新しい仲間
サンディ達が地上に戻って数日が経った。
森は以前と変わらず平和だったし、特に目に見えるような変化はない。しかし皆それぞれが、今できる事を淡々と積み上げている。
保護するべき森の中で、天界の訓練場で行っていたような激しい訓練を行う事は難しい。それでもサンディとレオンは自分のできる範囲で、魔術の技と制御を毎日練習し続けていた。
剣技の訓練時はエドアルドも混ざり、三人交代で打ち合いをする。その激しく真剣な様子を見て刺激されたマリンが氷竜の鞭を使って参加するようになると、さらに実戦的な乱戦になった。
夕方には全員が傷だらけだったが、治癒魔法の練習を兼ねてお互いに治しあう……そんな日々である。
今宵は、久しぶりに地上で迎える新月の晩だ。
森を優しく吹き抜ける風は涼しく心地いい。枝葉のさざめく音に混じって、虫たちの鳴き声も聞こえている。
サンディはいつもなら自室のベランダに出るが、この日は屋敷の屋根に上がっていた。傾斜の緩い場所に敷物を広げて座り、水晶の細石をこぼしたような星空を眺めながら考え事に耽っている。
サンディは森に戻って確信した。
グレンダの存在は、やはりとてつもなく大きかったのだ。彼女が居る事が当たり前になり過ぎて、自分たちはその存在の大きさに全く気づいていなかった。本人が居なくなってみてやっとそれを理解するとは、いかにも情けない話だ。
一瞬目の奥が熱くなった事に気付くと、サンディはおもむろに目を瞑り、両頬を挟むように手で打った。パンと乾いた音が鳴り、同時に訪れる痛みをじっと受け入れる。そのまま大きく深呼吸をして、笛を構えた。
(今やれる事を、やるしかないよね)
そんなことはわかりきってる。でもまだどこかで迷いが抜けきれないでいる自分が嫌になる。笛を奏で始めると、周囲の精霊たちの喜びの声がさざめきのように聞こえてきた。
(サンディ!)(フエダ!)(アソボウ!)
相変わらず精霊は目視できないが、鈴のように響く楽しげな声だけはあちこちから聞こえてくる。
(よかった、みんな元気そうだね)
二曲ほど終えたが、今日はまだ黒妖精の姿はない。そのまま続けて三曲目を奏でていると、空から知った気配が降ってくるのを感じた。そして切りの良いところで笛を下ろせば敷物の上、サンディの隣で黒妖精が大の字に寝転がっている。
「愛し子よ。お主、なかなか良い場所を見つけたのう」
満足げな顔で左右に転がってみせる黒妖精に、思わず笑ってしまう。いつもの威厳はどこに置いてきたのだろう。
更に一曲奏で終えると、サンディは大きく溜め息を吐きながら黒妖精と同じように大の字に寝転がった。
「ん? 元気が無いではないか。何かあったのか?」
「ええと……」
サンディの中には、ずっともやもやとした感情が残っていた。しかしこの感情を誰にも言えず、ずっと自分の中で持て余し続けている。
「何と言ったらいいか……」
もじもじと歯切れの悪いサンディの様子に、黒妖精はフンと笑ってみせた。
「どうせ他に誰もおらぬのだ。全部吐いて楽になればよい。それとも我にも相談できぬとなると……ああ、好きな男でも出来たのか? そういえば、あの青灰の目を持つ翼人は、なかなかの男前だの」
「え、ちょっ!! ちっ、違います! そういう話じゃなくてっ!」
どうしてそういう話になるのか全く解らない。その誤解を打ち消すために、速やかに本音を吐き出さざるを得なかった。
「私、せめて挨拶くらいはしたかったんです」
そう切り出すと、後はもう勢いだ。鳩尾のあたりに溜まったもやもやとした感情を黒妖精……いや、細石が煌めく星空に向けて解き放つ。
「グレンダは私にとっては命の恩人なんですよ? でも彼女からみたら私なんて、長い長い人生の間でたまたま拾った捨て子みたいなものなのかなって思うとなんか、こう……」
