魔女の森へ
王城の一室に、突然現れた白妖精の言葉を理解できず――いや、理解したくなくて―― サンディは白妖精をそっと抱いて卓上に座らせると、瞳孔の無い白い瞳を見つめた。
「隠れたって、どういう事?」
「要するに……魔女は死んだのよ」
「嘘……どうして……」
悲しいという感情が追いついてこない。只々信じられず、サンディは微かに震える膝の上で両手を握りしめた。
「マリンはどうしてる?」
悲痛な面持ちのレオンが尋ねた。明るい茶色の癖っ毛と、くるくるよく動く明るい青緑色の瞳――マリンの明るい笑顔が、サンディの脳裏に浮かぶ。
「大丈夫。新しき魔女は強いわね……もう、全てを受け入れてるわ。それに今、彼女は一人じゃない。テレシアがちゃんと付いてる」
エドアルドは顎に手をやり、微かに目を伏せた。
「それにしても……魔女殿は、まだ二十五年程の寿命が残っていたはずですよね? なのに……なぜこのタイミングでお隠れに?」
「あの、魔樹のせいよ……」
白妖精は、いかにも口惜しげだ。
「魔樹に削られた精霊力は、思った以上に深刻だったの。中でも地精霊の力がかなり弱まったせいで、地上では咎人だけでなく、魔物まで出現し始めていたのよ。その危機を察知した地上の魔女は、精霊達の願いに応えたの」
「手持ちの寿命を明け渡すことによって……」
「ええ、その通りよ。グレンダのおかげで、今の地上はなんとか持ち堪えてる。でもそれも、いつまで持つか……」
「ねえ、寿命を明け渡すって、どういう事?」
エドアルドと白妖精――自分の理解できない会話が続く事に耐えきれず、サンディが割って入った。
「妖精より賜った寿命とは、いわば精霊力の塊のようなもの。寿命という自然の摂理に抗う力……それは非常に強力なものなのです」
エドアルドの説明に、白妖精が頷く。
「自分が持っていた寿命二十五年分の精霊力――グレンダはそれを全てあの森に……地精霊に返したのよ。自分の判断でね」
グレンダは自身の決断をもって、魔女としての責務を果たしたという事か……サンディはうなだれるしか無かった。
「それにしても、魔樹一体でこれ程の脅威になるとは……確かに倒すまで時間がかかりすぎた事は認めます。が、それにしてもここまで酷いことになるとは考えづらいのですが」
「最後に黒いのが殆どの精霊力を回収して、私がそれを開放したのは確かよ。もしかしたらその前に、相当量が何かに消費されていたのかも知れないわ――あくまで憶測だけど」
「もしまた魔樹が地上に現れたら、今度こそ大変な事になるんじゃ……」
レオンの呟きは、サンディの背筋を冷やす事に成功した。
「魔樹ってね、あそこまで大きくなる前にさっさと仕留めることができれば、本来はそれほど怖い魔物ではないの。基本的には燃やすのが一番。サンディなら無を使って枯らす事も可能ね。ただ地上では最後に浄化が必要になるけど」
こともなげにそう言い放つと、白妖精は黙ってサンディを見つめる――これは『判断をしろ』という意味だろう。サンディはそう受け取った。
「――私、地上に行きます」
「僕も行くよ」
サンディの言葉にすかさずレオンが続く。二人が頷き合うと、エドアルドが慌てたように立ち上がった。
「ちょっと待って下さい。お二人が今行って、一体何ができますか」
「何ができるかは正直わからない……でも今戻らないで、いつマリンに寄り添うというの?」
「僕はマリンももちろん心配だけど、今は母さんの力にもなりたい。……それが結果的に、マリンの助けになるはずだから」
二人は揃って立ち上がった。
「――もし、マリン達の邪魔になるようならすぐに去ります。それに結界の様子も心配だし、魔物が出ているなら戦力があるに越したことはないでしょう。だから、とにかく今は行かせて……いいえ、行きます」
