マリンと風の妖精(後編)
「ふうん……いいわ。それならご希望どおり、もう二度とあんたの前には現れないから」
二人の間を吹き抜ける風の冷たさに負けぬ、低い声でシルフィアが断言した。
「……仕方ないですね、これも私が至らぬ故ですから~」
マリンはシルフィアの目を見て、言い切った
(――今更ここで、泣きつくわけにはいかない……)
「そ、そうよ。これはあんたの自業自得なんだからね!私は何も悪くな……」
シルフィアがそこまで言った時、マリンの背後から二つの声が響いた。
「……シルフィアは相変わらず、残念な性格だなぁ」
「全くです。せっかくのいい尻が、台無しですね」
マリンの背後で大きく炎が立ち上がって消えると、中から二人の男が現れた。
一人はマリンより少し背が高い程度の、地味な中年男だ。茶褐色の髪に黒い瞳を持ち、やれやれといった風に、頭を雑にかいている。着ている服のよれっとした布地は楽そうだが、あまりきちんとしているようには見えない。
もう一人はかなりの長身で、たっぷりと長い黒髪が肩下まで伸びて揺れる。赤い瞳から放たれる視線は、シルフィアの身体をじっくりと観賞するように動いている。すっきりとしたスーツを着こなす様子はなかなかの男前である。
「グノーマ! リザド! ――何であんた達がここにいるのよ!?」
シルフィアがキッと二人を睨みつけると、グノーマと呼ばれた中年男が答えた。
「今から二人で飲もうかって話してたらよ、なんだか底意地の悪いやりとりが聞こえちまってなぁ……。お前、昔っから魔女の娘に嫌がらせばっかりしてんだろ? ただの退屈しのぎにしては、ちぃと悪趣味すぎんぞ?」
そして、リザドと呼ばれた長身の男が続けた。
「マリンは頑張り屋の良い娘さんじゃないですか。減るもんじゃないんですし、加護くらいさっさと差し上げれば宜しいでしょう。しかもマリンは最近、出るとこ出てきて――ぐっと女性っぷりが上がりましたよ? ふふふ……」
そう言いながら、マリンに向けてウインクをした。
(まさか、土のグノーマ様と火のリザド様が来てくれるなんて……)
高位の四大精霊である二人の加勢はとても嬉しいが、それでもいまいちこの状況が読めず……マリンは黙っている。
「なっ、何なのよ、あんた達! 揃いも揃って魔女の娘の味方なのっ? ――もういいわよ!」
シルフィアはそう言うと、駆け出して緑鷺に変化しようとする――が、しかし。
「おっと、そうはいかねえな」
グノーマの言葉と同時に、シルフィアの足元が岩で固まった。シルフィアは変化もできず、そのままの姿で足止めされてしまった。
「もう、そういうの終わりにしろよ。――毎度毎度、聞かされるこっちが気分わりぃんだよ」
そう言うグノーマの傍、リザドの掌には大きな炎が乗っている。
「何ならこのまま、その綺麗な髪をちょいと焦がして差し上げてもいいんですよ?」
(――この状況は、一体なんなのよ!? ……信じられないっ!!)
シルフィアは怒りに震えていたが、流石に四大精霊の二名を一度に相手するのは分が悪い。
「――わかった! わかったわよ! 加護あげるから、この足なんとかして!」
顔を真赤にして喚くシルフィアに、グノーマは首を横に振る。
「いやあ、ダメだね。加護を与えたのを確認するまで解かんぞ」
「んもーーーー!! 本当にあんた達、最っ低!!!」
シルフィアの癇癪のせいだろうか。周囲はかなりの強風が吹き荒れているが、それでも風刃にまでならないのは、リザドが炎を見せているせいだろう。風が攻撃にまで転じるのを、シルフィアなりにかろうじて抑えているようだ。
「よーし俺の愛し子、ドワーフ族のマリンよ。シルフィアの側に行って、ちょろっと加護貰ってきな」
グノーマはそう言うと、マリンの背中をポンと押した。
(ちょろっと、って言うけど……)
見ればシルフィアは、今にも噛みつきそうな顔をしてマリンを待ち受けている。――無理もない。自由をこよなく愛する風の妖精が、意に反して地べたに縫い留められているのだ……機嫌がいいわけがない。
しかしながら、ここでお断りするわけにもいかず……マリンは恐る恐る、シルフィアに近づいた。
「んもう、マリンのグズ! のろま! ――早くこっち来なさいよ!!」
すぐにでもこの状況を脱したいシルフィアの悪態を聞くと、グノーマの眉間に皺が寄った。
「あ? ……シルフィア、お前は俺の愛しきドワーフ族の娘を、侮辱するのか……?」
「グノーマ、お待ちなさい――」
ただならぬ空気を感じたリザドが、慌ててグノーマをなだめる。
(やだ、グノーマ様がすごく怒ってる――早く済ませなきゃ~……)
マリンはシルフィアの元へ、急いで走った。
その時不意にシルフィアの足を固める岩の戒めが解け、代わりに足元一面が砂になった。すでに良い勢いで側に来ていたマリンは足を滑らせると、足を砂に飲まれてよろめいていたシルフィアに、勢いよく足を払う形でぶつかる。
「「きゃぁっ!」」
――バフッ
シルフィアとマリンは、揃って柔い砂の上に倒れた。シルフィアの風によって巻き起こされた砂埃が落ち着くと、そこではマリンの上にシルフィアが重なって、口づけを交わしており……。
「うわっ……」
「おお、これは……」
男二名は、食い入るように二人を見ている。
((んーーーー!!!!))
