帰還
「俺も何がどうなっているのかさっぱりだ……でも確かにこれに描かれてた魔法陣に吸い込まれるようにして……うおっ!」
ここはエドアルドの部屋。ロムスは集まった屋敷の皆に状況を説明していた。しかしその左手に持っていた大きめの紙は、突然巻き起こった激しい風に舞い上げられる。
「――またかよ! 一体何なんだこの風は!?」
苛立つロムスを他所に室内で突然巻き起こった強風は、ベランダへのドアを勝手に開けて外に吹き出していく。ロムスの手を離れて外に飛び出した紙は、はるか上空で突然閃光を放った。
「うわっ……!」
目線で追いかけていた皆がその眩しさに怯んだ次の瞬間、上空に大きな大きな白いミミズク……ヴィオラが現れた。普段はサンディの肩に乗る大きさなのに、今翼を広げているその姿は屋敷を覆わんばかりの大きさだ。
「あれ、ヴィオラだわ~!」
「「でかっ」」
ヴィオラが現れると同時に紙はめらりと燃えて消え去った。すると謎の強風はピタリと止んだが、その代わりにヴィオラの羽ばたきによる強風が室内に吹き込む。
しかしヴィオラはどんどん小さくなっていた。そして高度を下げつつベランダに足が届く頃には人の背丈程まで縮み、その背からサンディを抱えたエドアルドが降り立つ。
「エドアルド様~!」
「良かった無事だった……えっ?」
皆は集まると、初めてその異常に気づいた。エドアルドの服には大量の血が染み付き、地味なローブに包まれたサンディを抱える手も血まみれだ。
「お前、すげえ出血じゃねえかよ! 大丈夫なのか!?」
「エドアルド様、顔色が酷いですわ」
しかし、エドアルドは首を小さく横に振る。
「いや……僕は無傷で……」
エドアルドの悲痛な面持ちに、ロムスが只ならぬ事態を感じて近寄った。
ローブを軽くつまんでサンディの顔を覗き込むと、まるで既に事切れているかのような血の気のない肌に戦慄する。よく見ればその美しい銀髪も、血に濡れて重く身体に乗っている……。
「おい……これ……もしかして、全部サンディの……」
エドアルドは小さく頷くと、あえて大きな声で指示をだした。
「すみません、今は一刻を争うので――マリン殿!」
「はっ、はい~!」
「すぐに僕と一緒に浴場へ来てください! あと以前グレンダ殿から頂いたあの栄養剤はまだありますか?」
「はい~、まだ裏の倉庫にたくさんあったはずです~」
「じゃあそれも、できるだけたくさん……レオン、頼まれてくれるか?」
「うん、任せて!」
レオンがすぐに部屋を出ていくと、テレシアと目が合った。
「テレシア殿はサンディ様の……」
「ええわかってるわ、まずは着替えよね。用意したら後でマリンの手伝いにも行くわ」
「――はい、ありがとうございます」
その察しの早さに思わず頭を下げると、元の大きさになったヴィオラを肩に載せたロムスが尋ねた。
「おい、俺は何かやることねえのか」
「では……僕たちと一緒に浴場へ」
「おう、任せろ」
エドアルドはサンディを抱えて浴場に向かって走る。それを追うマリンは、力なく降ろされたサンディの指先からぽたりと一滴、血が滴り落ちるのを見た。
(サンディ……一体どうなってるの?)
***
浴場に入ると、エドアルドはサンディをそっと床に寝かせた。大きくため息を吐いたエドアルドの服には、おびただしい血痕が残っている。
「ねえ、本当にエドアルド様は怪我してないんですか~?」
「ええ全くの無傷です」
「だって……すごく顔色が悪いですよ~」
マリンの心配そうな顔に、エドアルドは少し口角を上げてみせる。
「これでもヴィオラのおかげで少し休めたんで……大丈夫です」
そしてすぐに真剣な表情に戻ると、マリンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「すみませんがマリン殿。ここから先はマリン殿にしか頼めません――治癒もはもう使えますね?」
「ええ、お陰様で~」
「最低限の治癒は僕が済ませていますが、まだまだ足りません。どうかできる限り治癒を進めて、その後に身体を清めて差し上げて欲しい……頼みます」
「ええ、わかりました~」
「後でテレシア殿も応援に来てくれるはずですから。ああ、あとそのローブは捨てないでください。大切な物なので」
「任せて下さい~!」
マリンの元気な返事にホッとした表情を見せたエドアルドは、振り返ってロムスに声をかけた。
「――じゃあロムス、後は頼む」
「は? 何すりゃいいんだよ」
「僕を、部屋まで……」
エドアルドはそのまま崩れ落ちると、浴場の床に両手と両膝をついた。
「なんだ、やっぱりもう限界じゃねえかよ!」
「ロムス様、いいから早く連れて行って下さい~!」
「お、おう!」
ロムスの肩を借りてエドアルドが出ていった後、ローブをめくったマリンは小さく悲鳴を上げた。
「何これ……酷い……」
その後しばらく、浴場にはマリンのすすり泣く声が響き続けた。
***
目を赤く腫らしたマリンが、サンディを抱えて部屋に戻ってきたのは夕方になってからだった。
全身の血は綺麗に洗い流されて、着替えも済んでいる。ベッドに寝かされたその姿はいつも通りの寝顔に見えるが、肌には全く血の気が無い。
「マリン殿、ありがとうございます。ゆっくり休んで下さい。 ――よし、次はレオン、頼んだぞ。限界まで頼む。僕は今のうちに身体を清めてきますから」
「うん、まかせて。あと母さんが食事を用意してるから、後で来てって」
「おお、有り難い」
エドアルドはロムスに部屋に運び込まれた後、グレンダの『エナジードリンク』を飲んでやや回復していた。
手だけはさっさと洗ったが、血塗れの服は今から洗濯しても無駄かもしれない……そう思った時、ポケットに入れたままの指輪を思い出した。
取り出して改めてよく観察すると、ギベオリードの瞳とよく似た明るい琥珀色の石を中心に、金色に輝く繊細な細工が施されている。女性がつけていても違和感のない、意外なほど華奢なデザインだ。
『我の記憶と知識が納められたこの書庫は、今後アレクサンドラと、その許しを得た者に対してのみ扉を開く』
四枚の白い翼――咎人ではないギベオリードは、あそこで確かにそう言った。それならばこの指輪は、きっとサンディが持っているべき物だろう。
エドアルドはサンディの左手を取ると、人差し指にそっと指輪をはめた。その細い指に緩すぎたそれは、一瞬光ると指にきちんとフィットする。
(これでよし……)
傍らでは既にレオンが治癒を開始している。この調子で続ければ恐らく傷を残さずに済むだろう。皆で治癒の練習をしておいて本当に良かったと心から思う。
――とりあえず、命の危機は脱した。
しかし、完全な回復までどの位かかるだろうか。それと精神的に残るダメージ……後遺症も心配だ。
あの部屋で一体何があったのか。それはサンディにしかわからない。それに意識が回復しても、あの無残な傷を負うことになった内容をサンディが冷静に話せるとは限らない。
(それにしても……)
既に潰されていたあの蜘蛛のような魔物を、自分も一発殴っておけばよかった……そう後悔する程には腹立たしい。エドアルドは部屋を出ると強く舌打ちし、すぐに大きなため息を吐いた。
「今はただ、できることをやるしかない……」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、重い足を引きずって浴場に向かうのだった。
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