サンディの訴えと宣言に、レオンが大きく頷いた。
「そうさ。それに僕たちは、魔女に命を助けてもらった借りがあるしね」
レオンの言葉を聞いて、白妖精は微笑みながら卓上に立ちあがった。
「――決まりね。まあどうせこうなると思って、ウルスからはもう許可を取ってるわ。あとエドアルド、貴方も付いてやってちょうだい」
「それは王からの……?」
「ええ、命令ですってよ」
「――承知いたしました」
エドアルドは内心ホッとした。もし本当に地上がそこまで危機的な状況であるならば、サンディとレオンだけを送るのは心配だ。
「お嬢様……ご準備だけでもお手伝いさせて下さいませ」
心配と寂しさが入り混じった表情のトーヴァに向け、サンディは微笑んで頷く。
「ええ……ありがとう、トーヴァ。是非お願い」
「じゃあ準備が出来次第、皆でウルスの執務室に来てちょうだい」
白妖精の言葉に全員が頷くと、各々準備を進める為に解散した。
***
数時間後、王の執務室にはウルスリードの他、サンディ、レオン、エドアルドが集まっている。他にも侍従長のトーヴァ、騎士団長カルリオン、魔道士団長ラフォナスが同席していた。
サンディとレオンは市井見学の時と同じく、それぞれ銀鼠色と暗い紅色のマントを纏っている。
エドアルドは同日に纏っていた墨色ではなく、今は雪のように白いマントを纏っていた。縁には細い銀糸で施されたステッチが控えめに光っている。地上では精霊師として動く為、このほうが色々と都合が良いのだという。
「レオン、これを持っていけ」
カルリオンが、燻し銀に鈍く光る棒を差し出した。それはゆるく弧を描いており、両手で受け取ったレオンの半身をやや超える程度の長さだ。
「これって、もしかして……!」
嬉しさを抑えきれない様子でカルリオンとラフォナスを交互に見やるレオンに、美しいバリトンボイスが降ってくる。
「――アタシ達からのプレゼントよ。渡すのはもっと先になると思ってたんだけど……レオンちゃん用に調整しておいたから、きっと使いやすいと思うわ」
レオンは弧を描く棒を片手で握った。そっと力を流せば、孤の両端から細く白い弦が現れて繋がる――それは魔弓であった。
「これ、訓練の時に使ってたのよりずっと軽いね!」
「当たり前じゃない。私が特注で作らせて……ってこら! 王の御前でしょ、お控えなさい!」
くるくるとバトンのように弓を回した後、そのまま矢まで出現させようとするレオンをラフォナスが慌てて止める。
「へへ……ごめんなさい。でも、本当にありがとう。すごく嬉しいよ!」
「レオン――アレクサンドラ殿下を頼んだぞ」
「――はい!」
カルリオンの言葉に、背筋を伸ばして返事をするレオン。その肩をラフォナスがポンと叩くが、もうよろめきはしなかった。
ウルスリードはサンディの前に歩み寄ると、その身を抱き寄せた。逞しい父の腕が微かに震えている事を感じると、サンディは父を抱き返す腕にそっと力を込める。
「何かあれば、何時でも呼べ。くれぐれも気をつけてな……」
「ありがとう、お父様」
トーヴァは時折ハンカチで目元を抑えながら、その様子を見守っている。
「――では、そろそろ参りましょうか」
エドアルドは水晶玉を取り出して一歩下がると、レオンとサンディ、二人が水晶玉に触れたのを確認した。
「では、行って参ります」
「――頼んだぞ」
王城の面々は、青い光に阻まれてすぐに見えなくなる。数秒後に光が収まると、そこは魔女の屋敷にある大樹の切り株の上であった。
こちらで第三章の完結です。
次章からは場所を再び魔女の森に移してお話が進んでまいります。
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