。
それはわざわざ弾かずとも、触れるだけで振動の伴わない音が鳴る。最初はゆっくり……そして徐々に繋がり紡がれていくその旋律は城内だけでなく、場外で警備している者たちの耳にまで届いていく。
「おお、この音色は……」
「ずいぶん久しぶりね……」
「なんと美しい音色でしょう……」
「陛下のライアーを再び聴けるとは、なんという幸甚……」
場内外に勤める騎士や侍従、侍女達は、久しぶりに聞こえたその音色に聴き入っていた。
ウルスリードの無骨な指がそっと触れるだけで、弦は勝手に歌声を響かせる。その深く優しい音色は意外なほど力強く、遠くへ遠くへと伝わっていく。
ウルスリードは精霊達に、サンディの回復を手伝うよう願った。
(数多の精霊達よ。これは天界王としての命令ではなく……一人の父親として、心からの願いだ)
最初は長調の優しい旋律だったそれは、徐々にテンポが速まっていく。そのまま流れるように短調に変わると、いつしか美しくも物悲しい旋律へと変わった。
「……おいお前、何故泣いてるんだ?」
「いやおまえこそ……あれ、何でだろう?」
王の自室近辺でそれを聴いていた警備の騎士が、自身の意思と関係なくぼろぼろと溢れだす涙に戸惑っている。
音に込められた強い願いだけでなく、自身に対する無力感や嘆き。それらがすべて精霊力によって紡がれる音に乗り、周囲に強い影響を与えているのだ。
それに気づかぬまま無心に弦を鳴らしていると、ウルスリードの耳へ軽やかな笛の音が聞こえてきた。嘆きを乗せて奏でられるライアーの音色に合わせ、懸命に寄り添うように付いてくる高い笛の音……。
(これは……レニーか)
こんな遅い時間にいつまで起きているのかと思ったが、眠れないのは自身の鳴らすライアーのせいだろうと思い直す。
(――すまない。心配を掛けてしまったようだな)
長調に戻してテンポを緩めると、しばらくして安心したように笛の音は途切れた。最後は愛息に子守唄を歌うような気持ちで旋律を紡ぎ、そして演奏を終える。
再びシンと静まり返った星空を見つめ、ウルスリードは小さく呟いた。
「親愛なる精霊王よ。どうかサンディを……我々の宝石を護り給え……」
天界王の祈りと願いは、満天の星空に吸い込まれていった。