二人は慌てて飛び起きると、地面に座ったままお互いにザザザザッと音を立てて後ずさりし、距離を取った。マリンは口元を両手で抑えて耳まで真っ赤になっている……が、対するシルフィアは顔面蒼白である。
「ねえ、これ……完全に事故なんだけど……それでも誓った事になるの……?」
「あ、ああ……そういう事になりますね……」
うつむいたまま絶望したように呟くシルフィアに、リザドが歯切れ悪く応えた。
「えっと……その……悪かった、シルフィア。お前があんな事言うから、思わずカッとなっちまって……半身を砂で埋めてやろうとしたら、その……こんな事に……」
グノーマの方も、大変に歯切れが悪い。
マリンが一人、顔のほてりを持て余していると、シルフィアがよろりと立ち上がった。
「マリン――いや、何でもない。その……もうほっといてくれたら嬉しいわ……」
シルフィアはその場で緑鷺に姿を変えると、フラフラとよろめきながら空に消えていった。
「「「…………」」」
残された三名の間にはしばらく沈黙が続いたが、最初にそれを破ったのはマリンだった。
「あの、誓いって、まさか……?」
二人の妖精は、それぞれ腕組みをしてうつむいたり、額に手を当てるなどしてマリンに答えた。
「ああ……」
「そのまさかだな……」
『精霊の加護』――これは精霊力を司る妖精が、相手の頬や額に口づけする事によって授けるものであり、加護を受けた者はその属性魔法が使えるようになる。
代々の魔女達は、四大精霊から加護を授かって森を守り、この地上に調和を満たし続けてきた。なぜならそれは、大いなる自然の恵みをもたらしてくれる精霊王への恩返しとなり、その恩恵はまた地上に返ってくる仕組みだからだ。
そしてマリンは、グレンダから教えてもらった『精霊の誓い』を思い出していた。
これは加護とは違い、妖精が自らを捧げる誓いを立てるというものだ。
妖精の側が『我が身に代えてもあなたを守る』という重い誓約を捧げる時、相手の頬や額ではなく、お互いに口づけを交わす必要がある。そして『精霊の誓い』は、それを受けたものが寿命を全うするまで有効となる。もし寿命を全うする前に何らかの事故や争いによって命を落とすと、誓いを立てた妖精もまた、共に命を落とすことになるという……。
マリンは知らなかったが、実は四大精霊を司る四人のうち、シルフィアを除く三人は、過去にそれぞれ一度だけ、誓いを立てた魔女がいた。そして彼女らは全員、無事に寿命を全うしている。しかしシルフィアだけは、頑ななまでに誓いという縛りを嫌っていた。
「なにが悲しくて、人間の人生なんかに自分が左右されなきゃいけないのよ。しかも自分から誓うだなんて、信じられない。そんなの、まっぴらゴメンだわ」
自分の時間や感情を、他人に捧げるなんて微塵も考えたことが無いシルフィアだったが、こんな事故のような形で誓いを立てる事になってしまったのは、いかにも皮肉だ――とリザドは思う。
誓いは加護の上位なので、当然加護と同じ効果はある。だがシルフィアは、マリンを守らなければならないという縛りができた事になる。
グノーマはシルフィアに対して誓いを立てる原因になってしまった事を、少しだけ申し訳なく思った――が、日頃の彼女の言動を思い出し、すぐにその罪悪感を忘れる事に成功した。
それより今は、ドワーフ族の娘であるマリンに、風の力が付いたことが本当に嬉しかったのだ。
「マリン、これでお前さんは全部の加護持ちだ。魔女もきっと、喜んでくれるぜ」
(――そうだ、早くお師匠様に伝えなければ……!)
グノーマの言葉でグレンダを思い出し、マリンは慌てて立ち上がった。
「あ、あのっ! グノーマ様もリザド様も、本当にありがとうございました~!」
深々と頭を下げると、屋敷に向かって駆け出す。
「これも、精霊王の思し召しですかねえ……」
「ああ、きっとそうに違いねえ……」
残された二人の妖精は、マリンを見送りながらそれぞれ呟くのだった。