「……」
黒妖精はずっと黙っている。この静かな間が苦しくて、自分のわがままな感情を吐露し続ける。
「これが私のわがままなのはわかってるんです。それでも、もしそうじゃないなら、どうしてグレンダは私やレオンを待たず、黙って逝ってしまったんでしょうか」
最後は声が震え、目尻から涙が溢れていた。夜空に浮かぶ細石は滲み、何重にも光って揺れる。
「まあそう言うな。魔女も苦しかったのであろう」
黒妖精はゴロリと寝返りを打つと、泣き続けるサンディの方へ身体を向けた。
「お主も知っておるだろうがな。森の魔女は、森を通じて地上の精霊力を安定させるのがその役目だ。そうだの……もしかしたら負い目があったのかも知れぬ。しかしアレは、優しき魔女には特に酷な試練であったな」
黒妖精のいう『試練』とは、テレシアさんが魔樹の苗床になっていた件だろう。テレシアさんが見ず知らずの他人だったら、グレンダはきっと即断して処分したはずだ。でも実際は彼女がレオンの母親という事実に迷い、対処が遅れて……。
「誰も魔女を責めるものはいない。それは精霊国でも同じだ。しかしグレンダ本人が、自身の矜持からの責めに耐えられなんだ。あとお主たち、サンディとレオンのことは……」
「……?」
「真に、愛していたぞ」
黒妖精の瞳に浮かぶ漆黒の闇は、その時確かにサンディのもやもやとした感情を綺麗に吸い込んだ。すると思いがけず強い感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「私、グレンダにまだお礼を言えてない! 自分ばっかり勝手にかっこよく逝っちゃって、ずるいですよね!? 私、この気持を一体どうしたらいいんですか!?」
「うぐっ……くっ、苦し……」
自身の胸の中から、くぐもった声を聞いて我に帰った。気づけば黒妖精を力任せに抱きしめている。慌てて力を抜くと、するりと腕から抜け出した黒妖精が屋根の上で仰向けに転がった。
「っはぁ。お主は意外と肉があるの。息の根が止まるかと思ったぞ」
一瞬意味がわからず、もう一瞬後に赤面した。マリンのそれに比べたら大したものではないけども、黒妖精を自らの胸に押さえ込んでいたらしい。
「ともかく魔女は、自身の今できる最善を選んだのだ。そこを尊重することはできないか?」
黒妖精の漆黒の視線がまっすぐに刺さる。
――わかってる。そんなのわかってるのに、うんと素直に頷けない自分が嫌いになりそうだ。
「ああ、そうだ。そういえば」
意図的なのか、天然なのか。あやふやなまま、黒妖精が話題をガラリと変えた。
「あの、天界の王弟だがな。王妃の救出だけにとどまらぬ話になってきた」
サンディは王弟と聞いてハッとし、涙をふくと背筋を伸ばして起き上がった。
「王弟は意図してかどうかは解らぬが、地底の王になりつつある。いや、今のところはまだ『よからぬ輩の頭領』といったところか。ただ下に付くものが増えれば、ならず者の組織とは勝手に大きくなるものでな……っと」
起き上がって胡座をかいた黒妖精は、顎に手をやった。
「元々魔術についてのずば抜けた資質があるだけにたちが悪い。かと言って地底世界は、天界人にとって地上とは比べ物にならぬ程危険な場所だ。そこで我が精霊王が、お主に助力したいと申し出ておる」
「精霊王様が?」
精霊王といえば自分に祝福を授けてくれた存在だ。とはいえ、それは赤子の頃の話であり全く記憶にはない。強いて言えば食事の前の祈りの言葉に出てくる程度の存在だ。しかし今、急に現実味が増した気がする。
「えと……」
「ん?」
「精霊王様って、本当にいらっしゃるんですね」
「そこからか」
