予兆
グレンダは屋敷の自室で独り、長い時間考えていた。
一見、今までと変わりないように見える森。しかし最近、その様子がどうもおかしい。
魔樹の騒動以降、森が内包する精霊力が数段弱まったのは確かだ。しかしその変化とは別に、地精霊からの警告が日々増し続けているのだ。
ここは白妖精の結界がある為、咎人は入ってこれない。しかし今、彼らは確実に結界付近をうろついている……そんな予感がしてならない。
そして森に在る四大精霊の力の弱まりと合わせるように、通常の結界が弱まっている事を感じていた。これではいつか、結界内に街の人間が入って来かねない……昔のように。
それにしてもここ最近、地精霊の警告が気になって睡眠の浅い日が続いている。そのせいか昼間に睡魔がやんわり寄り添ってくると、どうにも抗いきれない。
グレンダは椅子に腰掛けたまま大きく伸び、あくびを噛み殺した。溜め息を吐きながら椅子の背に身体を預け、重いまぶたを重力に任せてゆっくり閉じると、グレンダはそのまま浅い夢の世界へと落ちていった。
***
先代の魔女――師匠を亡くして数年。
最近ようやく、孤独にも慣れてきた気がする。今日はこれから森の見回りに出かけよう。
師匠が亡くなってからしばらくは、加護を授けてくれた妖精達が様子見がてら代わる代わる訪ねてきた。しかし今はそれも途絶え、一日をずっと独りで過ごしている。
師匠の作った薬は、今までは王都に住む年配の男性が街まで運んでいた。しかし師匠が亡くなった後しばらくして、加齢による体調悪化を理由に引退してしまう。
それ以降薬が必要な王都側からは、度々使いが訪ねてきているようだ。しかし四大精霊の結界を抜けることが出来ないようで、屋敷にはいまだに誰も訪ねて来ない。
ちなみに四大精霊の結界は、主である自分と精霊たちに愛される資質が在る者しか通ることが出来ない。
――つまり、今の王都にはろくな人材が居ないという事だろう。
そんな事より、今はもっと力を付けねばなるまい。師匠並の力を手に入れる為、精霊たちとの対話をもっと深めていきたい……最近は日々そればかりを考えている。
森を歩き始めて間もなく、精霊たちが妙に騒がしく自分を呼ぶ。何があったのか尋ねてみても『とにかくこっちに来い』という返事しか無い。対話を兼ねて、今日は精霊たちの我儘に付き合おう――そう思い直して、彼らに請われるまま歩いていった。
結界の縁に近い少しだけ木々が開けた場所に導かれてみると、そこには見たことのない人間――若い青年が倒れていた。
なぜここに外部の人間がいるのか……困惑したものの、とりあえず持ち歩いている回復薬を使って介抱し、屋敷に連れ帰って食事を与える。
青年は身体の調子が落ち着くと、身の上話を聞かせてくれた。
最近、王都では魔女の薬が手に入らなくなった。そのせいで青年が子供の頃から世話になっている、隣のお婆さんがとても困っているという。他の代替品では身体に合わないと言うので、意を決して魔女の森に踏み込んだそうだ。
しかし、想像以上に広大な森の中で迷ってしまい、力尽き倒れていたらしい。
家族でもないただの隣人のために、ここまでする人間がいるのか――グレンダは内心驚いた。
「一生森から出てこない魔女というから、ちょっと変わり者の偏屈なお婆さんを想像していたんだけど……まさかこんなに優しくて、しかも美しい女性だとは思わなかったよ」
精霊の加護のおかげで、今の自分の見た目は二十歳前後の若い娘とたいして変わらない。しかし、自分の年齢はこの時既に三桁を超えていた。それでもこの青年に優しい笑顔を向けられると、耳の先に火照るような熱さを感じてそれをどうにも隠しきれない。
帰り際、青年に持ち帰れるだけの大量の薬を渡した。どうせ今は運ぶ人間もおらず、自分一人では到底使い切れない量だ。青年は恐縮しきりだったが、金はいらないと半ば押し付けるように渡し、道も丁寧に教えて街へと帰した。
一週間後、青年は再び屋敷へとやって来た。しかも薬のお礼だと言って、大判のストールを贈ってくれたのだ。これは今、街の若い娘たちの間で流行っているものだという。今まで見たことがない程薄くて繊細な花の刺繍が施されているそれは、羽織るだけでも気分が華やいだ。
それにしてもこの青年は、森の結界を通る資質を持っているようだ。つまり四大精霊に愛されているだけでなく、グレンダへの害意や悪意の心配がない相手という証拠でもある。
心優しい青年と、孤独を感じていた魔女。二人が惹かれ合うようになるまで、そう長い時間は掛からなかった。
その頃王都では、一人の老人が今では入手困難となった魔女の薬を使い続けているという話が商業ギルドに伝わる。老人の証言を元にギルドからの正式な依頼があり、青年は高待遇で荷運びの職を得ることになる。
それから青年は仕事として王都と森を往復しつつ、森で魔女との逢瀬を重ねるようになった。
幸せに過ごしていたある日、事件は起こった。
青年の乗る馬車が結界を抜けたのを察知すると、精霊たちがひどく騒いでいる。心配になって屋敷の外で青年の到着を待っていると、荷馬車の御者台に見るからにガラの悪そうな見知らぬ男が二人乗っていた。
いつもの青年はどこかと尋ねても、薬を寄こせの一点張りで話にならない。終いに男らは剣を抜き、薬を出さねば殺すなどと脅してくる始末だ。
グレンダは彼らをあっさり返り討ちにした。しかし倒れている彼らの傍らに落ちている剣には、既に新しい血糊が付いており……嫌な予感に胸を押し潰されそうになりながら結界の縁へ向かうと、青年は既に変わり果てた姿で事切れていた。
青年はあの暴漢たちに結界に入るためだけにその身を利用され、用済みとなった途端そのまま切り捨てられたのだと理解した……。
すぐに屋敷へ戻ると暴漢たちを更に痛めつけて縛り上げ、そのまま結界の外――それも王都の反対側へと弾き出した。そちらは険しい山の麓であり、殆ど人は住んでいない。野生動物の多いエリアであり、運が良くて野垂れ死に、悪ければ獣の餌だろう。
青年の遺体は、屋敷を見守る大樹の近くへ埋めた。手ずから摘んできた花を供えるとそこで初めて、自分でも驚くほど大量の涙が溢れた。
師匠との別れとは違う、激しい胸の痛みが辛い。――こんなに辛い思いをするなら、もう二度と他人を愛すまい。
――青年の墓前で、そう固く決意するグレンダだった。
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