えへへと笑うサンディに、黒妖精は苦笑いしながら指を弾いた。パチンという音とともに昏く光る紫粉が舞い上がると、ふわりと渦巻きながら森に向かって消える。
「あれは?」
「まあ見ておれ」
光る紫粉の飛んでいった方向に二つの紫色の光が見えると、小さなミミズクが静かに飛んで来る。それは音もなくふわりと屋根に降り、トットッと歩いて黒妖精の隣に並んだ。
そのミミズクは全体が白く、羽角と翼全体には淡いグレーの斑が広がっている。夜目にも力強く輝くその瞳は、深い紫水晶色だ。
黒妖精より一回り程大きいミミズクは、クリクリとした丸い目でサンディを見つめ、一声だけホウと鳴いてみせた。
「可愛いですね! この子は一体?」
「これは我と同じように精霊王の眷属……つまり妖精なのだが、生まれたばかりでまだ名が無い。これをお主に預けるゆえ、名をつけてやってはくれぬか」
「名付けですか」
「うむ。妖精にとっての真名はとても大切なものだ。それを授けるという事は、その妖精にとっての親となるに等しい」
「名前……」
サンディは改めてミミズクを観察する。何よりも目を引く深い紫色の瞳を見つめていると、脳裏に思わずグレンダの名が浮かぶ。しかしそれは如何にも感傷的に思えたし、この新しい命に対しても失礼だろう。
「黒妖精様、この子は男の子ですか? それとも女の子?」
「これは女だと聞いておるぞ」
「そうですか」
サンディは懸命に美しい言葉と響きを探し、ふと思いついた単語を小さく呟いた。
「『ヴィオラ』……」
「ふむ、美しい響きだのう。何か意味でもあるのか?」
「あ、えっと、特に意味は無いんですけど。この子の瞳を見ていたら自然と思いついた、っていうか……」
まさか『前世で知った紫色を表す外国語から思いついた』などと説明できる訳もなく、サンディは曖昧にごまかした。
「では、それを授けてやってくれ」
「はい。さあ、おいで」
サンディがミミズクの前にそっと左腕を差し出すと、ためらう様子も無くヒョイと乗ってくる。目をあわせるように持ち上げて、右手でその滑らかな羽毛をそっと撫でた。
「あなたは今日から、ヴィオラよ」
ヴィオラと名付けられたその妖精は、その名を告げると口を開けて大きく羽を広げた。その紫水晶の瞳の奥に燃えるような金色の光がちらつくと、すぐに元通りの深い紫色に治まる。
その後すぐに翼を畳んだヴィオラは、何事もなかったかのように大人しく腕に止まっていた。
「今のは一体?」
「妖精は真名を手に入れてこそ、真の力を得るのだ。ヴィオラは今、妖精として真の力を発揮できるようになったはずだ」
名前にそんな力があったとは知らなかった。それにしても……。
「ヴィオラの力とは、どういったものでしょう?」
「知らぬ」
「えっ?」
あっさり即答され、思わず声が上ずる。
「知らぬものは知らぬ。なんせまだ生まれたばかりだしの」
「ああ、そういう事……」
「ただし、我が王がわざわざお主宛に授けたのだ。これからお主の助けになるのは間違いないだろう」
「ありがとうございます」
「ではそろそろ、もう一曲頼まれてくれるかの」
「はい!」
森に再び澄んだ音色が響き渡ると、鈴のような精霊たちの声が聴こえてきた。横座りしている膝の上にはヴィオラが止まっており、その体温がほんのりと伝わってくる。
新しい仲間、ヴィオラ。名付けを頼まれた時、思わず同じ名前を連想してしまう程グレンダに似た雰囲気を持つ生まれたての妖精。彼女が居ればグレンダを失った悲しみが、少しだけ和らぐような気がした。
見ればヴィオラの優しい眼差しと視線を感じる。サンディはその紫水晶の瞳にグレンダを重ねて祈った。
(直接は言えなかったけど、本当にありがとう、グレンダ。そしてこれからよろしくね、ヴィオラ)





